第13話

 その翌日。

 朝から迅之介と仙吉は連れ立って出かけていった。


 紅梅屋の内儀がいつ出掛けるかわからないので朝から行く、と迅之介が言ったのだ。千世はそんな二人のために握り飯を作って持たせた。

 深い意味はない、ただの握り飯だというのに、仙吉はそれを迅之介が受け取る時にやたらとにやにやしていた。それがなんとも癪だった。


 二人が出かけてからも月見堂には客が代わる代わる訪れ、千世たちはその相手をしていた。

 その合間に、ふと千世は昨日見た紅梅屋の内儀の後姿を思い出す。風呂敷包みを手に、しゃなりしゃなりと歩いていた。その着物に見覚えがあったような気がしてくる。


 朱鷺色の背、派手に垂らした一ツ結びの帯――。

 あっ、と急に声を上げてしまい、客も含めた皆が千世の方を向く。千世は軽く手を振って、なんでもないとごまかした。


 それから客が引いた頃、千世はもどかしいような心持ちでみつに訊ねる。


「ねえ、おみつ。前に来たお客さまで、地味な簪と着物を借りていった女の人を覚えている?」

「ええ、覚えておりますよ。少ぅし変わったご要望のお客さまでしたから」


 そう言って、みつは権六がいる帳場の横に回ると、下げてあった帳簿をめくり始めた。


「伊勢﨑町、おしんさんと。――多分ですけれど、これは本当のお名前ではないように思います。伊勢﨑町なら、ここへ来るまでにいくつも損料屋はあったでしょうし、嘘ばかりでしょうね。まあ、損料はたんまり預かっておりますが」


 あの客は、顔見知りがいない遠くの損料屋を選んだのではないだろうかと思えた。嘘がすぐに露見してしまわないように。


「そのお客さまが紅梅屋のお内儀さんじゃないかしら。昨日、後ろ姿しか見られなかったけれど、着物も背格好もよく似ていたの」


 権六が目を瞬かせた。


「孫次郎さんは、お内儀さんがここに来たかもしれないと知らないんでしょうか」

「知らないと思いますよ。どこへ行っているのか探ってほしいとのことですから」


 そう言いながら、みつは顎に手を当てて思案顔になる。千世も薄々、みつが考えていることがわかった。


「地味で粗末な着物と簪が入り用だって、妙なことを仰るお客さまだと思ったんですが、もしかすると、お内儀さんは目立たずに行きたい場所があったのかもしれませんね。今、あのお内儀さんが紅梅屋の後添えになったことはある程度知れ渡っているはずですから、いい着物でうろつくとすぐに身元がわかってしまう、とか――」


 きっと、みつの言う通りだろう。迅之介と仙吉は何かをつかんで戻ってくれるだろうか。


 千世はもどかしい気持ちを抱えつつ二人の帰りを待った。

 しかし――。



     ❖



 木戸が閉じるような時刻になってやっと二人は帰ってきた。

 しかも、迅之介はどことなくしょげていた。下手を打ったとすぐに見て取れる。

 二人を待っていたため、皆で遅めの夕餉となった。仙吉は少しも悪びれず、茶漬けを啜りながら言う。


「お内儀さんが出かけたのは、八つ時(午後二時頃)でしたよ。今日はゆっくり寝てたんじゃありやせんか。優雅なもんですねぇ。それで、おいらたちがつけているとも知らず、網打場あみうちば(深川北部)の方へ行きやした。で――」


 そこで言葉を切ると、仙吉は茶漬けを食べることに専念した。千世ばかりでなく、みつも苛々とした顔つきになる。


「それで、どうしたの?」


 みつに促され、仙吉は茶漬けを呑み下した。


「ああいうの、キリミセってんでしょ?」


 ね、迅之介さま、と迅之介に振った。迅之介はその途端、ごほっとむせた。


 キリミセ――切見世。

 つまり、長屋づくりの女郎屋である。その区切りの中に女郎を一人置き、客を呼び込むようになっている。


「あのお内儀さん、そのキリミセがたくさん並んでいるところを通ったんですよ。そこで――」


 思い出したのか、仙吉がププッ、と笑う。そんな仙吉に迅之介が目を怒らせる。

 それでも仙吉は忖度せずに言った。


「迅之介さまは大層な人気でした。婀娜な姐さんたちが客引きをするから、全然隠れていられないし、姐さんたちをあしらっているうちにお内儀さんがどこに入ったのか、よくわからなくなっちまいやして」


 そのせいでこんなにも遅くなったのか。内儀はとうに家に戻っているかもしれない。


「迅之介さま、そんなところに仙吉こどもを連れていかれてはいけません」


 みつが目を細めて言うから、迅之介は焦った。


「連れていきたくて行ったのではないっ」


 千世が椀をことりと膳に戻すと、迅之介は妙にその音に過敏であった。疚しさだろうか。

 しかし、そこへ行くように仕向けたのはある意味千世であるし、そもそももう許嫁ではないのだから、迅之介が女郎を買ったところで文句も言えない。


 千世は特に感情を込めずに言った。


「それで、お内儀さんがどこへ入り、どれくらいの時を過ごしていたのかはわからなかったということですね?」


 こうした生業は、上手く行かぬこともある。責めたつもりはないのだが、迅之介は申し訳なさそうに眉を下げた。


「すまぬ」

「いえ――」


 それだけ言うと、千世は仙吉に目を向けた。


「ねえ、仙吉。あの紅梅屋さんのお内儀さんは最近うちに来たのではないかしら? 見覚えはなかった?」

 

すると、仙吉はきょとんとした。なかなか思い当たらない様子なので、みつも口を出す。


「朱鷺色の着物の、ちょっときつい物言いをする――あんた、表に飛んで逃げたでしょう」


 それを言われ、仙吉はハッと気づいた。箸を握り締めて大声を出す。


「ああっ、似ておりやす。同じお人かもしれやせん」


 やっぱり、とばかりに千世とみつは顔を見合わせた。


「ということは、千世さまとおみつは顔を覚えられているのですね。後をつけるのはやめた方がいいかと。明日はあたしがお供致しましょう」


 権六はそう言うが、いかにも人がよさそうな権六が女郎に引っ張っていかれないか不安ではある。

 みつはそこで思案顔になり、ぼそりとつぶやいた。


「あのお客さまは着物と簪をうちで借りていきました。もし、その界隈のどこかで着替えていたら?」


 地味で粗末な着物だ。煌びやかな着物の背ばかりを追っていたとしたら、見失ってしまうのではないだろうか。

 迅之介は苦々しい顔つきになる。


「お内儀の手には風呂敷包みがあった。もしかすると、あれは着物なのか」


 着物であったと考えた方がいいかもしれない。


「おみつ、貸した着物の色柄は?」

「煤竹色のやたら縞でございます。簪は平打ちで」


 権六も納得した様子でうなずく。


「それでしたら、目立たなかったでしょうなぁ」


 迅之介は一度落胆し、それから明日こそはと気を引き締めているふうであった。

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