勇者と婚約破棄をした大聖女、魔王の嫁になって溺愛されています

かのん

魔王の嫁になりました

夏の終わり。

私は勇者エリックから婚約破棄され、家から追い出された。


月も星も見えない、夜8時。教会にたどり着いた。

本来なら閉まっている時間だが、大聖女である私は鍵を持っている。

それが私が持っているアイテムのすべてだった。

祖母の形見である宝石も含め、アイテムはすべてエリックに奪われた。


「ひとまず今夜は、ここで泊めてもらおう……」

それなりに顔見知りが多いこの教会では、誰かが助けてくれるだろう。

「あれ?開いてる?」

予想に反して、扉に鍵はかかっていなかった。


教会の中にいたのは魔界の王、サタン。

ここ人間界で、誰もが恐れる存在。あらゆる魔物と力を操る、絶対君主。


殺される。そう覚悟した。

しかし、攻撃してこない。彼は口を開いた。

「君は……?」

次に、無駄のない動きで、こちらへ近づいてきた―――



あれから一か月後。

私は城のバルコニーにある、ジャグジーに入っていた。

お湯が優しい音を立て、湯気に満月の光が差している。


「ソフィア、何を考えているんだい」

背後から話しかけれた。

男らしく、完璧に整った顔立ち。

非の打ちどころのない、動物的でもあり悪魔的でもある美しさ。

彼は魔界の主、魔王サタン。そして私の夫でもあった。

私は彼の嫁となることで、人間界から魔界へ引越したのだ。


彼はジャグジーのそばにデッキチェアを寄せて、腰を掛けた。

「私たちが初めて出会った夜のことを考えていたの」

「俺が君に一目惚れした夜だな」

「ええ、びっくりしたわ。まさか、すぐに結婚を申し込まれるなんて」

「素敵な女性は、取られる前に奪わなきゃ。ところで何か足りないものはない?」


私は首を振った。私を溺愛する彼は、あらゆる物を与えてくれていたからだ。

一生贅沢できる、金銀財宝だけではない。

史上最強となる魔王の力、魔界の権力そのものも自由にさせてくれた。


「足りないものはないけど、提案があるの。人間の技術や知識を、魔物に与えたい」

魔界は城や塔、愛らしい木造の家々に囲まれた、自然豊かな土地だった。

しかし人間界と比べて、まだまだ知識や技術で遅れを取っている。

「人間界に迷い込んだ魔物たちが、倒されるのを何度も見て来たから……」


例えば、ゴーレム。彼らは根は優しくて力持ちだ。

しかし言葉を話せない上に、貴重なアイテムをドロップするため、

人間界に迷い込んだ日には、格好の餌食にされる。

ゴーレムたちに建築の知識と技術を与えれば、力を持て余すことはなくなる。

給料で食料を与えれば、食料を求めて人間界へ迷い込むこともなくなるだろう。


そのことをサタンに話すと、

「さすがソフィア。大聖女ならではの優しい提案だ」とほほ笑んだ。

さすがにダメか、と思った。人間界と魔界は仲が悪い。


しかし数秒後、「よし、やってみようか」と彼は言った。

「意外だわ。人間と敵対しているから、嫌がられると思った」

「敵対なんかしていないさ。彼らがアイテム目当てに襲撃してくるから、戦うだけだ。中にはしつこい勇者もいて、わざと負けたこともあったな……」

彼は家来の魔法使いを呼び、いくつか言伝をした。魔法使いは驚いた顔をした。

しかしすぐに恐るべき平静さで、バルコニーの窓を開け、城の中へ入って行った。


窓が開くと、肉の焼ける匂いが鼻をついた。そろそろ夕食の時間だ。

サタンは美食家で、毎回の食事がとても楽しみだ。

私のために、貴重な食材もふんだんに使ってくれる。

おいしくて栄養満点の食事のお陰で、魔界に来て肌艶が良くなった。


彼にそう伝えると「ソフィアは昔から綺麗だよ」と、笑った。

そして芝居がかった声で、

「大きな青い目、豊かな金髪、若い娘のみずみずしい魅力を超えた美しさ……」

「も、もう良いわよ。恥ずかしいからやめて」

彼は優雅な仕草で手を伸ばし、私の頭をゆっくりと撫でた。

サタンはユーモアのセンスがあり、結婚生活はいつも笑いにあふれていた。



数日後。城のすぐ真下にある、地下室。

地の精霊、ノームたちが工事を行っていた。


「ノーム、その調子でさぁ!」

工事を指揮するのは、大工のドレイク。

貧しい彼は、教会によくパンをもらいに来ていた。

仕事に困っていたことを思い出し、彼を人間界から魔界へ連れて来たのだ。


「ノムノムッ!」

ノームたちは土を掘れることが嬉しいらしい。

一流の腕を持つ、ドレイクの指示も的確だ。

すごい勢いで地下室から地下道が広がっていく。


「いやー。魔界に来て良かったでさぁ。ソフィア様のお陰でさぁ」

「来てくれてありがとう。予定よりだいぶ早く完成しそうね」

「昔も今も世話になっちまって。なんと礼を言えば良いのやら……」

人間界では貧しく、飢えた者であふれているらしい。

それを聞いて、私は心を痛めた。しかし、

「魔界では良い暮らしをさせてもらえて、幸せでさぁ」

ドレイクの笑顔は、同時に私を癒してもくれた。


いきなり、地響きが起きた。

「ノムーッ!」

一匹のノームが暴れていた。残りのノームは怯えた様子で眺めている。

「あいつ、またか!」

「また?」

「前に人間界でこっぴどくやられたんでさぁ。

 それがトラウマで、思い出して暴れるんでさぁ」

また地響き。地下道は今にも崩壊しそうだ。


「……私が行く」

私は暴れているノームに近付いた。

彼は勢いよく爪を振り上げ、私の頬をひっかいた。

「痛っ……そう、これがあなたの受けた痛みなのね」

「ノムッ!?」

「これより辛い思いをしてきたわよね。

 もう大丈夫よ。ここに、あなたを傷つける人はいない」

「ノムノム……」

ノームは優しく、頬を流れる血をぬぐってくれた。


「さすがソフィア様でさぁ、ノームが一気に大人しく……!?」

ゴゴゴゴ……また地響きだ。なかなか収まらない。

土がぱらぱらと降ってくる。ドレイクが叫んだ。

「崩壊するでさぁ!このままじゃ生き埋めでさぁ!」

「く……出てきて、木の精。『トレント』!」


目の前に、巨大な樹木が出現した。

木の枝は次々と伸びる。そして崩れゆく地下道を支えてくれた。

「ソフィア様、木の精と契約を?!

 あれは勇者様でも無理だった、一級の精霊でさぁ」

「サタン、魔王がやってくれたの。魔界の力は、すべて使えるようにね」

「すごすぎるでさぁ……」

地下道にドレイクの声が響く。

木の枝は良い具合に広がり、趣味の良い飾りつけがされた地下道になった。


「ノム……」

先程暴れていたノームが、おずおずとこちらへやって来た。

「え、お腹に赤ちゃんがいるの?」

ノームはうなずいた。

「そう。それで気が高ぶってたのね。大丈夫、怪我はない?」

ノームはふるふると首を振った。しかし初めての出産で、不安だという。

「そうよね。じゃあ、病院も開設するか……ヒーラーを人間界から連れてくるわ」

「さすがでさぁ、ノームの言葉も分かるなんて」

彼らを地下に残し、私は地上に出た。

そこには顔面を蒼白にさせた、サタンが立っていた。


「その傷は?」

「ち、ちょっと転んじゃったの」

彼は私を、強く抱きしめた。

「君が地下にいると聞いて、生きた心地がしなかった。

 今、地下道に行こうとしていたところだ」

間に合ってよかった。彼の怒りに触れたら、ノームは無傷ではいられないだろう。


長い抱擁から解放され、「そうそう。そういえば」とサタンは言った。

「魔界に来たい人間が、殺到しているそうだ。忙しくなりそうだな」

人間界の技術、魔界の力。それらを合体させるのだ。

後年、魔界はあっという間に人間の文明を遥かに超えてしまった。



その頃、人間界では。

勇者エリックの家で、僧侶が慌てた様子で話していた。


「エリック、大変です!」

「また魔王討伐の話か?明日から本気出すって、何度も言ってんだろ」

「……おそらく、魔王を倒すことは不可能です」

「おい、お前。誰に向かって口聞いてるんだ」

「エリックだけではありません。人間界では、誰もいないかと」

エリックは怒りにまかせて、彼に水晶を投げつけた。

「……魔界は信じられないくらい、進化を遂げています」

「は?あの古くて時代遅れの世界が?」


僧侶は水晶を受け止め、ぶつぶつと呪文を唱えた。

「ご覧なさい。これが魔界の現在ですよ」

エリックが水晶をのぞき込むと、そこには信じられない光景が広がっていた。


白衣を着たピクシーが、病院で診察を行っている。

看護師のサキュバスがノームの赤ちゃんを抱き、母ノームに笑いかけている。


「どうせ人間の真似してるだけだろ」

「これを見ても、そう言えますか?」


ゴーレムとトロールは軽々と石を持ち上げ、頑丈な家を建てている。

制服を着たダークエルフたちは、学校でヴァンパイアから授業を受けている。

スケルトンとゾンビは、二人組でパトロールをしている。

中でもエリックの目を止めたのは、彼らに指示を出している女性だった。


「ソフィアじゃねえか。なんで魔界なんかにいるんだ?」

「……エリック。ソフィア様と復縁してはいかがでしょうか」

「なんでだよ」

「魔界と良好な関係を築くため。もし攻められたら、人間界は終わりです」

僧侶は、じっと水晶を見つめた。なんとソフィアは魔物と会話をしている。

魔物だけではない。一級魔法の精霊とも、笑いあっている。

「ソフィア様は魔界を仕切っています。もう我々には彼女しか残されていません」

「しゃーないな。どうせ俺のこと、まだ好きだろうし」


エリックは思った。ちょうど、あの金髪美女が恋しくなってきたところだ。

それに金にも困り始めていた。

冒険で得たアイテムを売って暮らしていたが、残りがわずかになっていた。

人間界に魔物が現れなくなり、アイテムをドロップさせることもできていない。


エリックは魔界へ向かうため、昔の仲間に召集をかけた。

武闘家、狩人、兵士、魔法使い、魔導師、盗賊、踊り子。

かつて、パーティは大所帯だった。


しかし、誰も来なかった。

勇者に見切りをつけた残りのメンバーは、とっくに魔界へ引越していたのだ。



そのメンバーたちは、魔王城の庭でアフタヌーンティーを楽しんでいた。

主催はソフィア。昔の仲間と久々に再会し、昔話に花を咲かせていた。


盗賊のシーフが、声を上げた。ほっそりとした身体つきの、赤毛の女の子だ。

細い体のどこに入るのかというくらい、ものすごい勢いで食べ続けている。

「このタルト、超美味しいんだけど?!こんな味、知らなかった!」

狩人のジャックはうなずき、おいしそうに紅茶を飲んでいる。

「紅茶も良い香りだ。ありがたいな。こんな美味いもの、久しぶりだぜ」


もぐもぐとスコーンを食べながら、シーフは私に言った。

「ソフィアさ、なんか綺麗になった?」

「食事かしら。化粧水も良いものに変えたし、

 エステもマッサージも受けてるから……」

「うーん?素敵な恋してるって感じ!」

魔界に来たばかりの彼らは、私が魔王の嫁だとは知らないのだ。

それに答えようとすると、メイドのメデューサがやって来た。


「ソフィア様、お客様がお見えです」

「分かったわ。三つ編み、似合ってるわよ」

メデューサは顔を赤らめた。

彼女に三つ編みを教えてあげたら、どうやら気に入ってもらえたらしい。

「髪が邪魔にならず、とても快適です。お礼申し上げます」

「他にも似合いそうな髪型があるから、今度教えるわね」

「視界が良好なものを希望します。

 ソフィア様を傷つける者は、すぐ石にしますので」


私を傷つける者ね、と思った。

すっかり忘れていた。過去に一人だけ、いたかもしれない。

私は立ち上がった。メンバーには食事を続けてもらうことにした。


庭を歩いていると、風に乗って、彼らの会話が聞こえてくる。

「ねね。どうしてソフィアってエリックなんかと婚約したんだっけ?」

「大聖女は勇者と結婚しなきゃいけない決まりだろ。だからだよ」

彼らの声を背に、謁見の間へ向かった。



広々とした謁見の間には、私を傷つけた者が立っていた。勇者エリックだ。

私のアイテムをすべて奪い、婚約破棄をして、家を追い出した男。


「よお、ソフィア。どうしてお前、こんな城にいるんだよ」

「……あんた、だいぶ太ったわね。一瞬、誰か分からなかったわ」

「もっと喜べよ。クソ僧侶のせいで、来るのが遅くなっちまった」

「彼は無事なの?」

「知らね。お詫びの品を持って行けってうるさいから、その辺に置いてきた」


彼は頭をかきながら、面倒くさそうに言った。

「あのさ、復縁しねえ?金持ってそうだし、アイテムもくれよ。

 魔界が栄えてんのもムカつくしな」

それに、と彼は私を舐めるように見た。

「お前、前より良い女になったよな……」

私は確信した。この男には欲望、むき出しの性欲、雄同士の競争心しかない。


「断るわ」

そろそろと顎に伸ばしてきた彼の手を、払いのけた。

「私を溺愛してくれる男性と出会ったの。私は彼と暮らすわ」

「は。どうせ、その辺のモブ男だろ」

言い終わると、彼は剣を抜いた。大きな剣だ。

「腕の一本や二本、なくても良いよなあ?力づくで、連れてくぜっ!」


剣には、見覚えのある宝石が埋め込まれていた。

祖母の形見だ。絶大な力を発揮する、魔力を封じ込めた宝石。


彼女が死んだ夜は、ぽかぽかと気持ちの良い夜だった。

死の間際、確かこう言っていた。

「あなたは生きているだけで尊い、溺愛されて良い存在なの。

 自分を愛してくれる人を探してね」


私は目を閉じた。

せっかく、溺愛してくれる人に出会ったのに―――


すると、地底から響くような声がした。

「俺の嫁に、何をする」

勇者の動きが、ぴたりと止まった。剣を振り上げたまま、動かない。


振り返ると、サタンとメデューサがいた。いつの間に来ていたのだろう。

「メデューサ、礼を言うぞ」

「いえ。私が石にするまでもなかったですね。サタン様がいらしたなら」

「いや、俺なら怒りのあまり、どうしていたか分からなかった」

メデューサはお辞儀をして、去って行った。


彼女が謁見の間を出ると、エリックの石化が解けた。

座り込むエリックの前に、サタンが近づいた。

「勇者よ、命を差し出す覚悟はできてるんだろうな」

サタンが手を振り上げた。エリックの頭上に、漆黒の渦が出現する。

「地獄から姿を現せ。『ベルゼバブ』……」

「ま、待って!」


私は声を上げた。サタンは驚き、手を下ろした。

召喚は中断したらしい。渦は小さくなっていった。

「どうして止めるんだ。ソフィアを傷つけようとしたんだぞ」

「私は大聖女だから。誰かを傷つけるのは見過ごせないの」

そう。たとえそれが、私からすべてを奪った男であっても。


エリックに近付いた。彼は座ったまま、うつむいていた。

「人間界に戻してあげるわ。ただし、宝石は返して」

「はいはい、分かった。返すよ……」

彼は再び剣を手に取り、顔を上げた。その目には憎しみが宿っていた。


「……なんて、言うと思ったか!?せっかくの機会だ、魔王討伐するぜ!」

エリックは一目散に、サタンへ突撃していった。

次の瞬間、床から無数の木の枝が付き出してきた。

またたく間に枝たちは、エリックを縛り上げた。


呆気に取られているサタンに、私は説明した。

城の真下には地下道があること。

かつて、木の精『トレント』によって枝を張り巡らせたこと。

「やれやれ。本当にすごいな。ソフィアは……」

サタンは私を強く抱きしめた。これまでの人生で、一番長い抱擁だった。



星の輝く気持ちのいい夜だった。

バルコニーで夜風を浴びていると、サタンが来た。

彼は私の首にネックレスをかけてくれた。

「ほら、予定より早くできたみたいだ」

「急がせたんでしょ?」

「大事な嫁のためだ。多少の無理は聞いてもらわなきゃな」


ネックレスは、きらきらと繊細な輝きを放っていた。

祖母の形見である宝石が埋め込まれている。

「そういえばエリックは?」

「少し後に来た僧侶が、人間界に連れて帰ってくれたよ」


サタンは私を抱き寄せた。

「大聖女としての人生は、今まで大変だったろう。

 何でも叶えてあげるから、遠慮なく言ってくれ」

「うん。ゆっくり暮らすことにするわ」


実は、そうも言っていられなかった。

人間たちから頼まれて、魔界だけでなく人間界も統治することになったのだ。


そして魔王からの溺愛は、いつまでも続くのだった。

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