第5話 お風呂場での扉越しの会話

 ソフィアさんと話しながら食事を終わらせ、一、二時間経ったくらいだろうか。

 バン、と強い音を立てて開かれた扉の音に驚き振り向くせいと、ソフィアはその人物を見る。


「……待たせたな、二人とも」


 エドガーさんはぐったりとした顔で扉を開けた。


「その様子を見るにぃ、こってり絞られましたねぇ」

「うるさいぞソフィー。魔女様の言い分ももっともだったからな……俺の至らなかったところもある」

「素直ですねぇ」


 ひどく疲れた様子でイスに座るエドガーに、静は恐る恐る声をかける。


「あ、あの……エドガーさん、大丈夫ですか?」

「セイは気にしなくていい、なんの話してた?」

「はい、エドガーさんとモニカさんの話をソフィアさんと」

「は? 何だそれ」


 怪訝そうにソフィアさんを見るエドガーさんは、彼に回答を目で要求した。

 愉快そうに笑うソフィアさんは口元に手を当てる。


「二人だけのヒミツのお話ですぅ、ね? セー様ぁ」

「……わかった、セイは何か飲み物飲むか?」

「あ、お願いします」

「あ、なら私が入れますねぇ」


 ソフィアさんは席を立ち、自分とエドガーさんのカップを持ってキッチンの方に行った。紅茶を入れる時の音って、聞いていて何となく心が落ち着くものだ。


「なぁ、セイ」

「? なんでしょう」

「……異世界のところでは、お前は人間でいいのか?」

「はい……? そうですが」

「そうか、余所者は基本人間だからな、よかったよ……そうだ、セイは今お風呂入りたいか?」

「はい、できればその……服の洗濯もしたいです」


 正直に言うと、エドガーさんはソフィアさんのいるキッチンの方に向いてソフィアさんに声かける。


「ソフィア、先にセイに水を頼む」

「わかりましたぁ」


 ソフィアさんは紅茶を入れながらも自分の水をどうやら用意してくれるらしい。自分はソフィアさんの発言に不思議になる。


「どうしてですか?」

「水分補給した後にお風呂入った方が入ってる時に喉乾かなくていいだろう? トイレには行きたくなるが、脱水症状の出る確率減るっていうしな」

「そうなんですか……あまり気にしたことなかったです」

「ちなみに、飲む時は入浴前と入浴後にも一回必ず飲むことが大事なんだ。年取ってきたら脳梗塞のうこうそくとか心筋梗塞しんきんこうそくになったりする場合があるらしいから気をつけろよ」

「……勉強に、なります」


 ソフィアさんはガラスコップをコトリ、と静かに置いた。


「セー様ぁ、どうぞぉ」

「ありがとうございます、ソフィアさん」


 自分はソフィアさんにお礼を言いながら、ゆっくり水を飲む。

 ソフィアさんはエドガーさんの皿などを片付けてキッチンに戻った。あまり家でも気にしてなかったが、お爺ちゃんたちが言っていたっけな……余所者知識って言ってたけど、もしかしてその人は医者関連だったのかもしれない。

 けれど、憶測や推測を彼に言うのは、詮索するのと変わらないから下手に今は言わない方がいい気がする。


「……あ、ソフィアさん」

「どうかしましたかぁ?」

「ごはん美味しかったです、ありがとうございました」

「気にしないでくださぁい、エド様ぁ、そろそろセー様の屋敷の案内をしてあげてはぁ?」

「それもそうだな、行こうか。セイ」

「は、はいっ」


 私とエドガーさんは立ち上がり、一緒に廊下へと出た。



 ◇ ◇ ◇



 やっぱり、この屋敷は広い。

 魔女の家って、グリム童話のヨリンデとヨリンゲルに出てくる魔女や白雪姫の継母みたいに城を持っていたから、別に魔女の家が小さいという偏見はあまりない。

 しかし、魔法を使って調理する場面に出会えなかったのが少し残念だった。まあ、もしかしたら今回はそうしなかっただけかもしれないし、絶対ないとは限らない。

 今日の晩御飯の時に期待しておこう。

 ぐっとエドガーさんに見えない位置でこぶしを握り締める。

 エドガーさんはすぐ近くにある、と言われてから黙々と歩いていく。キッチンとリビングから真っ直ぐ右の方に進んで来て、白い木製の扉が自分たちの前に現れる。


「着いたぞ」


 エドガーさんは扉を開けて中を見せてくれた。

 脱衣所を抜けて、曇りガラスでできた浴室ドアをガラガラと開けると、そこには天国があった。


「ここは基本、魔女様と客人用なんだが、今回は特別に使っていいぞ」

「わぁー……大浴場ですね」


 壁も地面も一面、穏やかな木目があるお風呂場に感動を覚える。

 檜風呂ひのきぶろのような木製の風呂場にはあまり入ったことがないが、銭湯の大浴場ともまた違う優しさを感じられる。はやく入りたくなってしまう気持ちが抑えられなくなりそうだ。

 エドガーさんは自分の表情に気づいてふっ、と笑う。


「気に入ったか?」

「はい。あの、でも……いいんでしょうか」

「今日は特別と魔女様は言っていたんだから、自由に使うといい」

「……わかりました、ありがとうございます」


 エドガーさんに促され、思わず頷いてしまう。


「ちなみに洗濯は洗濯機ないから自分で洗うことになるけどいいか?」

「はい、家でよく自分で洗っていたので」


 いじめっこたちからのいじめで鍛えた家事力を舐めないでもらいたい。

 ……そのことに関しては、言わないでおくか。


「ならいいが……ちなみに脱衣所の隣の方に外で干すこともできるから自由に使ってくれ」

「わかりました」

「もしもの時は声かけてくれ」

「はい、ありがとうございます」


 去り際に手を振りながら去っていくエドガーを見ながら、扉を閉めたのを確認してから着替えを始めたせいだった。

 服を一枚一枚脱衣所で脱いで、浴槽に浸かる前に体を洗うことにした。

 優しい香りのする石鹸せっけんで頭や体を擦って、備え付けのシャワーで泡と一緒に汗や汚れを流した。

 甘ったるくない、爽やかな香りに心が癒される。


「いい香り…………私には、もったいないな」


 シャワーの蛇口を止めて浴槽のところまで歩いていく。

 じっと、檜風呂ひのきぶろのお湯をじっと見る。


「…………いいの、かな」


 自分の頭の雑念を首を振って払い、勇気を出して足をそっと浴槽に付ける。

 足にちょうどいい暑さが伝わり、もう片足も風呂に付けてから全身で浴槽に入る。


「ふぅ……」


 優しい人たちなのかもしれないという期待は、お湯の熱さのせいだろうか。

 絶対にないというわけではないのはわかっている。知らない土地でいきなりそこまで信用するのはよほどの馬鹿がすることだ。

 それでも温かいと、そう思ってしまったのだ。

 目尻から、涙が出そうになるのを顔に両手を当てて抑え込む。

 トントン、と引き戸から音が鳴る。


「セイ、湯加減はどうだ?」

「え、エドガーさん!? どうして……」

「……お湯の調整がいるか念のために聞きたくてな」

「あ、そうですか。だ、大丈夫です」

「わかった……ちょっと話さないか? 俺はそっち入らないから」


 エドガーさんはそういうと、引き戸に背を持たれているのが影でわかる。

 けど、どうしたんだろう。急に。


「セイは女性、でいいんだよな」

「…………知ってるんですね」


 気絶していた時とかに着替えさせてくれていたのなら、気づいてしまったのだろう。私の痕を。


「まぁな。顔とか手足とか目に見えてわかるところにはケガしてないのに、腹の痣、どうしたんだ?」

「…………学校の生徒に、いじめられてまして」


 思い出しただけで、嫌気が差してくる。

 教科書はマジックなりのペンで死ねだのブスだの落書きされたり、椅子に画鋲が一面に敷かれてあったり、机を学校の外に出されてあったり……園崎くんもよくあれに耐えていたんだと思ったくらいだ。

 エドガーさんは、そうかと言って、それ以上の詮索はしなかった。 


「陰湿だったんだな、お前の学校の奴らは」

「……はい、先生にバレないようにしていたんだと思います」

「けどすごいじゃないか、そんなあざがたくさんできても、頑張って生きてて学校に通えるのは強い奴の証拠だ」

「…………はい、どうしても童話作家になりたくて」

「童話作家? 何それ」

「え? 知りませんか?」


 エドガーさんは不思議そうに聞いてきた。

 異世界でも、童話はあるものだと思っていたが、違うのか。


「知らないな。聞いたこともない」

「小説とか、絵本とかは?」

「今聞いたな」

「本、もですか?」

「そうだな、基本的にカラーエデンズでは紙をあまり使わないから」

「そう、ですか……」


 なんか、少し残念だな。

 異世界の絵本とか小説とか、読んでみたいと思っていたのに。


「セイのところにはその、本というのはたくさんあるのか?」

「はい、たくさんありました」

「どういう本、というものが好きだったんだ」

「ファンタジー、いえ、この世界のような異世界とか、そういう話が基本的に好きでした」

「……そうか。どんなところが面白い?」

「えっと、例えばエドガーさんが見せてくれた魔法を頭の中で想像したり、見たことのない種族の人たちとの関りとか、とっても好きなんです」

「じゃあセイはきっと、そういう奴らにも今後会えるよ」

「え? どうしてですか」

「それは教えられない」

「そう、ですか……」


 エドガーはうん、と頷いて思い出したように口にした。


「俺が聞きたいことは大体、聞いたから、一旦出るな」

「は、はい……自分もそろそろ上がりますね」


 そう言って、自分は浴槽から立ち上がった。

 シェイレブさんはその音を聞いたのと同時に、立ち上がる。


「タオルは横に置いとく」

「はい、わかりました」

「廊下で待ってるから、好きなだけ浸かってろ」

「え? でも」

「……少しは、体を休めることも大切だ」


 エドガーさんは、そう言うと曇りガラスの引き戸から向こうへと消えていった。

 自分は彼が扉を閉じるまで浴室の中に留まる。

 パタン、となった音を聞き取って自分は浴槽に改めて浸かった。


「……頑張った、証拠。かぁ。そんな風に捉えたこともなかったなぁ」


 みんな自分をいじめるだけいじめて。

 ただ、女の子として育てられたんじゃなく、男として育て上げられただけなのに。

 園崎君も、本当のことを最初から伝えていれば、違ったかな。

 女の子らしい私なら、普通の自分なら。


「……っ」


 自然と涙がこみあげてくる。

 この世界ではいじめられることはない。でも、戻って、自分が生きた状態で戻ってもいじめられかねないわけで。

 そんな生活が待っていると思うと、怖くて。


「……泣いてたってしかたないんだ」


 園崎君のことは、私が助けたかったから助けただけ。

 余計なお世話だと言われても、自分は自分の維持を通したかっただけ。

 そう、それだけだったのだから。

 ……馬鹿だ、自分。なんで今へこんでいる暇があるというのだろう。

 心の淀みそうになるのに、エドガーさんが言ってくれた言葉で少し気持ちの中のドロドロが落とされた感覚になって、少しすっきりした。


「……そろそろ、出よ」


 静は風呂場から出ると新品に見える二つのタオルが近くのカゴに置かれてあるのがあったので、おそらくエドガーさんが置いてくれたものなのだろうと察する。

 おそらく、大きい方のタオルはボディタオルで、もう一つは小さいから髪の毛用のタオルだろう。

 ありがたく、濡れた体をタオルで拭ていく。

 ふと、自分の着替え用の棚が目に入った。


「……あれ?」


 棚を覗くと、さらしと学ランがない。

 その代わりに自分の着替えの服と思われる物の上に手紙が置かれてある。

 乾いた手で見ると綺麗な字で日本語で書かれてあった。


『これはセイの分だ。魔女様が作ったのだから、気に入ってくれるなら魔女様も喜ぶと思う、By魔女様の弟子より』

「…………エドガーさん、日本語知ってるんだ」


 異世界なのに、どうして知ってる? なんて普通だったら思うだろうけど、余所者という呼び方で私の世界の人たちが来ているなら多少は知っていてもおかしくないだろうなと自然と納得していた。

 そして、私は魔女様が作ってくださった服に着替えを開始するのであった。

 魔女様が作ってくださった服は、男性に見える……というより少女にも見えるし少年にも見えなくない衣装だった。

 とりあえず一つ一つ、見て行こう。まず手に取ったのは、さらしだ。おそらく、シェイレブさんが魔女様にお願いしてくれたものなのかもしれない。

 他の上の方は、ワインレッドのタンクトップに、白のワイシャツ。

 下は暗い緑色のホットパンツ、おしゃれなソックスガーターと靴下に革靴と言う組み合わせ。


「ソックスガーターって、あんまり履いたことないんだよな……」


 念のため、自分のところの棚を確認すると一番下に数枚置かれた紙があった。

 なんなのか知るために、黙視で手紙を読む。

 シンプルな言葉で、それぞれイラストで描かれた手順は見ていてわかりやすい。

 

「…………ありがとうございます、エドガーさん」


 先に上半身の着替えから開始する。

 サラシで胸を絞めて、赤いタンクトップの上に白いワイシャツを着る。

 次にホットパンツと靴下を履いてから自分は紙に書かれた通りにソックスガーターを付けることを開始した。


「えっと、ステップ1、クリップを靴下に挟む……クリップってこれかな」


 革でできたベルトの下に少し伸びた部位の先についている金属にそっと触れる。

 ステップ2、クリップを挟んだら、きつすぎない程度にベルトを締める。

 ベルトは、おそらく足の周りに付ける円形の革の部分のことだと察した。

 不器用ながらもなんとか取り付けることができたため、ふぅと息を吐いた。

 これで、魔女様が作ってくださった服に着替え終えた。


「うわぁー…………すごい」


 まるでファンタジー世界の住人のようにも思えてくる格好に、思わず見惚れてしまった。

 別に自分にと言う意味ではない。服がすごい、と言う意味である。

 脱衣所に置かれた鏡で念のため確認する。上半身しか映らないがそれでも私がこの世界の住人のように見えるか、最終チェックだ。

 …………と言っても、襲ってきた村人の人やエドガーさんたちとしかまだ会ったことはないんだけど。

 サラシもいつも通り巻けたし、それ以上の問題はないだろう。

 

「…………ああ、でもどうして学ランがないのか、エドガーさんに聞かないと」


 今魔女様からの新しいさらしを巻いているが他の服が見当たらないのだ。

 とりあえず、エドガーさんに会おう。

 さっき入ってきた扉の方のドアノブに手をかける。

 

「ん、来たな」

「はい、あのエドガーさん私の学ランはどこか知りませんか?」

「今日色々歩き回ったんなら洗い物するのは難しいだろう? 俺たちが洗っておいたから、次からは頼むぞ」


 ありがたいな、と素直に喜べないのは申し訳ないがしかたない。

 それよりも、一番気になる単語が聞こえた気がする。


「俺たち?」

「一応言っておくけど下着とかはソフィアが洗ったから大丈夫、という意味だ」

「……ありがとうございます」


 エドガーさんは歩きながら話すか、と言われ、頷き歩き始めた。

 自分は着替えてから疑問に思ったことを口にした。


「あの、魔女様が作ってくださった服はありがたいんですが……どう見ても外出用の服に見えるのですが」

「魔女様の部屋に行くからな」

「……それは、今後どうするかの、ということですか?」

「俺たちは何も言えない、魔女様の部屋に行った後からなら、ちゃんと屋敷の説明する」

「…………わかりました」


 つまりそれは、魔女様の弟子だから、ということか。

 それとも、何か条件を出されるかもしれないことをこの場で言ったら、反故にする可能性があるから……だろうか。

 どちらにしても、魔女様に会わないとわからなそうだ。

 エドガーさんとある程度前の方へ進んでいくと、突然立ち止まる。


「着いたぞ」


 自分たちがいるのは二階の廊下だ、どこを見たって部屋の中に入ったわけでも、入り口に立っているとは到底思えない。自分は不審げに、エドガーさんに問いかける。


「……着いたって、ここ廊下じゃないですか」

「見てれば分かる」


 彼は木の壁に近づくと持ち前の杖を使って壁の指差す。


「クウァエレレオクルス」


 金色の光が、突然輝き出す。眩しくて、目を一瞬閉じると次に見開いた先で壁だったところから突如分厚い扉が現れる。

 まるで魔法で隠されていた扉を発見したかのよう。

 と言えば……その通りなのだろう。


「ここからはセイだけが行ってくれ」

「どうしてですか?」

「魔女様の命だ、それ以上のことは言えない」

「……わかりました」


 自分は唾を飲んで、勇気を出してドアノブに触れる。

 ガチャ、と音がして扉が開かれるとそこからはもう、彼女の部屋である領域だった。


「――――――来たね、お嬢ちゃん」


 空色の瞳が、真っ直ぐと私を射抜いていた。

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