東芝は何故破綻した

@supergantrading

第1話

何故、TOSHIBAが


第1章


東芝が事実上、存在しなくなった。


衝撃の事実だ。


私は東芝のOBである。


実は私は就職するときに、東芝を知らずに応募した。担当教授が、お前は日立には社風的に合わないので、東芝に行くべきだと言われたからだ。


その学校卒業当時、私の父はタクシー会社を経営しており、いわゆる社長だった。

しかし、その頃は労働組合が活発であり、母親は、電子工学を専攻した息子に、組合が強固なタクシー会社を継がせることに大反対だった。

その頃は良く分からなかったが、タクシー会社に1人でもタクシー組合の労働組合員がいれば、ストライキが可能だったみたいだ。


その頃母に、何故そんな少数の社員のために、会社全体がストライキ故の休業になるのかと聞いた。


母の答えは、タクシー組合は、一社ではなくは、その地域全体の組合の行動なので、もしもストライキを無視して会社活動を行えば、その地域の組合が、全力を挙げて会社活動を妨害されるので、故に休業ぜざるを得ないと言うものだった。


当時の私は理解不能だった。数十人いる従業人のタクシー教務が、わずか数人の組合人のために止まるのだ。当然、ストライキの間の給料は無くなる。


ストライキする人の給料が無くなるのは当然だが、組合に入っていない人の生活も脅かされるのだ。全く理解不能だった。


しかし、社会情勢は、左派も有力だったので、これを糾弾するメディアは無かったように思う。


そんな中、就職を迎え、担当教授の指示に従い、東京芝浦電気と言う会社を受けた。東京芝浦電気って聞いたことがないなって思いつつも、教授を信頼していたので、何も疑い無く応募した。


サザエさんは、知っていたが、東京芝浦電気とTOSHIBAが同じ会社とは知らなかった。


第2章


入社した。


人を大切にする社風だとは聞いていたが、とても社会教育に真摯な会社だった。配属までの社員教育は、とても楽しい日々だった。


覚えているのは、チューターと当時言われてた女性の先輩が、自己紹介したときだ。

埼玉県の出身だとその先輩チューターが言ったときに、皆が笑った。もう死語だと思うが、その当時は[ださいたま]と言う言葉かあったのだ。

その先輩は、あんた達は、どこの出身なの?出身地を笑う自分は何者なの、と顔を真っ赤にして二十代の先輩は怒った。


今でも覚えている。人の出自と人格は全く関係ないし、それを自覚しなさいと、若い彼女は教えてくれたと思う。


そんな素敵なチューターが東芝にはいた。


第3章


入社後に、私は川崎本社に配属された。


配属直後に、同期三人で部長席に呼ばれて、部長からのお言葉を頂いた。

三人で部長の前に座ったのだが、隣に同期のツワモノがいた。なんと部長のお言葉を聞きながら、居眠りを始めたのだ。冷や汗がでた。しかし、それを知りながら面前の部長は、淡々と社員の心得を唱えられた。やはり、それなりの地位にある人は流石だと思った。


その頃、私はある失敗をやらかした。会社員としては、最悪の失態だ。


ある夜に、会社の先輩と同期で飲み会になった。二次会、三次会と進むうちに、終電がなくなった。


どうしようか悩むうちに、そうだ、会社で寝よう、そうしたら遅刻も無いしと思い付いた。

しかし、会社の門はしまっているし、中に入れない。そこで思い付いたのは、当時会社を囲っていた、およそ二メートルの塀を乗り越えることだった。


酔っていたから出来たのだろうか、私はその塀を乗り越えた。そして、その場にうずくまった。


しかし警備員がすぐに駆けつけた。どうやら着地したときに、どさって音がしたらしく、たまたま近くを警備していた警備員が聞きつけたらしい。


私は直ぐに従業員証を提示して、怪しいもので有りませんと、自己弁護した。しかし夜中に塀を乗り越えた時点で、もう怪しさ満点であった。しかしその警備員が優しい方で、社内のとある場所に連れて行ってくれて、毛布を掛けて、寝かせてくれた。

誰にも言わないからなと言ったその警備員は、しっかり会社に私の失態を報告していた。でも私は何の恨みもなかった。その人の警備員としての実績になったんだと、嬉しく思った。


後日譚ではあるが、その数年後に私は結婚した。その披露宴の席で、先輩からありがたい祝辞を頂いた。「人生には様々な壁が有ります。頑張ってその壁を乗り越えて下さい。しかし、越えてはいけないものがあります。それは塀です。」


第4章


私が東芝の人間として成長させてくれた、上司の言葉があります。


それは、仕事は七割は自分のために行い、残りの三割は他の人のためにやるのだです。


会社は皆で成長させるものです。


そしてそういう風土が東芝には有りました。

自分のために仕事をする人は誰もいませんでした。部下を育てるのは当たり前で、それが組織の成長に繋がっていました。


例えばある発明が有ったとしても、上司は一緒に仕事をした部下の名前で、その発明を申請していました。それが当たり前の風土が東芝には有りました。


そしてそれを受け継ぎ、その時の部下も、自分が上司になったときに、当たり前のように、自分の実績は部下の実績としたのです。


このようにして、東芝は発展しました。


会社とは、人なのです。


私は東芝人生で、数多くの特許を申請しました、しかし、その五割は先輩が、君の名前で申請しなさいと言われたものです。共同発明なのに、自身の名前は出さずにです。


これが東芝でした。


最終章


東芝の破綻


東芝は技術系の会社です。しかし事務系が東芝を破綻せしめました。


なんと愚かなことに、成果主義と言う概念を現場に持ち込んだのです。


持ち込んだ本人は、それがその本人の成果になるのでしょうが、その愚かな概念が東芝を壊しました。


目標を設定し、その成果が数値的に評価出きる。管理職にとっては、ある意味簡単な評価システムでしょう。


しかし考えて下さい。成果主義とは、自己主義です。自分さえ良ければ、それが全てです。


全体能力で、総合最大成果をもたらす、そんな当たり前の事事を壊したのが、成果主義です。


日本人の強みを完璧に破壊したのが成果主義です。そして東芝が破壊されました。チャレンジと言う現状を見ない圧力でした。故に不法な行為に走ったのは皆が知るところです。


成果主義とは、自己最大主義です。


私は前述の通り、仕事は三割は他の人のためにやるのだと、入社同時に言われました。当たり前です。それが組織ですから。

しかし成果主義では、他の人の為に行った仕事は、一切評価されません。自己主義を最大テーゼとする社風に変えた本社の事務系が赦せません。


過去の東芝は、とても人を大切にする社風でした。もうリタイアした私ですが、とても残念で、涙が出ます。


東芝は、とても暖かい会社でしたよ。

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