第7話

 千世は暖簾を割って表に出る。

 そこにいたのは、四人の男だった。背の高さは違うものの、風体は似通っている。


 なるほど、破落戸というだけあって揃いも揃って酒焼けした肌をしていた。月代も伸び放題、目だけがぎょろりとしていて、それが千世に向く。


「店主を呼んだんだ。娘じゃねぇ」

「私が店主にございます」


 答えると、真ん中にいたひと際背の高い男が眉根を寄せた。


「おめぇがか? 嘘じゃねぇだろうな」

「嘘などついても仕方ございませんでしょうに」


 怯えもせずに淡々と男たちと対峙する千世に、道を行き交う人々が目を留め、次第に人垣ができた。

 それでも破落戸たちは引かなかった。千世のような若い娘なら、恫喝すれば容易く怯えると思ったに違いない。顔にゆとりが見えた。


「そうかい。じゃあ言うがな、狸長屋のやつらにこの店のもんが助太刀しただろう? 関わりのねぇやつらが嘴突っ込んでくんじゃねぇよ。手を引かせてやろうと思ってな、わざわざここまで来たってわけだ」

「しっかし、店主がこんないい女だとはな。この店は人手を貸してくれるそうじゃねぇか。あんたのことを俺たちが借りてやってもいいんだぜ?」


 男たちが急ににやにやと笑い出す。下卑た視線を受ける千世を周りの人々が心配そうに見守っていた。いざとなれば助けに入るつもりでいてくれるのだろう。


 しかし、千世はこの店の店主である。店ひとつ守れない己では情けないと思うのだ。

 軽くうつむき、嘆息した。

 男たちはそんな千世の仕草を見て、怯えていると思ったのだろう。調子づいてきた。


「大人しく、あの侍を引かせな」


 そのひと言に、千世はフフ、と笑って顔を上げた。


「お断り致します」


 あまりにきっぱりと千世が言ったせいか、男たちは一瞬呆けた。言葉の意味を呑み込むのにしばらくかかったようだ。

 呑み込めた途端、今度は酒焼けした顔をさらに赤くした。


「優しくしてやりゃあつけ上がりやがって、この――っ」


 怒りを滲ませ、低く唸りながら千世に手を伸ばした。

 パチン、と高い音が鳴る。男の手を、千世が手の甲で払ったのだ。


 千世は、男四人つるんで女一人を責め立てるような連中に屈するつもりはなかった。口の端をゆっくりと持ち上げ、そうしてからひとつ息をつくと、今度は打って変わって厳しい目を男たちに向けた。


「私はこの店の主でございます。受け継いだ時、この店だけは守り抜く覚悟を致しました。私はね、そんな程度の脅しで震え上がるようなやわな女ではございません。あなた方こそ、いい年をして人様にご迷惑をおかけするのはおやめになったらいかがでしょうか」


 ――女の身では、家も継げまい。

 父はいつも千世に対し、そうした思いを抱いていた。


 声に出さねば伝わらないと思っていたのか。

 それほどに千世は愚鈍ではない。事あるごとにそれを感じて育った。そんな父が好きではなかった。

 家に残り、婿を取って家を継いでも、その引け目からは逃れられない。千世はそうして生きてゆくのが嫌だった。町人の自由に憧れた。だから、家から逃げたのだ。


 家から逃げた千世には、もう逃げ場がない。この店だけはなんとしても守らねばと思っている。

 それは、そんな千世と共に来てくれた権六とみつ、新たに雇った行き場のない仙吉のためでもある。これは家とは関わりなく、千世自身が抱えているしがらみであり、大事なものだ。


 だから、何人たりともここにだけは踏み込ませたくない。

 千世は小娘ではあるが、懐剣を帯びて過ごした武家の出である。破落戸程度に臆することはない。

 一歩も引かずに男たちを見据えた。


 ざわざわと人垣が騒ぐ。男たちは千世の気迫に僅かながらに気後れしたことを隠すように、弱い犬が無駄吠えする勢いでがなり倒した。


「生意気な口を利くじゃねぇかっ。いつまでそんなことが言えるか、試してやるっ」


 その怒号が店まで届いたのか、権六が慌てて飛び出してきた。


「千世さま、おさがりくださいっ」

「嫌よ。売られた喧嘩は買わないと」

「誰に習ったんですか、そんなことっ」


 千世の紬の袖口をぐい、と引っ張る権六を千世は軽く振り払い、ずっと男たちから目を逸らさなかった。


「いい度胸だな」


 血走った目が千世に向く。千世はそんな男を睨み続ける。

 男たちがじわじわと千世と権六を囲む輪を狭めてきた。その時――。


「威勢がいいのは結構だがなぁ、女には可愛げってもんも必要じゃねぇのか?」


 飄々とした声が、場の緊張を突き破った。

 破落戸たちがとっさに振り返る。そこにいたのは、蓮二だった。


 上背はあるのだが、やや猫背気味に歩くのが癖だ。骨格は迅之介よりもがっしりと逞しいものの、どこか気が抜けている。小粋な遊び人といった風体のこの男、一応は千世が雇っている奉公人である。


 ただし、住み込みではなく通いであり、休みを与えたつもりもないのだが、来る日と来ない日がある。一日来れば七日は休む、役に立たない男であった。

 そして、千世はそんな男に可愛げについて説かれても、まったく心に響かない。


「蓮二、丁度いいところに来たわね」


 すると、蓮二はがりがりと髷の曲がった頭を掻いた。


「来たかなかったんだが、仙吉のやつが呼びに来やがって」

「あら」


 二階に避難していたはずが、二階の屋根伝いに逃げ出したようだ。

 仙吉は、自分は親に捨てられて行く当てのない子供だから雇ってほしいと言って一年前に月見堂へやってきた。


 着ている浴衣もズタズタの襤褸切れで、肌には痣がたくさんあり、見るからに不憫だったのだ。飲んだくれの親に折檻され、挙句に捨てられたのだろうと憐れに思って雇ったのが始まりだったのだが――。


 しばらくして当の本人がぺろりと口を滑らせたのだ。あんなのは作り話の嘘八百であると。


 仙吉は、角兵衛獅子かくべえじし――小ぶりな獅子ししがしらを被って演じる大道芸の親元から逃げ出してきたのだ。芸を仕込むために打ち据えられては悲惨だったという。やってられるかと思い、逃げ出したとのことだ。


 あれに比べればここは極楽だと泣きつかれてしまい、千世としても放り出すわけにいかなくなった。そうして居ついたのだが、それ故にか仙吉は子猿かと思うほどに身が軽い。


 二階の屋根から下りることなど造作もないだろう。逃げるだけでは申し訳なく思ったのか、助っ人を呼びに行ってくれたようだ。


「その仙吉は?」

「さあな。振り向いたらいなかったぞ」

「まあ、仕方のない子ねぇ」


 と言いつつも、千世は笑いを堪えていた。そんなところも仙吉らしい。

 しかし、自分たちをそっちのけで話し始めた千世たちに、破落戸は気分を害したようだった。


「おいコラ、いい加減にしねぇかっ。助っ人を呼んだみてぇだが、こいつはただの町人だ。あの侍ほどじゃねぇだろうよ」


 そこで千世と蓮二は顔を見合わせた。


「だそうだけど?」

「まあ当りだな。俺は迅之介さんよりマシだ。やる気もねぇ」


 やる気は出してほしい。

 それは蓮二の本音であったけれど、破落戸たちには人を食ったようにしか感じられなかったらしい。苛立ちが見て取れる。


「もういい、やっちまえっ」

「こんな店、潰してやるぜっ」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる男に、蓮二は首を回しながら嘆息した。


「おいおい、潰されちゃ困るんだよ。俺だってたまにゃ働かねぇと干からびちまうんだからな」


 蓮二は軽口をたたきながら、突進してきた男の腕をつかみ、そうして腕を捻って体を転がした。大して力を込めたふうでもないのに、男の体は宙でくるりと回った。


 背後から迫った拳も、軽く身を翻して躱す。すると、蓮二に殴りかかった男は転んでいる男に引っかかり、二人は折り重なるように道端に体を横たえた。その背に、蓮二が膝を沈めると、ぐぅ、という呻きが聞こえる。


 残った男たちは、蓮二も十分に厄介であると気づいたようだった。けれど、あれだけ強がった手前、今さら引けない。顔は引きつっているものの、逃げはしなかった。


 千世は権六と一緒に並んでそれを見物していた。ただ、そんな千世を人質にしようとでも思ったのか、男の一人が蓮二から離れ、こちらに駆けてきた。


「うわぁ、ち、千世さまっ」


 権六が絶叫する。穏やかな権六からはなかなか聞けない大声であった。


 その声に呼応したのは、いつもの野良猫である。影のように黒い体で破落戸の前に飛び出し、割れた裾から剥き出しになっていた脛をばりばりと引っかいた。

 その上、空を飛んでいた烏が、痛みに悶絶する男の頭上に糞を落とした。泣きっ面に蜂とはこのことか。


「権六って、どうしてこんなにケダモノに好かれるのかしらね」


 これは千世も不思議だと常々思っている。権六の行くところ行くところに動物たちはついて回り、異常なまでに懐くのだ。

 まるで権六は動物たちと話ができるのではないかと思う時がある。そんな権六が困っていると、決まって動物たちが加勢に来る。


 他の三人も、やる気を出しているとは言い難い蓮二に適当にあしらわれ、ようやく勝ち目がないと覚ったようだった。


「くそっ」


 鼻血が止まらないようで、破落戸は顔を押さえながら起き上がる。負け犬らしい捨て台詞を吐きつつ、男たちは退散――しようとした。

 しかし、気づけば人垣の野次馬たちは、角材や心張棒などといった思い思いの武器を手に持っていた。


「お前ら、このお店にケチつけてんじゃねぇよ」

「今度来たらただじゃおかねぇぞっ」

「もっと痛めつけて大川に流してやろうぜっ」


 頼もしい限りである。千世はこんな時なのに思わず笑ってしまった。


「皆さん、ありがとうございます。これからもどうぞご贔屓に」


 千世が頭を下げると、わぁ、と拍手喝采が飛ぶ。千世は顔を上げて苦笑した。


「お忙しい皆さんの手を煩わせてしまって申し訳ありません。でも、もう大丈夫ですよ。この方たちもわかって頂けたと思いますし」


 ずたずたになった男たちの方を見向くと、千世は、ね、と言って笑ってみせた。ただし、その顔は弁天娘と評判の娘とは思えぬような薄ら寒いものであったかもしれない。


 男たちはこの店に関わるとろくなことがないと知っただろう。よろよろと体を起こし、逃げ帰ろうとした。

 そしてその時、迅之介が戻ってきた。


 男たちはヒッと声を上げた。それほどに迅之介は鬼気迫る威圧感を放っている。

 今にも刀を抜くのではないかと千世でさえも思った。ギラギラと目を光らせ、刀の柄に手をやりながら駆けよれば、もともと不利であった破落戸たちは絶望した。


 我先にと人垣の隙間を縫って遁走する。その髷を、空から飛来した烏が目の敵にして突くのだから、たまったものではないだろう。

 迅之介はそんな破落戸たちを追うことはなく、ただ千世の前で足を止めた。


「千世、無事か?」

「ええ、見た通りでございますよ」


 心配して急いで戻ってきてくれたというのに、千世はまた可愛げのないことを言ってしまった。それでも、迅之介はほっとした様子だった。

 減らず口を叱られた方が心は痛まないのに、どこまでも優しい。


「俺がすぐに駆けつけたかんな。俺のおかげよぅっ」


 ハハッと笑う蓮二に、迅之介はようやく目を留めた。千世しか見ていなかったのかもしれない。

 蓮二を見た途端、一度はゆるんだ迅之介の表情がまた険しくなった。


「――また来たのか」

「それはねぇでしょう。俺はこれでも月見堂の雇われ者でござんすよ」


 軽く言う、蓮二のそういうところも迅之介には不愉快であるのだろう。蓮二は迅之介よりも少しばかり年長だからか、いつもこんな態度を取られてもゆとりで躱すのだ。

 生真面目な迅之介には蓮二のような適当な男が理解できぬらしい。


「それを言うならもうちょっと働きに来なさいな」


 千世も思わず口を挟んでしまう。

 そんな千世の隣に、いつの間にやら仙吉がいた。にこにこと笑顔を振りまいている。


「千世さま、おいらやりやした。ちゃんと助けを呼びに走りやした。褒めてくださいっ」


 蓮二と迅之介を呼びに行ったのだ。お手柄ではある。


「ええ、よくやったわ、仙吉。あとでお菓子をあげる」


 やったぁ、と喜ぶ仙吉であったけれど、暖簾を潜って出てきたみつがぼそりとひと言。


「我が身可愛さに逃げたのはどこの子だったかしら? 仙吉、あんた、お店の中にいるより外の方がいいと思って出ていったついでに、助けを呼びに行けばもしかするとご褒美がもらえるかもしれないとか考えたんじゃないでしょうね?」

「おぉ、いくらガキとはいえ、恩のある女主を捨てて逃げるたぁな。仙吉、お前さん、ちっとばかし心を入れ替えた方がいいんじゃねぇのかい」


 面白がっているとしか思えないような口調で蓮二がはやす。その間、迅之介がじっとりと仙吉を見ていたから、千世は気が気ではなかった。


「お、おいら逃げたんじゃありやせん」


 しどろもどろになった仙吉を庇いつつ、千世は弥次馬たちにも礼を言うのだった。


「皆さん、ありがとうございました。もう安心です。お騒がせしましたね」


 皆、やんややんやと大喝采である。


「芝居みてぇで面白かったぜ、お千世ちゃん」

「また困ったら言いねぇ」


 そんなことを言っては散っていく。騒動を楽しんでいる節があるのも深川っ子らしい。

 千世は丁寧に頭を下げながら皆を見送った。


 その間も権六は空を見上げている。


「あの男たちは当分寄ってこないでしょうなぁ」

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