第3話
「あっ、あんた、このお店のお女中かい?」
その二人はどこか似ていた。親子だろう。
父親の方はがっしりとした体格に太い眉をした厳つい四十路ほどの男で、横幅はあるものの、背は低い。
息子は、千世と同じほどの年頃だろうか。父親よりも背は高く、細めであるけれど、顔立ちは似ている。実直そうな若者だ。
ただし、顔には青あざがあった。目の周りと口の端――明らかに殴られてできたものだ。しかし、年若い男ならばその程度、珍しくはない。何せ、喧嘩は江戸の華なのだから。
千世は二人に向けてにこりと微笑む。
「主の千世と申します。ようこそ、月見堂へ。何をお求めでございましょう?」
すると、親子は顔を見合わせ、戸惑った。
「あ、いや――その、人伝に噂を聞いてきたんだが、こんな
と、父親の方がよく日に焼けた
「立ち話もなんですから、中へどうぞ。必ず借りなければならないわけでもございませんし、お話だけでもお聞きしましょうか」
息子の方は奥手なたちなのか、千世の顔をろくに見ず口も利かない。
父親の方が猪首を揺すった。うなずいたのだろう。
「へぇ、じゃあお言葉に甘えて」
二人を中へ誘うと、権六は帳場から出て丁寧に手を突いて迎え入れた。猫は権六のぬくもりの残る板敷の上だ。
「ようこそいらっしゃいました、あたしは番頭の権六と申します。ご用向きのほどは?」
「それを今からお聞きするところなの」
そうして、店先で二人の話を聞くことになる。語り出したのは、やはり父親の方だった。
「あっしらは
狸とは、何が由来となっての名だろう。店子に狸でもいたら面白いけれど。
若輩の千世に
「いや、こいつ――倅が、ちっと前に
丁寧なのは最初だけで、語り出すうちに気が昂って素が出てくる。太助の方が恐縮して縮こまっていた。
「それは大変でしたね。そもそもの喧嘩の理由はなんだったのでしょう?」
そこまでするのならば、向こうにもそれなりの理由があったのだろう。そう思ったのだが、そんなこともなかった。
太助はここへ来て初めて口を開いた。
「顔が気に入らねぇって」
「え?」
「目つきが悪い、こっちを睨んだって――」
大人しいと言った方がいいような太助なのに、難癖をつけられたらしい。それは相手の虫の居所が悪く、たまたまそこにいた太助に当たっただけではないだろうか。
しかし、手を出した以上、引っ込みがつかないのだ。
だからしばらくは、太助を何かと威嚇してその身にわからせてやったという
「その破落戸はどれくらいの数でしょう?」
「多い時だと六、七人になりやす。長屋には子供や若ぇ娘もおりやすんで、まあ怯えて気の毒で」
「それは迷惑なお話ですねぇ」
女子供のような、明らかに弱い相手に強がるような破落戸は、千世も嫌うところである。こうして頼ってきてくれたのだから、力になれたらいい。
「うちの長屋には
「容易に抜いてよいものではございませんから」
弱い者ほど刀をちらつかせて相手よりも優位に立ちたがる。けれど、侍たるもの刀を抜いた以上は相手を斬らねば収まらない。
刀を抜かないのは、佐藤という侍が物を弁えているからだろう。
しかし、太助がチラチラと千世を盗み見ながらこっそりとつぶやいた。
「あの刀は竹光なんじゃねぇかって、皆言ってやす」
「あら――」
そうした疑惑があるらしい。長屋暮らしの食い詰め浪人ならば、それも致し方ないだろうか。
「それは――まあ、そういうこともございますかしら。それで、うちにわざわざお越し頂いたのは、その破落戸をどうにかしたいということでございますね?」
千世は言葉を選びながら穏やかな声音で問う。友蔵はうなずき、太助はうつむいた。
「まあ、それであっしらが扱える武具があればいいと思いやして。普通の損料屋じゃそんな物騒なもん、貸してくれねぇでしょう? ここは
思っていた店とは違ったと言った友蔵の言葉が思い出される。
店主は若い娘で、番頭はのんびりとした面構え。二人が落胆したのも無理はない。
けれど、千世はそんな二人に向かってフフ、と笑ってみせた。
「そんな物騒なものをお貸しすることはできませんけれど――」
二人とも、やっぱりかというふうに顔を見合わせていた。その時、ずっと黙って聞いていた権六が、千世のそばでこそりと言った。
「
迅之介はこの損料屋の男手である。
その他にもう一人、
いや、むしろ、ふらりとやってくると言った方が正しい。いないことが多い役立たずである。
一方、
武家の次男、部屋住みの冷や飯食らいではあるものの、武家の子息であるのだ。部屋など家に余っている。
それでも帰らないのだから、ここで飯を食べている分くらいは働かせても
「ええ。呼ばなくとも来そうだけれど」
きっと、二階で下の様子を窺っている。迅之介はそういう男だ。
段梯子をほとんど音も立てずに降りてくる、小ざっぱりとした若侍に千世は目を向けた。
千世よりも三つ年嵩の、小さな頃から親しんできた相手である。
千世が実家を親族に譲り身を引いた時、縁が切れるはずであった。それがこんなところまでついてきた、酔狂な男だ。
とは言うものの、士分の侍である。それ相応の品はあり、目鼻立ちは整って涼やか。そうした風貌に似合わず、
「迅之介さま、少々よろしゅうございますか」
千世が声をかけると、迅之介は軽くうなずいてそばに来た。友蔵と太助がピリリと緊張したのが伝わる。
いかに長屋で佐藤という浪人と慣れ親しんでいても、浪人は仕官しておらず、厳密には武家ではない。本物の大小を差した若侍が現れたのだから、二人とも気が張るのは仕方がなかった。
千世はそんな二人の緊張を和らげるため、やや朗らかな口調を保った。
「こちらは友蔵さんと太助さんと申されます。このところ、破落戸に絡まれて困っているそうなのです。迅之介さまならば助けて差し上げられるかと」
「――俺に用心棒をせよと申すのか」
迅之介はにこりともせず、整った顔立ちを二人に向けた。慌てたのは二人の方だった。
「い、いや、こんなご立派なお武家さまに無茶言っちゃいけやせんっ」
友蔵が大きく手を振り、首を振り、上がり框から転がり落ちそうになった。迅之介が怒っているように見えたのかもしれない。
けれど、怒ってはいない。これが平素だ。
長い付き合いの千世にはそれがよくわかっている。
「お願いできますね、迅之介さま」
千世はすっかり恐縮してしまった二人を尻目に、迅之介に有無を言わさぬ笑顔で言う。これには迅之介の方も慣れたものである。
「千世がそう申すのならば手を貸そう」
あっさりと承諾した迅之介に、二人は気が抜けてしまったようだ。ぽかんと口を開けている。そうしていると親子は殊さらによく似て見えた。
「これで安心です。さ、借り賃ですが、いかほどに致しましょうか。まあ、一日百六十文として、何も起こらなければ百文で結構。残りはお返しするというところでいかがでしょう? とりあえずは様子見で」
パン、と軽く手を打ち、千世はその場を仕切る。
「わかりやした、お願いしやす」
友蔵は帳面に記入すると、懐からジャラリと穴空き銭を取り出して支払った。権六がそれを恭しく受け取る。
「はい、確かに」
「では、迅之介さま、よろしゅうお頼み申し上げます」
うむ、と小さく答え、迅之介は背筋をしゃんと伸ばし、さっさと表へ出た。
友蔵と太助は取っつきにくい迅之介に不安を覚えたのか、困惑気味の目を千世に向けてくる。千世は微苦笑してみせた。
「迅之介さまは寄ってたかって人をいたぶるような手合いはお嫌いですから。ご心配などなさらなくとも、ちゃぁんと守ってくださいますよ」
「へぇ――」
二人は迅之介に続いて店を出ていった。
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