#2

リフトはガタガタと不安な音を立てながら、それでも動きはじめた。良かった。冬の澄み切った空に向かって、等間隔に並んだ椅子が行儀良くのぼっていった。ろくにメンテナンスをしていなかったが、それでも動くは動くようだった。

「良さそうですね」

北海道庁から派遣された調査員が言った。数年前は役所のスーツを着た人間が二人組で来ていたが、コストカットで業務委託になって、今では素性の知れない男が来ている。薄汚れたジャンパー姿に分厚いメガネをかけた、住宅街を歩いていたら職務質問を受けそうな雰囲気の男だった。「道庁から調査で来ました」としか言わないので、名前も知らない。俺も別に聞かない。

営業実態がない施設だったが、それでも助成金が出ているので、こういった視察が毎年入る。書類に書かれている情報と現地が一致しているかが重要で、特にリフトが稼働するかどうかだった。それだけがこの施設をスキー場だと言い張る論拠だった。スキー場にはリフトがある。リフトがあるからスキー場である。

もっとも去年はその稼働に失敗している。電源を入れて、数分は動いたのだが、途中で何かの安全装置が作動して、止まってしまった。俺は冷や汗をかきながら、古びたマニュアルを見て、よくわからないボタンやレバーをいじくりまわしたが、どうしても動かなかった。ただそれでも調査員の男は、

「後でちゃんと動くようにしておいてください」

と言って、審査を通してくれた。その場では安心したけれど、後になってから「動かなくてもいいのかよ」という気持ちになってしまった。

どうも道庁側も、一度登録済みのリゾート業者にNGを出すというのは、大変な手続きになるようで、少々の落ち度であれば許容してくれるという裏があるらしい。NGになる場合、相当なことが起こらないとダメで、たとえば「人命に関わる事故を起こす」などがわかりやすい。これならば一発アウトだ。客が一人もいないこのスキー場だと、どんなにリフトが老朽化しても事故りようがない。たぶん視察のときにワイヤーが切れて、運んでた椅子が全部落ちても「後で直しておいてください」でお咎めなしかも知れない。

「それにしても、晴れてくれたのは良かったですね」

調査が終わって、ゲレンデから駐車場へ歩きながら、俺から世間話をふった。

「ええ」

「今年はちょっと初雪が早かったので、今日積もっちゃったらと思って心配だったんですよ」

「この辺の道はひどいですからねえ」

調査員は今日はじめて笑った。他の施設の調査もしていると思われるが、その中でもここの山道はひどいのだろう。俺は相手に合わせて笑った。

「本日はありがとうございました。もしお時間あれば、ロッジの方でお茶でもどうですか?」

「いえ、この後も仕事がありまして……失礼します」

スーツ姿の公務員が来ていたときは紅茶を飲んでいったが、業務委託の彼になってからそのまま帰るようになった。余計なもてなしを受けるなと言われているのかもしれない。コストカットが進むと、なぜか余裕も失われていく。それは人間的ではないような気もするが、俺に語る資格もない。「冬山に客人が来たら、とにかく温かい飲み物を出してもてなせ」というのは、俺が二十代だった頃に教えられた、リゾート業に携わる人間の心構えだった。それももう古いのかも知れない。そして俺が時代遅れの教えを守っているのは、単純に人恋しいだけなのかもしれなかった。


一年で一番大事な仕事を終えて、俺はロッジに戻った。テーブルの上に紅茶用の茶器が置いてある。やかんでお湯を沸かして、紅茶を入れる。国道沿いの中古品売り場で買った、良さそうな茶器だった。白い陶器に、花があしらわれている、女性的なデザインだった。俺のようなむさ苦しい男には不似合いな代物だったが、こういうものが生活の中にあると華やぐ感じがして、案外好きだった。ハチミツを入れた紅茶をゆっくりと飲んで、リラックスする。やらなければいけない仕事はまだ残っていたが、急ぐことはなかった。

紅茶を半分ほど飲んだタイミングで、立花さんに電話をかける。おそらく出ないだろうと思っていたら、案の定出なかった。それから少し待っていると、すぐに折り返しがかかってきた。

「さっきは出れなくて悪かった」

形式的な謝罪があって、本題に入る。役所の視察が来て、問題なかったことを報告。

「そうか。ありがとう」

俺がここの管理人を続けられているのも、立花さんとの関係があるからだ。このスキー場の買収の歴史は説明し始めると複雑だ。元々日系の大手が保持していて、俺はそこの社員だった。経営が悪化して、施設売却となったときに買い取った外資系ファンドの担当が立花さんだった。そこから東南アジアの会社、日本のベンチャーを挟んで、今は中華系の会社に所有権が移っていった。どういうスキームになっているのか全くわからないが、所有権が変わっても、俺が会話するのは立花さんとだった。立花さんは外資系ファンドから独立して、個人不動産ブローカーになっているやり手だった。現在はマレーシアに住んでいる。

「あとは例年通りやってくれればいいから。視察さえ通っていれば、認可の継続も問題ないだろう」

なぜ行政が助成金を出し続けているのかが不思議でならないが、それは立花さんのテクニックによるものだった。役所に書類を通す、というのはある種の専門技術で、それさえあればクアラルンプールの豪邸に住めたらしい。学校で教えてくれない技術の一つだった。四度の施設売却のタイミングで、俺を切るかどうかを検討することになった。そのたびに立花さんは俺の雇用を守ってくれた。おかげで少なくない給料をもらうことができている。施設自体はビジネスとして利益が出ているわけではないが、なにせ人件費が一人分ということが大きい。

「施設管理費さっぴいても大幅な黒字だよ。だから必要経費は強気で請求してくれ。そして視察だけは絶対にボロを出さないように、な」

と以前立花さんが言っていた。おそらく本当なのだろう。昔は恐ろしく早口で、しかも通話アプリの音質が悪くて聞き取れないことも多かったが、近年は余裕が出てきたのか、喋るペースが人並みになった。直接会ったことはない、電話とメールだけのやり取りがこんなに続くとは思わなかった。

「どうだそっちは? もう雪は降ったのか?」

「はい」

「ちょっと早いんじゃないか?」

「今年は例年より早かったですね」

「そうか。設備は大丈夫か? もし老朽化してる場所があれば、ちゃんと申請して補修してくれよ。もし本社がめんどくさいことを言ってきたら、俺に言ってくれ」

「ありがとうございます」

立花さんは前置きなしでいきなり本題について話して、その後で雑談をする、という順番を好む。

「そうだ。一番大事なことを聞いていなかった」

「大事なこと?」

「健康の話だ。病気なんかしていないか?」

俺は親戚とでも話してるような気持ちになって、かすかに笑った。

「大丈夫です。頑丈だけが取り柄ですから」

「俺もそうだが、二人ともいい年だからな」

俺は立花さんの年を知らない。たぶんすこし年下だろうと推察しているが、確信はない。大きな病気はないものの、あちこち体の不調は出ている。謎の頭痛はしょっちゅうあるし、肩が痛いだの、膝が痛いだの、胃がムカムカするだの、今日は100%健康体、という日はほぼない。

「立花さんは平気なんですか?」

「俺か? 実は今年……夏に一回手術してな」

「えっ、知りませんでした」

「手術っていっても、重いもんじゃないよ。大腸ポリープをとってもらっただけ。日帰りの手術だ」

「海外の手術って高いんじゃないですか?」

「住民票は日本に残してるから、手術のために一回帰国したんだ。マレーシアも医療水準は大手の病院だと信頼できるんだが、そうなると高額なんだ。医療保険も入ってはいるんだが、計算してみたら日本に帰る方が圧倒的に良かった。日本の国民皆保険制度は優秀だよ。おっと、別の電話が入ったみたいだ。それじゃあまた、何か困ったことがあったらいつでも連絡してきてくれ」

ちょうど話が盛り上がってきたところで、立花さんは電話を切った。すごく話したような感覚になるが、時間を見てみると十五分ほどだった。


それから軽い昼食をとった後で、ノートパソコンを立ち上げて、書類仕事をした。会社に対して報告書を書く必要があった。会社は中国資本だったが、日本語で構わない。海外資本に所有されるようになってから、報告書はどんどん内容が簡素化されていった。それでもゼロになる、ということはなかった。何かしらの書類仕事が発生した。会社は中華系だったが、俺の書類を読むのは日本人だった。有名ではない会社だったが、それでも日本法人があって、少なくない日本人を雇用していた。最低でも一往復のラリーがあって、書類が承認される。管理職というのは、どんなに問題がない書類を書いても、一度つき返すことでしか自分の存在を示せない生き物だ。自分の存在を証明するために差し戻す。差し戻すときにだけ生の実感を得られる。

俺は別に何度差し戻されたって構わなかったが、それでも妙に没頭して、今日の視察についての文章を何度も何度も推敲した。文章というものに俺は妙なこだわりを持っている。会社で要求される文章は大したものではなかったが、それでも誰かに必ず読まれる文章だった。山での生活は、自分から何かを発信して、他人から反応が来るということがほとんどなかった。なので今日はたくさんの人間と話して、少し高揚していたのかもしれない。視察にせよ立花さんにせよ、ごく事務的な話をしただけだったが、それでもずいぶん違うものがある。

気がついたら一時間以上たっていた。こんなどうでもいい書類に対して一時間もかける自分に苦笑いしながら、続きは明日にすることにした。仕事をするときはロッジの大広間で行う。詰めれば二十人は座れる大テーブルが、今は椅子が間引かれて十個置かれていて、その一つに座っていた。昼でも石油ストーブは稼働させている。大広間には雰囲気のある暖炉があったけれど、ほとんど飾りだった。薪を入れて火をつけることはできたが、まず薪の調達が面倒で、もうずいぶん稼働していない。俺はストーブを止めて、風呂場へ向かった。

かつてスキー場が営業していた頃、このロッジは客向けの宿泊施設だった。一階が食事処で、二階が寝室だった。しかしほとんどの客が日帰りで、他のまともなホテルに泊まってしまうので、やがてレストランに変わった。一階部分はレストランとしては小さいのだが、ゲレンデにあるメインのレストランのサブとして運営していた。やがていよいよ経営が危なくなったとき、リゾートバイトの受け入れがはじまった。その頃になると俺が一番の古株になっていて、バイトの面接なんかもしていた。親会社が日系ベンチャーだった時期だ。日系企業は人を大事にして、外資がドライというイメージに反して、日系企業の方がひたすらに人件費を切り詰める思想があった。むしろ日本の経営者はそれしか知らないようにすら見えた。末端の従業員の給料を少しでも減らして、優秀な経営層の給料を上げる、カルロス・ゴーン方式が浸透していた。言っていることは「地方創生」とか「北海道の魅力を世界に」とか、すばらしいキャッチコピーを掲げていたが、やっていることは結局安く働く奴隷を集めて、小銭を稼いでいるだけだった。非現実的な数値目標と何のノウハウもない口が上手いだけの若手社員と、無意味なコミュニケーションをすることになった時期だった。

しかしリゾートバイトの有象無象が集まって、一つ屋根の下で暮らしている時期は、今になってみるとけして悪くなかったように思えてくる。一人で暮らすには、このロッジは広すぎる。もちろん当時はそんな風には思えなかった。元々人と関わるのがヘタな俺が、人間関係を調整する仕事をしなければいけなかった。しかもリゾートバイトに申しこんでくるのは、人生のどこかで社会から弾かれた人間ばかりだった。

普通のバイトの面接であれば、明るくハキハキ喋る人間を採用するのだろうが、そういう人間はかえって危なかった。一人、明る過ぎて落とした人間がいる。茶髪で整った顔をしていて、喋りも明るく落ち着いていて、経歴も都内のいい大学を出ていて、第一印象がやたら良かった応募者がいた。即採用でも良かったのだが、俺は何か引っかかりを感じた。ウチに応募してくるにしては良すぎる、と感じたのだった。その人物の名前をネットで調べてみると、学生時代に性犯罪でニュースになっていた。それで、慌てて不採用にした。そんな奴を住みこみで働かせたら、どんな事件が起こるかわからない。

その一方で、当然、暗すぎれば仕事に支障が出る。人と関わらない仕事もそれなりにあるが、結局従業員同士で最低限情報伝達しないといけない。面接の段階で会話にならない応募者はそこそこいた。

「どうして応募したんですか?」

「……書類に書いた通りです……」

「もちろん読んでますが、口頭でも言っていただいていいですか?」

「スキーが好きだから……」

「……書類には、リゾートバイトを通して、人を楽しませたいと書いてありますが」

「同じことです」

さすがにこの手合いは不採用にせざるを得なかった。声が小さいとか、見た目が悪いとか、年食ってるとか、そんなことは目をつむった。普通に働ければいい、くらいの足切りだった。当時は長い就職難で、とにかくろくな職歴がない若者が多かった。この足切り基準で集めた、二十代〜三十代くらいのバイトは、すごく仲良くなることもなかったが、すごく問題が起こることもなく、無難に終わった。人間関係のトラブルも、誰と誰の仲が悪くなったから一緒に組ませられなくなった程度のもので終わった。そもそも冬のスキーシーズンが終わってしまえば全員解散なので、人間関係に亀裂が走っても、一冬越せばリセットされる。

当時のロッジは、海外のバックパッカーが集まるドミトリーみたいな雰囲気だった。お互いに不干渉で、必要があれば協力する。互いのテリトリーを尊重する。別に俺が何か言ったわけではないが、自然とそういう文化ができあがっていた。夜になると、基本的には俺が十人分の夕食をつくった。素人料理だったが、それなりに好評だった。大広間で、バイトがそれぞれ思い思いに夕食の時間を過ごしている光景は、今でも時折ありし日の幻影みたいに思い出して、さみしい気持ちになる。仲の良いもの同士でくだらないことを喋りながら食べる者、自費で買った酒を飲みながら食べる者、食事中ずっと携帯をいじっている者、黙々と食べて誰よりも早く寝室へ消えていく者。きっと学校の先生が給食の時間を過ごしているときも、こんな風に見えていたに違いない。


俺はシャワーを浴びた。風呂はめったに入らない。なにせ大きすぎるので、風呂に湯を張ろうとすると、それだけで大変な水道代になる。珍しく二日連続でシャワーを浴びたが、普段は三日に一度入るくらいだ。シャワーに入る基準は、体が汚れているかどうかだった。あまり外に出ていない日は入らなくても問題ないだろう。シャワーから出ると、日が沈みはじめていた。日が短くなっているのを感じながら、すこし早い夕食の準備をはじめた。

料理をするようになったのは、大学進学で上京したとき一人暮らしをはじめたときからで、就職してから必要に駆られてキッチンに立つようになった。何か料理の勉強をしたということはないのだが、本やネットのレシピを吸収して、ちょっとしたものがつくれるようになった。今日は色々と仕事をがんばったので、そのお祝いとして肉料理にした。付け合わせに玉ねぎとじゃがいもを切って炒める。それとレタスがまだあるので、ちぎって別皿に盛る。葉物は買い出しに行ってすぐじゃないと食べられない。雪が続く時期になると、野菜は根菜ばかりになる。付け合わせを完成させてから、ステーキを焼く。ロッジのキッチンは業務用なので、高い火力が出せる。使いこんだ鉄フライパンにオリーブオイルを引いて、煙が出るまで熱する。あらかじめ塩コショウをまぶしておいたステーキ肉を、フライパンに置く。肉の焼けるじゅうじゅうという音が響く。火力が強いので、三十秒ほどでひっくり返して、片面も強火で焼く。塩コショウを追加して、さらに市販のスパイスをかける。弱火にして中まで火が通ったら完成。肉汁が残るフライパンに、ニンニクと生姜をすりおろして、醤油酒みりんをかけて、ステーキソースをつくる。一度沸騰させて、それをステーキにかける。ステーキというのは、結局ソースで味が決まる。

冷蔵庫から取り出したビールをコップに注いで、熱いうちにステーキを頂く。年をとると肉の脂が受け付けなくなるなんて話をよく聞くが、俺の胃袋は衰えを知らない。まだ明るさがかすかに残る外の景色を眺めながら、ステーキを食べる。付け合わせのレタスが妙に瑞々しく、美味しく感じた。子供の頃からよく食べる人間だったが、雪山生活になってからもそれは変わらない。体重維持はもうとっくに諦めていて、もう好きなだけ食べるようにしている。食事を制限するよりも、体を動かしてカロリーを消費したい、という言い訳のまま、ぶくぶくと太っている。ロッジの一室に筋トレ器具を置いていて、そこをトレーニングルームにしていて、いつもならそこで一通り体を動かしてから夕食を食べているが、今日は仕事の日ということで運動はサボった。今日食べ過ぎた分は、明日消費すれば良いだろう。こんな不健康な生活をしている俺がまだ健康体を維持していて、立花さんに手術が必要だったのを思うと、つくづく健康というものは不平等なものだと思う。

肉が美味しくて、ビールを三缶あけた。外はもう真っ暗になっていた。良い気持ちになった後で、ウィスキーを水割りにして飲む。本当はステーキなので、赤ワインでも合わせると良いのだが、あいにくワインはどうしても体に合わなかった。つまみにナッツを用意して、長い夜がはじまった。テレビの番組表を一応眺めて、「今日もろくな番組がないな」と言って消した。音楽を流して、小説を読みはじめる。小説は長ければ長いほど良かった。なるべく難解で、なるべく冗長である方が、時間を潰せた。しかし小一時間も読んでいると、小説にも飽きてきて、テレビの番組表の中に、昔見たことがある映画の再放送があったのをふと思い出して、見ることにした。嫌いではなかった、ぐらいの洋画だった。映画の中で公衆電話が出てきて、

「そういえば今、公衆電話って本当になくなったな」

とひとりごとを言った。長い時間が過ぎると、作品に別の意味が出てくるのは面白い。もっとも俺が認識するのは、ごくごく表面的な、電話が古いとか、ファッションが古いとか、俳優が若いとか、そんなことばかりだった。それでも泥酔している頭には、話の本筋よりもそんな粗探しの方が面白かった。こういう見方をするには、B級映画の方が良かった。ちゃんとした名作映画は集中して見なければならないが、低予算で雑につくられた、どうしようもないB級映画なら、茶々を入れながら見ても罪悪感がない。

「人が死んでるのに反応が薄すぎるだろ!」

とか、

「いや途中の伏線、全然回収されなかったな」

とか、そんなことを言いながら見るのが楽しい。

その映画はB級と呼ぶにはしっかりつくられているし、名作と呼ぶにはすこし足らないものだった。見ているうちにストーリーを思い出してきて、エンディングがよくできていたところまで思い出せてしまった。無難な序盤、退屈な中盤、一気に巻き返す終盤。そんなつくりだった。

他人の創作物に触れているうちに、自分の中で何かモヤモヤしたものが生まれてくる。「こうしたら良いのに」「ああしたら良いのに」というのを、自分でやってみたくなる。俺は小説用に使っている紙のノートを取り出して、新しく書きはじめた。泥酔した深夜によくやる行為だった。翌朝になると、ほとんど読めたものではないゴミ文章が見事にできあがっている。それでも書いているときは何か自分のうちからほとばしるものがあって、それを文章にぶつけている感覚があって、気持ちがいい。やがて自分の中の衝動が落ち着いてきて、文章がすらすら出てこなくなって、書きあぐねるときが来る。そのときがもう寝る時間だった。


(続)

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