第6話 魔女ベルンとの誓約
自分は後ろの方を振り返ると、重々しく扉を閉じられた。
カチャリ、と誰かが閉めたわけでもないのに鍵が勝手に閉められる音が聞こえて。
自分は前へ振り向く。
魔女様は豪華な赤い革のソファに座り、威厳と風格が溢れていた。
童話の物語で、魔女と対面した主人公たちは、こういう気持ちだったのだろうか。
「……魔女、様。これはいったいどういう」
「お前は余所者、この世界にとっての余所者だ。それはお前も自覚しているね」
「……? はい」
「いいかい、お前はこの世界に生きるために誓約を交わさなくちゃいけない。破ったら死ぬ約束だと思いな。お前が他の奴らに殺されないためだよ」
「……どうして、殺されるんですか?」
自分は彼女の言葉に疑問を隠せない。
この屋敷の人たちは優しいけれど、やっぱりこの世界の人たちによっては危ない人がいるのだろうか。
あんなに優しくしてくれたシェイレブさんやシェラードさんみたいに。
この世界は、優しい世界じゃないのだろうか。
「お前が余所者だからだ、あの馬鹿がいい例だよ。まったく」
「バカ……?」
「お前を襲った男のことさ、樹海から近くにある村の住人のようだったから、今度村長の奴しばいてくる予定だがね」
「あ、あまり乱暴は……」
「どうしてだい? お前は襲われただろう」
「……様子が可笑しかったから、と言いますか」
「お人好しな奴だね、まぁこの世界の奴らはお前のような人間もいるが、人じゃない奴らもいる……アタシも、アイツらもね」
彼女の瞳に一切の嘘はない、なぜか、そう思えてしまった。
だって、彼女の瞳はそういう目をしていたから。
魔女様は淡々と言葉を続ける。
「余所者は、この世界の住人にとって甘い香りのする格好の獲物だ。もちろん、この世界の人間も例外じゃない」
「フェロモンみたいなものが余所者にはある、ってことですか?」
「そうだ」
私は、口ごもりながらなんとか言葉を口にする。
「……どうすれば、いいんでしょうか」
「そのための誓約だ、お前が助かりたいならアタシの言葉を絶対に守りな」
「何を、ですか?」
「これをいつも付けな、どんな時にもね」
魔女様は香水を私に見せる。
紫色の液体が入った、とても怪しそう気なガラス瓶だった。
形は貝殻の上の方に細長い口がある、海を彷彿させる品だった。
「アタシが特製で作ったものだ、この世界の人間の匂いと同じ香りだよ」
「…………その話を付けなかったら、私は死ぬということですか」
「ああ、そうだ。ここの屋敷内は安全だが、お前が元の世界に帰るためにも情報収集は欠かせない。お前自身にも屋敷の外に出てもらうこともあるだろう、まあ食料調達の手伝い程度だ」
「それは…………っ」
ファンタジーの世界に夢見たことは一度限りなどではない。
残酷な世界だってある、わかっていたことのはずだった。
でも、怖い……今は、怖い。
でも、それが童話の世界なら? 私の知る民話の世界なら? 物語の世界なら?
「あの、魔女様」
「なんだい」
「魔女様は、童話を知っていますか?」
「シェーラとシェーレに聞いたんだろう、アタシのいた地元にもそんなものはなかったよ」
「絶対と、言えますか?」
「もちろん、アタシは誓約の魔女だ。誰かに嘘はつかないよ」
「……なら、私の条件を出させてもらってもいいですか」
「なんだい」
一呼吸置いてから、私ははっきりと宣言する。
「――――――自分は、この世界に童話を広めたいです」
魔女様は私を流し目でこちらを見る。
「どうしてだい」
食事をしていた時に、シェラードさんとの会話が頭に過る。
この世界はどういうところなのか、彼に尋ねた。
彼は危険と物騒と神秘がある世界だと言っていた。
フレンチトーストを口にしながら、少し苦笑いして。彼はこういった、「女の人が夜道に歩いていたら犯されるのが常識」、「子供も人殺しをしてしまうことや人食いや詐欺、殺人、そんな危険が当たり前である世界だ」……と。
私の知っている海外でのそういう事件は多少知っている。だから、この世界にもし余所者と言う存在が弱いと仮定して、苦しめられているなら。
もし、そんな目に遭っている誰かがいたとするなら。
私は、そんな弱い余所者に誰か名の知れるようなすごい人ができたとしたら。
この世界にとって、無い物を提示して、世界中に広めたら。
「童話が世界の全てとは言えません、絵本もそうです。小説もそうです。紙に描かれた物語全てがそうです。時には現実より勝る創作物などないと、人々は言うことだってあると思います」
自分はぽつりぽつりと、思った言葉を徐々に口にする。
彼女に、魔女様の心に届いてくれるかどうかなんてわからないけれど。
「誰かに優しくするのは義務じゃない、誰かに優しくすること自体、自分の欲求を満たすための自己満足で比例することはありません、でも、その自己満足は本当に愚かなことでしょうか」
自己満足で、自分はいじめられっこだった園崎君を助けようとした。
後悔なんてしてない。悔みたくなんてない。
だって結局自分の自己満足で助けようとして、最終的に死んでしまったのかもしれない。ほかの誰もが私の人生って物語を読んだら情けない話で終わってしまう。
ヒーローなら、物語の英雄ならいくらでも彼に優しい言葉をかけて応援して、救い出せていただろう。彼だってきっと、自分の好きな主人公だったら喜んでその手を握っただろう。
それに比べて、自分は世界に名を轟かせていない、無名作家。
彼を救える物語を世界に発表しても見せてもいない、そんな作家の卵にすらなれてない女。しかも自分の性別を隠していて、激怒されるなんて本当なら当たり前だったのだ。
「自己満足と共感できる誰かがいてくれるなら、それはどんな物語だって強力なカードになるんです。どんなにその人が弱くて、情けなくて、惨めで哀れだって。たった一人ぼっちで戦う誰かを応援してくれるなら、貴方たちが私のそんな最強のカードになってくれるなら、お願いをしたいんです」
「何をだい」
「魔女様は、私の衣食住を保証してもらう代わりに、この世界に童話を広げます。いえ、物語を広めます。この世界での伝承も民話も御伽噺も、全部、全部広めて、余所者に対しての認識とモラルの向上のために」
「モラルと来たかい、まるでアタシたちにはそういう常識がないみたいにいうね。それに、アタシはお前が外に出るのはこの深海色の樹海の範囲までと言ったはずだよ」
「あ、そ、そういうつもりじゃ……!!」
魔女様は険しい顔で私を見る。
当たり前だ、彼女が要求しているのは屋敷周辺にいること。
私のことを思って、外に出たとしても樹海の中だけだ、と彼女はそう言ったのだ。
でも、それでは情報収集にかける時間はおそらくもっとかかってしまうだろう。
私が、堂々とこの世界を歩いていく勇気を、彼女に示さなくてはいけない。
魔女様ははぁと溜息を吐き、ソファから立ち上がる。
私の顎を手で力強く掴んで、睨んでいるに近い視線で私の顔を魔女様は見る。
「ま、魔女様? 何を」
「いいから、続けな」
なぜ私の顎を強くつかむ理由が? なんて言えないから、あえてそこに関しては黙ろう。
「……魔女様が、この世界の人間の住人も私を襲うことがあるとしたら、それは暴力や性的なことをされかねない、という意味でおっしゃっているんですよね。魔女様は、そんな目に遭った余所者を知っているからそうおっしゃってくださったのでしょう」
「もしアタシが、お前を汚らしい性根の輩共に商品として売り出す商人だったらどうしてたんだい」
「それだったら、わざわざこの世界の住人と同じ香りのする香水なんて作ってくださる理由がありません。それに人身売買をしているなら、顔と体がよければ特別気遣った料理や優しい言葉をかけてくださる必要性はないと思います」
「少ないアタシの言葉でそこまで推測するってことは、馬鹿じゃないってことだ」
「……! げほ、げほっ」
魔女様は私の顎から手を離した。
私は首に手をやり、彼女の力が強かったせいか、少しだけ咳き込んでしまった。
「それとお前は元の世界で死んじゃいない、体ごとこちらの世界に転移したんだからね」
「え、どうしてそんなことがわかるんですか!?」
ソファに座ってから魔女様はふうと息を吐く。
私は思わず、声を張り上げてしまった。だって、魔女様はこの世界の住人だし、私のいた世界のことなんておそらく知らないはずだ。
余所者として来た人々からの聞いた話程度ならわかる、と言われたらわかるけれどそれがわかるなんて想像ができない。
「お前が庭で寝ている間にお前と服の記憶を辿った、それくらい朝飯前さ」
「服の記憶なんて辿れるんですか?」
「当たり前だろう、アタシを誰だと思ってるんだい? 誓約の魔女、またの名を沈黙の魔女ベルンとはアタシのことさ」
魔女様は一枚の紙にを空中に出現させて、青いインクで書かれた紙を私の前に突き出す。
英語に似た文面のそれを読み解くにはさほど時間はかからなかった。
「契約書……?」
「そう、お前がこれからこの世界で暮らすための契約書だ。アタシがお前に香水と衣食住を保証する代わりに童話、本を書くと言う誓約だね」
魔女との契約、か……アンデルセンの人魚姫と似ているな。
でも、あっちは海だったけどここは陸だから少し違うかな。
「とっととサインしな。お前の名前でいいよ」
「わ、わかりました」
空中に浮いている紙にサインするなんて、本当にファンタジーの世界だ。
なんて、少し浮かれながらもサインした。
金色の光が放たれると、契約書が魔女様の手まで飛んでいく。
「これで、契約成立だ――――――ようこそカラーエデンズへ、余所者」
「はい!」
これから、私の、自分の物語が始まる予感を感じた。
――これは出会いと別れを繰り返す、たくさんの色に溢れた、物語だ。
「それじゃあ、お前さんは今日から偽名を名乗りな」
その発言に動揺を禁じることはできず、私は質問をした。
「偽名、ですか? どうして……」
「単純な話さ、余所者が本名で名乗ったら後々、面倒になると決まっているからね」
「面倒……?」
「お前はこの世界の人間にとって媚薬と評しても相違ないほどのフェロモン、匂いを持っている。だから村人の男がお前に手を出そうとしたわけだ……そこまで言ったね」
「は、はい」
「本名で名乗っていたら、お前が危険な目に遭う可能性が確実に上がる。本名を知られていないのなら、呪術で呪い殺されることもないからね。お前の場合、おそらく同性からの呪いをかけられるだろうさ」
「? ……どうして同性から?」
魔女様はカップに角砂糖を二つとミルクを入れた。
魔女様はスプーンで紅茶をかき混ぜる。
「当たり前だろう、お前はアタシのような同性よりも異性に対しての匂いが強いみたいだからね。じゃなきゃ、アタシがお前を襲っていただろうさ」
あ、もしかして魔女様はこう考えたということか。
私の匂いが同性の魔女様にも強く影響するのなら、庭園に連れてくる最中にエドガーさんとシェイレブさん、魔女様の三人から襲われていた可能性がある。
そして自分は庭園にいるのではなくそういう状況で目が覚めた可能性もあった、ということだ。魔女様には私のフェロモンがあまり感じなかったから、エドガーさんとシェイレブさんと一緒に彼女は紅茶を飲みながら普通にしていたのはそういうことだ。私が庭園に寝かせてくれていたのは、どういう理由なのかまではわからないけど大体の想像はできた。
「それで、お前はどうしたいんだい」
「あ、その……自分で決めるのは難しいので、魔女様が名付けてくださいませんか?」
「アタシに任せるなら後悔してもしらないよ」
「お願いします」
魔女様は紅茶を一口飲むと、すぅっと瞼を開ける。
「そうだね――――――ウィレム。ウィレム・レーゼツァイヒェンというのはどうだい」
「……ウィレム、ですか」
ウィレム、か。オランダ独立戦争の指導者の名前と同じだ。
確か、彼は沈黙公と呼ばれていた人だったような……うん、確か男性名、だよな。
レーゼツァイヒェンはおそらく栞のことか。たぶん、ドイツ語のはずだ。
「……でも、ウィレムって、なんだか女の子っていうより、男の子っぽい気が」
「お前は男装したいんだろう、ならそっちの名前の方がいい」
「あ……」
私は、一度も男装したい理由を彼女には告げていない。
魔女様は私と服の記憶を辿ったと言っていた。
つまり、私の過去を知ってしまっているかもしれない。
そう考えると、言葉を失くして頭が真っ白になる。
体が震える、魔女様は知ってしまっているのだろうか、私の、過去を。
私は、言葉を詰まらせながらなんとか口にした。
「ま、魔女、様」
「なんだい」
「あの……この、世界では名前って私のような名前ってあまり、ないんですか」
……言えない。言うのが怖い。
まだ、私が彼女にそこまでの信用を得ているとは思えないから。
そこまでの、価値がある人間だと思っていないから。
「この世界では、お前と似た名前の人間は別にゼロじゃない。探せばいくらでもあるだろうさ」
「そう、ですか」
魔女様は落ち着いた様子で返答した。
……もう少し、勇気を持てた時に聞くとしよう。
私は服の裾を掴む手に力が入る。
「……聞いてるのかい?」
「? あ、は、はい! すみません」
「それじゃ、今日からウィレム・レーゼツァイヒェンと名乗りな、いいね」
「はい!」
カラーエデンズでは間違えないようにしよう、と強く誓う静であった。
「じゃあさっさと早く部屋から出てきな、アタシはやることがあるんだよ」
魔女様は椅子に座りながら、私を見据えて言った。
「あ、あの……魔女様」
「なんだい」
「この服は、魔女様が作ってくださったのだと、シェイレブさんからお聞きしました。それで、その……」
私がそう呟くと彼女はハァ、と溜息を吐いた。
ソファにダルそうにもたれながら、魔女様は目を伏せる。
「不満だって言いたいのかい」
「い、いえ! お、お礼を言いたいなと、思って……その、ありがとうございます」
「そうかい、気に入ったならそれでいいさ」
魔女様がその一言を言った後、長い沈黙が流れる。
この沈黙は正直自分には耐えがたく、どうしたらいいかと頭を悩ませる。
「あ、あの……それで、もう一つお聞きしたいのですが……私のために作ってくださったこの服の、材料費とか、どれくらいなんでしょうか」
「そんなことを聞いてどうするんだい」
「い、いえ! 魔女様にはここに住まわせていただくという恩があります。私が作る童話で、その一部の稼ぎで、魔女様が作ってくださったこの服のお金をお返ししたいなと……」
「…………お前は、真面目だね。どうやら、善人なんだね」
「ぜ、善人と言われることの程ではありません。私はただ、恩を仇で返すことはしたくないだけで……」
「ふぅん、で? 聞いてどうするんだい。稼ぎでも足りないほどの金額でも、お前は絶対に払つもりなのかい」
「はい、そのつもりです。私がこの世界に居られる期間の間には、絶対にお返しします」
これは本気だ。
いつかえられるかどうかまでは先がわからないけど、それでも、与えてくださった施しに恩で報いるのは、人種や種族と言ったものなんて関係ない。
自分がどうしたいかでしかないのだから。
「…………まったく、アタシの周りはどうも頑固者が多いかね」
「? なんのことですか?」
「こっちの話だ、気にすんじゃないよ……そら、受け取りな」
魔女様は杖を香水に向けた。
すると机に置かれてあった香水が宙を浮き、私の元までやってくる。
私は慌てて、瓶を受け取った。
「とりあえず一日一日欠かさずにするんだね、香水を付ける加減は自分で覚えな、それくらい一人でできないとこの先やっていけないよ」
「は、はい! ありがとうございます!」
私は香水をぎゅっと胸元に当てる。
……私が、この世界へ馴染むための一歩となるもの。
大切にしなくては。
「それに、屋敷の説明は終わってないんだろう?」
「……え? あ、……はい。まだシェイレブさんに教えてもらってなくて」
「ならうちの馬鹿弟子に早めに教えてもらいな、晩の食事には間に合うように気を付けるんだよ」
「はい、わかりました」
私は魔女様に頷くと、彼女から待ちなと声をかけられる。
「それと、これはお前さんに対する忠告だ」
「なんでしょう」
「お前さんは絶対に、この世界の住人を愛したとしても、恋をしてはいけないよ。元の世界に戻りたいならね」
「…………恋、ですか?」
魔女様から告げられたその言葉は、自分にとってとても不思議な言葉だった。
物語の童話にも、絵本にだって描かれている物語の火付け役的な感情の言葉。
そんな心を、自分が抱くわけないのに。
ただ、この世界の人たちと感情を育むことがあっても、とても心が豊かにさせてくれる日々がたくさん続いたとしても……その感情だけは、自分は絶対持つわけがないのだ。
「…………大丈夫です、私は恋なんて絶対しませんから」
「そうかい、ならそうなることを期待しておくよ……お前はちゃんとアタシとの契約を守りきることだね」
「はい」
「なら、行ってきな。自室がわからなくて泣き疲れたりしたら困る」
「はい。わかりました」
私は、静かに魔女様の言葉に頷いた。
魔女様に言われた通りに晶は後ろに振り替えり扉のドアノブに触れる。
魔女様はぽつりと、私に囁く。
「後悔しない選択を選びな、後で泣き喚いても結果は変わらないからね」
「……はい」
私は、ドアノブに手を触れる。
ガチャと扉を開けると、そこはさっき来た時と同じ廊下になっていた。
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