第11話
孫次郎が帰った後、皆で顔を突き合わせて話し合う。
特に権六は困った顔をしていた。
「こう申しちゃぁなんですが、よく聞くお話ですなぁ」
本当にそれを言っては身も蓋もないが、生真面目に働いてきた男が女郎に骨抜きにされるという話はよく聞く。
「まあ、そうだけど、お客さまのご要望だもの。気が済むまでおつき合いしないとね」
「あの番頭さんは本当に店とお兄さんのことを大事に思われているようですから、できることならお兄さんが目を覚ましてくださるといいのですが――」
それが難しいのも、口に出したみつはわかっていることだろう。
「こればっかりはねぇ」
そうつぶやいた千世も、思えば自分も似たようなものではないかと、ふと冷静に思うのだった。
ここで侠客のようなことをしている迅之介の兄は、弟を可愛がっていた。その弟がおかしな女に引っかかり、ろくに家にも戻らなくなったのだから、あの孫次郎と同じような心境でいるのではないだろうか。
そう思うと、千世はなんとも複雑であった。
「ええと、とりあえず私と仙吉で紅梅屋さんへ行きましょうか」
「えっ、おいらですか?」
扇になど興味のない仙吉は、自分を指さし、面倒くさいと顔に出していた。
「だって、蓮二はまたいないし。こういう仕事は本来、蓮二向きだと思うんだけど」
蓮二は、一度顔を見せたと思ったらまた来ない。本当に気ままな男だ。
「千世さまは、なんだってあんな風太郎を頼みにするんです?」
みつはため息をつきつつぼやいた。千世は首を傾げて考える。
雇ってほしいと言ってきたのは蓮二の方だ。金がなくて飯も食えないと言うから、試しに一日使ってみたら、その初日はよく働いた。
それで雇うことにしたのだが、続けて来ない。気が向いた時だけふらっと現れる。
しかし、もう雇わないと引導を渡すほどのことではない。やはり若い男手だから、いれば便利なのだ。
来てくれたらいいな、くらいの感覚でいる。正座して待っているわけでもない。
「蓮二って、実は非凡な才があると思うのよ。何をさせても器用にこなすし。ただ、やる気がないだけね」
「それが一番駄目なんじゃござんせんかねぇ」
と、仙吉までもが遠慮なく言った。
「まあいいじゃない。仙吉、出かけましょう」
千世がそう言うと、権六が立ち上がった。
「お供が仙吉だけじゃあ、千世さまに何かあってもいけません。迅之介さまにもお願い致しましょう」
元許嫁という複雑な事情のため、千世はいちいち迅之介を連れ回すのも気が引けるのだ。
かといって、みつや権六を連れていくと店が回らない。そうなると、迅之介が適任ではある。
迅之介は二階で刀の手入れをしていた。権六から事情を聞いて下りてきたようだが、断ることはなかった。
「では参ろう」
真っ先に履物をつっかけて暖簾を割って外に出る。千世と仙吉はそれに続いた。
「迅之介さまが行かれるのなら、おいらは行かなくてもよござんせんか?」
「駄目よ。仙吉もお内儀さんの顔を覚えなさい」
「へぇい」
渋々、口を尖らせる仙吉を千世は己と迅之介の間に挟んだ。二人きりは嫌なのだ。
そうして歩き出すと、向こう側から無地小紋の着物に羽織、
深川で指折りの辰巳芸者、
気取った吉原の遊女とは違う、権兵衛名での深川の女たち。その矜持が顔に出ており、雪奴は常に颯爽として見えた。
「あら、雪さん。おはよう」
「ああ、おはよう」
そう言ってから小さくあくびをする仕草も
「眠たいの? 売れっ妓は大変ねぇ」
雪奴は、三弦、唄、踊り、どれをとっても一級品であり、宝暦の頃に芳町からこの深川にやってきた伝説の名妓、
呼出し茶屋でどんな客が口説こうとも転ばない。表向きはその意地と張りを売りにしながらも帯を解く芸者もいることで、二枚証文と皮肉られることもある辰巳芸者だが、雪奴に関してはそうした噂は立たなかった。
「なんだ、二人そろってお出かけかい? 千世は口じゃあ可愛げのねぇことも言うけど、本当は迅之介さんと出かけられて喜んでんだろ?」
辰巳芸者ならではの伝法な口調で雪奴がからかってくる。
迅之介が少し照れたのがわかったので、千世はすかさず首を振った。
「いいえ、これは頼まれ事があって出かけるの。遊びに行くわけではないし、ほら、仙吉も一緒でしょう?」
千世が仙吉の袖を引っ張ると、仙吉は迷惑そうな顔を隠しもしなかった。おいらとばっちりです、とでも言いたげだ。
雪奴はにやにやした。
「迅之介さんはこんなにいい男なのに、可愛げがないったらありゃしねぇや。千世に愛想を尽かしたら、あたしがいつでも養ってやるから、あたしんとこに来なよ」
「い、いや、俺は――」
と、雪奴の微笑に慌てる迅之介を見ているのも苛々する。雪奴は千世が焼きもちを焼くと思って面白がっている。
決して焼いてなどいない。この苛立ちはそんなものではないつもりだ。
「ま、千世が行かないでって泣くかもしれねぇしな」
雪奴は完全に遊んでいる。千世はまなじりをつり上げた。
「泣きませんっ」
「おお、怖ぇ」
いつもからかわれるだけである。雪奴は軽く手を振って去ってゆくが、目立つことこの上ない。
けれど、千世がここへ来たばかりの頃、肩の力が抜けきらずにいた千世を気にかけては話しかけてくれたのだ。
雪奴は優しい。損料屋の女主として危なっかしい千世を心配してくれていると、それは知っているつもりだ。
その後、三人は紅梅屋へ向かう。仙吉は二人に挟まれ、それでも畏まった様子もなく軽口を叩きながら歩いていた。物おじしない子である。
冬木町まで行き、戻ってきてから昼餉の支度をしよう、そう考えながら千世は紅梅屋へ向かった。
道中、あたたかな日差しが心地よく、ほんのりと安らぐ。
迅之介は仙吉とよく話した。
どちらかといえば珍しいことだ。機嫌がよいように思われる。
――春のあたたかな日差しのためだと、千世は思うことにした。
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