第6話
この春先、もうしばらくすると桜が咲く。その頃が損料屋にとって繁忙期なのだ。
江戸っ子は花見にとても力を入れる。そのため、花見の宴席に使用する品を借りに来る客が多い。
重箱や敷物はもとより、花見の宴席で披露するちょっとした芝居などに使う着物や小道具なども損料屋で借りて済ませる。
いかに損料屋でも、客が大勢来たら貸し出す品がなくなってしまうのだ。間に合わず、残り物を借りてちぐはぐなことになるのはよくある話だ。だから、皆が我先にと押し寄せる。
込み合う頃には狸長屋のごたごたが片づいていてほしい。
千世はそう思いながら客をあしらうのだった。
迅之介が友蔵と出ていってから二刻(約四時間)ほど経った頃だろうか。月見堂の中には二人の客がおり、一人は千世が、もう一人は権六が相手をしていた。
この時、ドスの利いた声が外から紺地の暖簾を震わせた。
「おい、店主、出てきやがれっ」
中にいる客人は長屋の女たちだ。荒々しい呼び声にぎょっとしていた。
千世も権六と顔を見合わせる。奥まで声が聞こえたらしく、みつと仙吉も飛んできた。
「な、な、なんですか、今の?」
千世はうぅん、と軽く唸った。
「あれじゃないかしら。太助さんに絡んでる破落戸。迅之介さまのことを調べてここに辿り着いたのかもしれないわ」
「そんなぁ。迅之介さまは出かけられたのに、なんでこっちに来るんですかっ」
そう言って仙吉は顔を歪めるけれど、みつはキッと目元を引き締めていた。
「だから来たのでしょう。迅之介さまがいらっしゃっては返り討ちに遭うだけです。いない時を見計らい、迅之介さまの急所を突きに来たのかと」
太助に絡んでいたところを邪魔され、絡む対象がすげ変わったということだろうか。本当に、暴れられさえすればいいのかもしれない。困った手合いだ。
「しかし、迅之介さまの留守中ですから、なんとかして時を稼がねばなりませんね」
権六は首をひねる。
「蓮二さんの長屋までひとっ走りしてきましょうかね?」
蓮二は迅之介のように剣を使うわけではないが、腕っぷしは強い。ただし、いてほしい時にいないのが常だ。
「駄目ですよ、蓮二さんは糸の切れた凧ですもの。いなかったらどうにもなりません」
みつがため息交じりに言う。
すると、外でがなる声が一段と大きくなった。
「おい、出てこねぇのならこっちから乗り込むぞっ」
仙吉が首をすくめた。そして、タタタ、と梯子段を上がり始める。
「あいすみません。雇って頂いている千世さまにご恩はありやすが、おいら、自分の身が一番可愛いんで」
悪びれもせずにそう言って避難した。
「あ、こらっ。自分の身が一番可愛いなら、身を挺して千世さまをお守りしなさい。じゃないと、迅之介さまが帰ってきてから怖いわよ」
などと言ったみつの声が仙吉に聞こえたかどうかは定かではない。
千世ははぁ、と息をついた。
「とりあえず話してくるわ」
「話の通じる相手でしょうか」
権六がおろおろと慌てふためいている。千世はそんな権六とみつに苦笑した。
「お客さまをお願いね」
「千世さまっ」
千世が出ていかねば破落戸どもは店の中に入ってくる。客がいる以上、表で済ませたい。
それに、表で騒げば近隣の人が助けてくれるか、迅之介なり蓮二なりに知らせてくれるかもしれない。それまで千世が間を持たせられたらいいのだ。
よし、と覚悟を決めて外へ出た。
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