#4



さすがによく眠れなくて、明け方になってすこしまどろんだだけだった。そして夢の中で銃で撃たれて、飛び起きた。夢というのは精神状態の鏡だ。俺の不安がそのまま反映された夢だった。まだ二人は起きていないようだった。外は明るくなっている。俺はロッジを出て、外を確認することにした。ロッジの前に乱暴にレクサスが停められていた。高級感ある黒のセダン車だった。A県のナンバーがついていた。東北からこの車を持ってきたのだろうか?

「どうした?」

後ろから低い声がして、俺は思わず肩を飛び上がらせて、ふりかえった。男の方だけが玄関に立っていた。

「この車で来たのか」

頷く。スタッドレスタイヤだけだった。俺だったら絶対にチェーンを巻くが、しかし最近のスタッドレスは進歩しているというから、スタッドレスだけでもなんとかなるのかもしれない。それでも命知らずなことには変わりない。おそらく二十代のこの若者に、長い運転経験があるはずがなく、チェーンがいいかスタッドレスがいいかなんて考えたこともないのだろう。

「どうやって北海道まで持ってきたんだ?」

「フェリー」

ぶっきらぼうに答えた。

「レクサスなんて、高かっただろう」

「やっぱ高いのか?」

「俺もよく知らないが、まあ高いんだろうな。親の車なのか?」

値段を知らない、ということは自分で買った車ではない、じゃあ親なんだろうか、と思ってそう聞いた。

「まさか。俺の親にそんな金ないって」

「じゃあどうしたんだ」

「とった」

「盗んだのか?」

「盗んだっていうか……道にいたやつを、運転手がいたから、そいつを引きずりおろして、そのまま」

要領を得ない説明だったが、強盗した車らしい。

「通報されてるんじゃないか?」

「大丈夫だろ。そいつのことは殺したから」

冗談で言っているのではなさそうだった。俺はもっと詳細を聞きたかったが、どう質問したらいいのかわからなかった。

「一応だな、駐車場があるんだ」

「暗くてわからなかった。そもそも、この建物なんなんだ?」

「スキー場だ。といっても、開店休業みたいなもんだが……」

「は?」

開店休業、の意味が分からなかったらしい。

「オープンはしてるんだけど、客はほぼ来ないってことだ。宣伝もしてないから、客が来ることはほぼない」

男は怪訝な顔をした。

「そんなスキー場があるのか?」

「そうだな。俺も聞いたことがないよ。でもここがまさにそうなんだ」

「ふーん」

補助金の話まではする気にはなれなかった。

「しばらくここにいることになるのか?」

俺がそう聞くと、男の目が泳いだ。

「たぶん。それを決めるのは俺じゃないけど」

どうやら女の方が決定権を握っているらしかった。

「じゃあ、駐車場に停めといてくれるか」

「わかった」

そう言って、男は一度ロッジに戻って、鍵を取ってきた。車に乗って、バックして方向を変えようとしたが、何度も切り返しては全然方向を変えられなかった。そんなに難しい条件ではなかったが、ハンドルをどう回したらどうバックするかがわかっていなくて、そのうちに建物に当たりそうになって、それを避けるために変な角度に直進して、一向に駐車場に行けそうになかった。さすがに俺は車に近づいていって、窓をノックした。

「大丈夫か?」

「代わりにやってくれないか?」

「わかった」

レクサスの車内は上質な革張りのシートで、バックするとモニターに後部が映った。俺はバックで左方向へ直角に進んで、そこから右折して、駐車場に行って停車した。何も難しくはない運転だったが、男はよほど慣れていないのだろう。盗難車と言っていた言葉が信憑性を増した。近くで車をよく見ると、無数にすり傷やへこみがあった。

俺は鍵を持って、ロッジに戻った。

「あそこに停めた」

そう言いながら鍵を返した。ロッジからは駐車場が一段低くなっていて、様子が見渡せるようになっていた。

「ありがとう」

男は素直に礼を言った。

「車の運転、慣れてないのか?」

「免許持ってないからな」

冗談を言ったのかと思って、俺は「はは」と小さく笑った。


三人で黙々と朝食を食べた。トーストとハムエッグ。本当はトマトとレタスを添えたかったが、さすがにもうストックがなかったので、切り干し大根を添えた。

「コーヒー、要るか?」

「要らない」

二人ともコーヒーは飲まなかった。沈黙が気まずかったので、テレビをつけて、

「好きなチャンネルを見てくれ」

とリモコンを渡した。ただ興味なさそうにチャンネルをまわして、最初のニュースに戻した。朝のニュースを久しぶりに見たが、相変わらずどうでもいいことを流してるなと思った。二人は出されたものを完食した。聞きたいことは色々とあったが、二人があまり喋らないので、俺もつられて黙々と食べて、黙々と後片付けをした。皿を洗いながら、この後どうすべきか考えた。通報する、逃げる、戦うという選択肢が消えて、様子を見ようという思いが更に強くなっていた。向こうもこちらが危害を加えなければ、大人しくしていそうだった。リビングに戻っても、二人は座ったままだった。

「一応、建物を案内しようか」

二人を連れて、ロッジの中を案内した。

「ここがキッチン、まあここは昨日も来たな。もし料理したければ勝手にやってくれ。ここがトイレ。こっちが風呂場。お湯はめったに張らない。で、ここに洗濯機。洗い物があればこのカゴに入れておけば一緒に洗おう。小さいけど、乾燥機もある。乾燥機入れられないやつはその辺にハンガーで吊るしてくれ。そっちの部屋は、まあ、良く言えばトレーニングルームだな。もし体動かしたければ、好きに使ってくれればいい」

そして階段をのぼって、二階に行く。

「寝室は……もう知ってるか」

「なんであんた一人で住んでるのに、あんなたくさんベッドあんだ?」

男の方が聞いてきた。

「昔はここでたくさんバイトが働いてたんだよ」

「ふーん」

設備の案内をしていると、その頃の懐かしさがよみがえってきて、鼻の奥がつんとした。

「基本的には好きに使ってくれていい。寝室の前の廊下を奥に行ったとこが俺の個室だから、そこ以外の部屋は自由に出入りしていい」

「ありがとう」

女の方が礼を言った。

「今日はどうするんだ?」

「そうね。これから考える」

女は思慮深いのか、何も考えていないのかわからなかった。どちらにも見えた。

「そうだ。名前だ」

「名前?」

「そう。このままじゃなんて呼んだらいいのかわからん」

「俺たちが呼び合うことなんてないだろ」

と男が言いかけたところで、女が喋りはじめた。

「たしかにね。彼は木下リュウ。私は有村……今は木下リキ」

男の方が、おいおい、という顔で見ていた。

「リキ? どういう漢字だ? 力?」

「あはは、そんなわけないでしょ」

否定はしたが、正解を教えてくれるわけではなかった。

「今は木下、ってことは結婚してるのか」

「そう。私たち夫婦なの」

男も頷く。

「木下夫妻ってことだな。じゃあ、しばらくよろしくな」

俺がそういうと、女はおかしそうに笑った。何が面白いのかはわからなかった。


夫婦は一階におりて行って、俺はそのまま自分の部屋に行った。そこでノートパソコンを立ち上げて、二人のことを調べた。名前を聞けたので、すぐにわかるだろう。「A県 殺人事件」で調べたが、昔の殺人事件が出るばかりだった。県警の「未解決事件」というページがあって、開いてみたが、これも十年以上前の殺人事件が三件載っているだけだった。検索ワードが悪いのかもしれない、と思って、「強盗」だとか「犯罪」だとかで調べなおしたが、やはり出なかった。「木下リュウ」と「有村リキ」、念のため「木下リキ」も調べてみたが、全然別人が出てくるばかりだった。こういうときにインターネットの検索というのは役に立たない。新しくて重要な情報というのは、インターネットに落とされないものだ。こういうときのために、テレビのくだらない犯罪報道でもちゃんと見ておけばよかった。いや、それも違うか。あれも結局視聴者の感情を煽るために犯罪をピックアップしているから、全て網羅しているわけではない。それから三十分は調べたけれど、結局正体のわからない夫婦という状態から変わることはなかった。


昼時になった。俺は朝と昼は同じになることが多い。外に出れないぐらいの雪の日は、体も動かさないので、腹も減らない。ただ客がいると、朝昼晩と取らなければいけないような気持ちになった。一階のリビングにおりると、それまで何か話していた二人がぱったりと喋るのをやめた。洗濯機を回しに洗面所に行った。二人の服は出ていなかった。自分の分だけを洗うことにした。俺の服は全部乾燥機でいける。というか乾燥機で縮んだり破れたりして着られなくなった服は捨てるので、今着ている服は試練を勝ち抜いた精鋭たちだった。リビングに行って、二人に声をかける。

「昼、食べるよな? 蕎麦でいいか?」

「うん」

俺は鍋で乾麺の蕎麦を茹でながら、三食まじめに考えるのはめんどくさいなと思った。自分の献立に関してはテキトーにやっているが、人に食わせるものとなると、缶詰と酒で済ませるわけにいかない。

三人であたたかい茹でそばを黙々と食べた。俺は七味をかけて、二人は要らないと言った。今後この共同生活が続くのなら、二人の素性は明らかにしておきたかった。しかし問いただすのも良くない。今までのやり取りからして、向こうがまともに答えてくれるとは思えなかった。俺が逆の立場でもそうする。なんとか情報を上手く聞き出せないか考えたが、何も出てこなかった。だいたいこの数年、まともに人間と会話していない俺に、そんな高度な情報戦ができるわけがなかった。

しかし無口な夫婦だった。いや、俺の前だからそうなのかもしれない。年だってもう親と子供ぐらいの年齢差だろう。今の状況を差し引いても、互いに共通の話題なんてなかった。二人の思考回路を読もうとしても想像もつかなかった。どんなテレビ番組を見て、どんな音楽を聴いて、どんな学園生活を送って、どんな過程を経てこんな山奥まで流れ着いたのだろうか。

こういうとき、俺の身につけた処世術は、とにかくムリに距離を縮めないことだった。とりあえず生活をする、ということ。時間はかかるが、それが一番いいのだった。壁のあるリゾートバイトの若者も、共同生活を送りながら、互いに心地いい距離感を見つけることができた。そういうときに壁が溶けるのを感じた。そう。溶ける。溶ける感じが一番いい。壁をむりやり破ったときは、結局距離が急接近した後で、じりじりと離れないといけなくなる。

「ねえ、充電器ってない?」

「充電器?」

女の方が俺に聞いてきた。

「何の充電器だ?」

「CDプレイヤー」

実物を見た方が早そうだったので、持ってきてもらった。それはまたえらく古いCDプレイヤーだった。昔よくあった、CD一枚分の大きさの、持ち運び式のものだった。iPodに駆逐されて、そのiPodもスマートフォンに駆逐されたはずだった。

「動くのか?」

「壊れてないはず。電池が切れてるだけ」

たぶんもうメーカーに修理を依頼しても断られるだろう。

「車にアダプタ置いてないのか?」

「家に置いてきちゃった」

規格については俺もよくわからないが、この手のアダプタならどこかにありそうだった。

「ちょっと待ってろ」

二階の物置に行って、コード類を探すと、合いそうなアダプタがあった。そしてCDを再生できる、これまた古いラジカセを見つけた。家で聴くならこっちのほうがいいだろう。

「アダプタと、あとこんなのもあった」

「うわ、懐かしい」

長いこと埃をかぶっていたラジカセをテーブルに置いた。

「動くかはわからんが、好きに使ってくれ。家で聴くなら、スピーカーがあった方がいいだろう」

「ありがとう」

「しかし、イマドキ音楽聴くのなんて、スマホで聴けばいいんじゃないか?」

「このアルバム、なぜかサブスクになくて。というかスマホ持ってないし」

「なんでだ?」

「捨てた」

女はいたずらっぽく笑った。

「足がつくでしょ?」

「あ、ああ」

夫婦は案外最初から何も警戒していなかったのかもしれなかった。俺が一人相撲で勝手に警戒しているだけかもしれない。


皿を片付けて、洗濯物を乾燥機に放りこんだ。そして物置の中に何着か予備の服があったのを持ってきた。リゾートバイトが帰るときに要らなくなった服を置いていった。そういう服をまた翌年にくるバイトのために溜めていた。着古しの服であっても、状況によっては役に立つことがそれなりにあった。夫婦はまだリビングにいた。

「なあ、その服、洗わないか?」

元々俺は臭いに敏感な方ではある。正確には自分はどれだけ臭くても構わないが、周りの臭いに敏感という自分勝手な人間で、二人の臭いには我慢ならなかった。

「この服、着ていいからさ」

「おじさんの服?」

「いや、俺のじゃなくて、昔のバイトが残していったやつだ。もちろん洗ってはあるよ。タンスの中でだいぶ眠ってたものではあるけど、今お前らが着てる服よりはマシだろう」

「……じゃあ着る」

女はそれでも嫌そうだった。知らない男の服を着るのは、確かに抵抗があるかもしれない。

「あと、その、風呂に入れ」

「風呂? 今から?」

男が驚いたように言う。

「今じゃなくてもいい。とにかく今日。晩飯の前がいいだろう」

男は女の方を見た。二人の表情から、服とか風呂とかを突然薦め出して、女の裸に興味があると邪推されたのではないかと察した。

「いや、別に、どうしても入りたくなければいいんだ。ただ、何日も入ってないように見えたから、良ければどうだ、と思ってだな」

「そうね。長い間、まともにお風呂入ってないから、入りたいな」

「ただ風呂といってもだな、シャワーだけでいいか?」

このロッジの風呂は大浴場なので、お湯を張るのに時間もかかるし水道代もかかる。ここ数年お湯を張ったことがなかった。風呂洗いで十分、お湯を張るのに二十分。入浴時間が五分。バカバカしい。車ですこし走れば、銭湯だったり旅館が温泉の日帰り入浴をやっていたりする。そっちを使う方がよほどマシだった。

「え、なんで?」

「ここの風呂、とにかくデカくてだな。お湯張るのが大変なんだ」

「ふーん」

男は湯船に浸かりたくて聞いてきたのかと思いきや、単純に疑問だっただけらしい。


夕方になって、二人はシャワーを浴びた。俺は夕食の準備をしている途中で、チラッと様子を見にいって、驚いた。女がシャワーを浴びている間、男がドアの前に片膝を立てて座っていた。CDプレイヤーで何か音楽を聴いていたが、鋭い眼光で俺を見てきた。俺は慌てて、何も見てないような顔をして、夕食の準備を続けた。きちんと視認できていないが、奴の手元には拳銃があったはずだ。冷や汗が出た。そんなつもりではなかった。もっと軽い気持ちで、何か困ってないか観察しただけだった。夫婦の隙だらけの様子ですこし油断してしまった。もし俺が妙な動きを起こすのを、向こうはきちんと警戒していた。

鹿の肩肉を昼のうちに解凍しておいた。それをブロック状に切る。そしてにんじん、じゃがいも、アスパラガス。アスパラがまだ残っていたのは良かった。寸胴鍋に油を引いて、まず肉に火を入れる。そのあとでにんじん、じゃがいもも加えて、軽く炒める。全体的に火が通ったら、アスパラガスを入れて、水を加える。沸騰したら弱火にして、しばらくそのまま煮る。煮えたらカレーのルーを投入して、おたまで混ぜながら溶かす。鹿肉カレーの完成だ。米は多めに五合炊いていた。ちょっと多いかとも思ったが、一人一合食べるとして、明日の朝に残りを食べればいいだろう。

風呂場の驚きも、料理をしているとだんだんおさまってきた。そうこうしている間に、二人もシャワーを終えた。

「おっ、カレーじゃん」

男が言った。リゾートバイトを受け入れてるときも、親みたいな気持ちになったが、今は二人しかいないので、特に子供にメシをつくってるような錯覚を覚えた。二人の準備ができたら、夕食を準備した。俺は冷蔵庫からビールを取り出す。その間にもう夫婦はカレーを食べはじめていた。

「飲むか?」

「いや、要らない」

「そうか。二十歳は超えてるよな?」

二十代前半ぐらいに見えた。ただこのぐらいの年代の若者の年がもう推測できなくなっている。最近の三十代でもずいぶん若く見えるのがいる。

「二十一だよ」

「本当か?」

冗談かと思いたくなったが、冗談ではなさそうだった。男は黙って頷いて、鹿カレーの残りをかきこんだ。

「若いなあ……」

そう言うしかなかった。

「おかわり」

そう言って皿を出してきた。えらく早かった。一杯目と同じ量を盛る。自分のつくった料理をたくさん食べられると嬉しい。俺は自分でも鹿カレーを食べて、ビールを流しこむ。鹿肉の旨みがカレーの中に溶けていて、絶品だった。カレー自体はただの市販のルーだが、それでもこれだけ美味しくなるのか、と思った。

「私もおかわり。半分ぐらい?」

女もおかわりして、そのあとで男ももう一杯おかわりしようとした。結局夫婦二人で四杯分食べたことになる。

「おいおい、もうないよ。あるだけでいい?」

「うん」

ルーはまだ残っているが、米はすっかりなくなってしまった。明日また炊けばいいが、それにしても驚くべき食欲だった。

「そんなに腹減ってたのか」

「別にそうじゃない。美味かったから……」

男はそう言っておかわりを受け取った。悪い気はしなかった。

「ははは。美味いよなあ。この鹿、昨日獲ったばかりなんだ」

笑いながら、すこし涙が出た。なんの涙なのかは自分でもわからなかった。

「おっさん、猟師なのか」

「まさか。猟はただの趣味だよ」

男は半分ほど盛った三杯目もペロリと食べた。


こうして恩を売っておけば、二人も俺に利用価値があると思って、ヘタなようにはしないだろう。もしかしたら穏便にすむかもしれない。そんな打算を、俺は後から付け足した。俺がなぜこんな行動をしたのかというと、結局のところ、ずっとさみしかっただけなのかもしれなかった。


(続)

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