純白の頃
蔀(しとみ)
#1
大きくて安いだけのスーパーに来た。客はみな巨大なカートに商品を山盛りにしてレジに向かう。不機嫌な店員が緩慢にレジ打ちをしていて、長蛇の列ができている。温度管理が雑なエアコンのせいで、冬は夏のように暑く、夏は冬のように冷えている。今日はジャンパーを車に置いてきたが、それでも暑かった。
俺は冬ごもりの支度のための買い物に来た。店のカートをとって、食料を積んでいく。基本的には二ヶ月町に出なくても生活できるぐらいの食料を確保しておきたい。まずは考えることが少ない飲み物から積める。水はいくらあってもいいので、カートに積めるだけ積んだ。そして酒。ビールの箱を四つとウィスキーの瓶を十個。長い孤独な生活の友。この時点でカートのカゴとその下がいっぱいになるので、一度会計して、車に積む。二周目で食べ物を買う。米、パン、乾麺といった主食。冷凍の鶏肉・豚肉。スープの缶詰。根菜を中心にした野菜。日持ちはしないが、葉物も少し買う。昔は野菜なんて食べたくなかったが、長い山ごもり生活で食べることが少なくなったせいで、時折無性に食べたくなるときがある。効率だけを考えれば、レトルトや冷凍食品を大量に買って、それだけ食べていればいい。しかし山小屋の冬では、食事に飽きたときが地獄になる。それを避けるために、なるべく色々なものを買うようにする。お菓子類も買う。たまに無性に糖分を欲するときがあるからだ。カレーのルーも買っておく。食欲不振の特効薬。あと切り干し大根を買う。これは去年から、食物繊維不足対策に買うようにした。日持ちもするし、栄養的にもいい。
平日午後のスーパーのレジには、それなりの行列ができていた。俺ほどではないけれど、大量に買う客が多いので、レジ待ちの時間が長い。
このスーパーに来ると、道内の衰退を感じる。そして衰退の性質が変わったような感じもする。北海道というただ広いだけの土地が、発展したことは未だかつてないのかもしれない。未開のフロンティアはいつまでも未開のまま、日本列島の北にわだかまっていた。
かつての衰退は、純粋に人々が貧しくなった、という感覚だった。車が小さくなっているとか、着ているものが安くなっているとか、そういう変化だった。若者がいなくて、老人が増えた。俺ももう五十歳を超えて、そろそろ老人の域に達している。
今、このスーパーで感じる衰退というのは、老人がいなくなっているということだった。十年前に店を埋め尽くしていた老人たちは、体を悪くして買い物に来れない状態になったのか、それとも寿命が来たのか。店内にいる老人は、若者と一緒に行動している人が多かった。更なる未来を想像すると、たぶん今店内にいる老人もいなくなって、俺もいなくなって……後には何が残るんだろうか。
誰もいない広いスーパーを想像して、勝手に暗い気持ちになっていたら、レジのところで怒鳴り声が聞こえた。中年の男が店員に何か怒鳴っている。レジ打ちのパートのおばちゃんはおろおろしながら何か言っていたが、よく聞こえなかった。客だけがヒートアップして、「社員を出せ!」と言っているのが聞こえた。不謹慎だったが、元気が良くていいなと思ってしまった。何で怒っているのかは知らないが、古き良きクレーマーだった。バックヤードからYシャツにネクタイの社員が出てきて、クレーマーの対処をはじめた。よくは聞こえなかったが、会計で何か揉めているらしかった。その間、俺の並んでいる列は止まってしまった。隣の列に行こうにも、隣もそれなりの待ちがあって、動くに動けない状態だった。クレーマーがさっさと諦めてくれればよかったのだが、粘りを見せていた。レジでパートはおろおろしているし、要領の悪そうな店員は謝りながらも何か反論している雰囲気で、クレーマーの怒りに油を注いでいた。俺の前の客は下を向いて、貧乏ゆすりしていた。俺の後ろの客が舌打ちする。クレーマーの不機嫌が伝播していく。
「いい加減にしろ! ナメるなよ!」
クレーマーは声を荒げて、社員の胸ぐらをつかんだ。社員は細身で、そのまま簡単に床に倒された。良くない、と思って、俺は止めることにした。近づいているうちに、クレーマーは馬乗りになって、社員を殴ろうしていた。
「お゛お゛い!」
俺が大声を出したので、クレーマーはこちらを見た。肝臓をやられてそうな顔色で、目は薬物中毒者みたいに濁っていた。久しぶりに腹から声を出したので、上手く喉が使えなかったが、声量は出た。
「何してる! やめろ」
しばらくの間、クレーマーとにらみ合う形になった。俺は身長が180cm後半あり、体重もそれなりにある。取っ組み合いになったら、体格差でなんとかなる、という打算があった。向こうからすれば、麓におりてきた熊と対峙してるようなものだろう。クレーマーは何も言わず、ゆっくりと立ち上がった。何を買おうとしていたのかも知らないが、自分のカゴを放置したまま、店の外へ出て行った。
「あの、ありがとうございます」
立ち上がった店員にお礼を言われた。
「いや……」
何と返答していいかわからなくて、俺は曖昧に返した。久しぶりの大立ち回りだった。人生でこういうシーンは年に一度あるかないかだ。ケンカするときは、全身の血が沸騰したようになって、心臓の鼓動が早くなって、息が苦しくなる。実際ケンカまでいかなかったが、ほぼ同じようなものだった。クレーマーとにらみ合っていたときは、自分の興奮をあまり感じなかったが、落ち着いてくるとその余熱を感じた。
「あの、どうぞ」
前に並んでいた客が、俺に順番を譲ってくれて、そのままレジに行けた。ちょっとした英雄気分を味わえて、少しだけいい気持ちになった。ベルトコンベアに重い商品から流しながら、横目でクレーマーが変な動きをしていないか確認した。
会計を済ませて外に出る。駐車場で待ち伏せもありえるので、周囲を警戒しながら、自分の車へ行った。SUBARUのフォレスター。後部座席を倒すと、二人寝られるぐらいのスペースができる。飲み物のダンボール箱もあるので、潤沢なスペースはすぐに埋まることになった。積みこむだけでも一苦労だ。外の空気で冷えた体が、荷物の積みこみ作業でまた体温が上がった。
車を走らせながら、先ほどの大立ち回りを自分の頭の中で反芻した。刺激のない生活をしすぎているので、こういうことがあると、自分で考えようとしなくても、頭が勝手にその事件を反芻してしまう。
俺はそもそも手を出すべきだったのだろうか?
放っておけば、スーパーの警備員でも出てきて、つまみ出されて終わりだったのではないだろうか?
そこの判断は正しかったのか?
正しかった。もしあのまま目の前で殴り合いでも発生したら、嫌な気持ちで一日を終えることになったはずだ。
もし相手がナイフでも持っていたら?
どこからともなくナイフを出してきて、俺に向かって構える。その絵が思い浮かぶ。震える手で、ナイフを突きにくる。俺は近くのカートをつかんで、相手に向かって蹴り飛ばすだろう。商品が山積みになったカートを食らった相手が、まだナイフを持っていれば、その腕をまずつかんで、武器を奪う。そして床に組み伏せて、後は然るべき人間に引き渡す。うん。大丈夫だった気がする。
もし相手が銃を持っていたら?
それはさすがに勝てない。ただ日本において、ケンカで銃が出てくることはないだろう。アメリカはそこが怖い。銃というのは、フィジカルの格差を無意味にする。一発逆転の武器だ。日本だから銃はない、と安心しているが、しかしよく考えれば、俺も家に猟銃を持っている。スーパーの店内で発砲されることはなくても、相手が本気で頭がおかしい人間だったら、車内に猟銃があって、それで撃ってきたかもしれなかった。そこまで想像して、ちょっとヒヤッとする。バックミラーを見て、後ろの車があのクレーマーじゃないか確認する。後ろは軽自動車に乗った老夫婦だった。行動を起こしたこと自体は後悔してないが、こういう事後の怖さが残るという意味では、傍観に徹するのも処世術ではある。
日本は治安がいい国と昔から言われてきたが、俺はあまり信じていなかった。特にバブル崩壊以降は、国が貧しくなって、一億総中流と言われていた社会が分断されていった。一億総中流も気持ち悪い状態だが、努力してない人間は貧困層に落ちるから、そうならないように、年金支給の日まで回し車の上で走り続けなければいけない今の社会もどうなんだろうなあと思う。結局競争の敗者は、ルールを守る意味がなくなる。モノを盗まないとか、人を殺さないとか。田舎のよくある偏見で、犯罪を起こしているのはほとんどアジア系外国人で、純粋な日本人は依然として高い倫理を持っている、というものがある。それは結局のところ、「日本人は犯罪を犯さない。犯罪を犯す者は日本人ではない」という論法に過ぎない。
市街地を離れて、国道をひたすら進む。札幌まで40kmと書かれた案内板があって、それを見るたびに自分が札幌に行こうと思えばすぐに行けることを思い出す。ただもう都会にあまり行く気がしない。どうしてもという用事でもあれば別だが、そんな用事もめったにない。父と母ももう死んでしまった。元々生まれは札幌だった。大学進学のタイミングで東京に行って、そのまま都内の旅行会社に就職して、職を転々とした。色んな仕事をしたが、リゾートだとか、観光だとか、その辺の業界が多かった。特にスキーが好きだったし、時代はスキーブームだった。あんな時代はもう二度と来ないだろう。自分の好きなものが、世間のブームと一致する幸福を味わえたのは、人生で一度あるかないかの幸運だった。
国道の途中に集落があって、そこから山へ向かう細道に入る。スキー場の看板が出ているが、印刷されたスキー場の写真は経年劣化でほとんど判読できなくなっている。対向車がいたらすれ違う場所を選ばなければいけないぐらいの細道だが、基本的には車が通っていないので、さほど心配はない。冷静に見てみるとひどい道だが、こんな道路でも、バブル期のスキー場が足らなかった時期は、穴場としてツアーバスが運行されていた。結局根本的なアクセスの悪さが致命傷で、バブル崩壊とともにスキー場の経営は傾いた。実質廃業しているのだが、再オープンしてひっそりと営業中という扱いになっている。そのスキー場を俺がたった一人で「管理」している。
管理というのは不思議な言葉で、中身が何を示しているのか、言葉だけでは何もわからない。たとえば車を運転している、と言えば、ハンドルを握ってアクセルを踏んでいる絵が浮かぶ。それと比べて、車を管理している、と言ったとき、実際に何が行われているのかはわからない。管理という中身の見えない箱の中に、色々な動作が入っている。掃除をするのかもしれないし、車検を通すのかもしれないし、車庫に人をつけて盗難に備えているのかもしれない。あるいは全く何もしていないのかもしれない。
結局のところ、管理というものは、全てをしているのかもしれないし、何もしていないのかもしれない。俺が管理人としてやっているのは、後者の方だった。
曲がりくねった道の先に、ロッジへと続く坂道がある。舗装されていない、急な斜面になっている。雪がない上りであれば、大して怖くはない。途中で地層が隆起したような段差があって、そこだけアクセルを強めにしてのぼる。砂利を跳ねながら、四つのタイヤが段差を超える。フォレスターは四輪駆動なので、後輪にもパワーがある。以前乗っていた社用車は、前輪駆動だったので、相当にアクセルを踏まないとここを超えられなかった。
坂を上り切ると、道は二手にわかれる。右に行くとゲレンデで、左に行くと管理用のロッジがある。左に進むと、ロッジの手前に、五十台ほど停められる駐車場がある。恐ろしいことに、このスキー場は自家用車での来場を受け付けていた。事故が発生しなかったのは奇跡的だった。
ロッジは最盛期には二十人近い従業員を収容した、大きな建物だ。俺が一人で住むには贅沢すぎる。ロッジの脇の車庫にフォレスターを停めて、物資を家の中に搬入した。ロッジには業務用の冷蔵庫・冷凍庫があって、屋外にある倉庫は、積雪シーズンになれば天然の冷蔵庫となる。とにかくスペースは余っていた。
大変な一日だった。荷下ろしをすませて、シャワーを浴びて、ハムを取り出してビールを飲んでいたら、外では雪が降りはじめていた。例年より初雪がはやい。予報によると、今日はさほど降らずに、雲は夜のうちに抜けてしまって、明日は晴れる。数日晴れが続いた後に、本格的な雪雲が来て、雪シーズンの到来らしい。
雪。スキー事業の辺境で飯を食っていた人間としては、雪に稼がせてもらったといってもいい。その一方で、雪は、北国の全ての行動の足枷にもなっている。雪かきの労働負担、交通網のシャットアウトなど、生活に与えるマイナス効果は計り知れないものがある。東京に出たときに、雪が降らないということに驚いた。俺の実家も、札幌の市内で、そんなに豪雪地帯ではなかったが、それでも東京の雪の降らなさには、ズルいという感覚にすらなった。雪は俺にとって、恩恵でもあり、呪いでもあった。
明日は道庁の職員の視察がある。誰が来るのかは知らないが、ほとんど形式的なもので終わるだろう。雪が積もらなければ大丈夫なはずだ。視察の内容については何も心配していないし、たぶんどれだけ油断して臨んだとしても、大丈夫だろう。そういう雰囲気の視察だった。冬が来るから食料を準備しておいて、役所の視察を受けて、あとはひたすら長い時間を空費する。冬が過ぎてしまえば生活は楽になる。春、夏、秋を過ごして、また冬が来たら、同じことを繰り返す。俺の生活はこのマンネリの中にあった。
(続)
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