第5話 お風呂場での扉越しの会話

 エドガーさんと話しながら食事を終わらせ、一、二時間経ったくらいだろうか。

 バン、と強い音を立てて開かれた扉の音に驚き振り向くせいと、エドガーは至極無表情でその人物を見る。


「やっほー、二人ともぉ」


 シェイレブさんは扉を足で開けた。

 豪快な開け方にびくっと肩を揺らすと、エドガーさんは「足癖が悪いぞ、シェーレ」と言った。


「その様子を見るに、こってり絞られたな」

「るっせぇよエーちゃん。魔女様ずっと俺に説教してきて離してくんねーの、超疲れたぁ……」


 ひどく疲れた様子でイスに座るシェイレブに、静は恐る恐る声をかける。


「あ、あの……シェイレブさん、大丈夫ですか?」

「まあね、稚魚ちゃんは気にしなくていいよぉ、なんか話してた?」

「はい、シェイレブさんとモニカさんの話をエドガーさんに」

「は? 何それ」


 怪訝そうにエドガーさんを見るシェイレブさんは、彼に回答を目で要求した。愉快そうに笑うエドガーさんは口元に手を当てる。


「お前とモニカの話を少ししただけだ。変な話はしてない」

「わかってるってエーちゃん。そんで魔女様部屋で食べるって、後俺喉乾いたから紅茶入れて―」

「わかった、セイも飲むか?」

「あ、お願いします」


 エドガーさんは席を立ち、自分とシェイレブさんのカップを持ってキッチンの方に行った。

 紅茶を入れる時の音って、聞いていて何となく心が落ち着くものだ。


「ねえ稚魚ちゃん」

「? なんでしょう」

「稚魚ちゃんはメ……異世界のところでは、人間ってことでいいの?」

「はい……? そうですが」

「やっぱかぁ、匂いがそうだもんねぇ」


 シェイレブさんが頬杖をつきながらじっと自分を見る。

 自分の体臭をそこまで気にしたことはないが、水浴びをしたとはいえ、石鹸せっけんとかで洗ったわけではないし、学ランの方はそのままだから臭うのかもしれない。

 

「あの……すみません、水浴びしたとはいえ、体臭いですよね」

「ん? いや、それは――」

「え? 違うんですか?」

「……稚魚ちゃん、今お風呂入りたい?」

「はい、できればその……服の洗濯もしたいです」


 正直に言うと、シェイレブさんはシェラードさんのいるキッチンの方に向いてシェラードさんに声かける。


「シェードぉ稚魚ちゃんと俺の紅茶は後ねー、先に稚魚ちゃんにお水おねがーい」


 シェラードさんはわかりました、と言って紅茶を入れながらも自分の水をどうやら用意してくれるらしい。自分はシェイレブさんの発言に不思議になる。


「どうしてですか?」

「んー? 水分補給した後にお風呂入った方が入ってる時に喉乾かなくていいじゃん。トイレには行きたくなっちゃうかもだけど、脱水症状の出る確率減るっていうし」

「そうなんですか……あまり気にしたことなかったです」

「ちなみに、飲む時は入浴前と入浴後にも一回必ず飲むことが大事なんだって、年取ってきたら脳梗塞のうこうそくとか心筋梗塞しんきんこうそくになったりする場合があるらしいから気をつけな? これ、余所者知識ね」

「……勉強に、なります」


 エドガーさんはガラスコップをコトリ、と静かに置いた。


「セイ」

「ありがとうございます、エドガーさん」


 自分はエドガーさんが水を持ってきてくれたのでお礼を言ってから、ゆっくり水を飲む。

 エドガーさんはシェイレブさんの皿などを片付けてキッチンに戻った。

 あまり家でも気にしてなかったが、確かにお風呂上りには喉が渇いていた時なんてよくあったよな……余所者知識って言ってたけど、もしかしてその人は医者関連だったのかもしれない。

 けれど、憶測や推測を彼に言うのは、詮索するのと変わらないから下手に今は言わない方がいい気がする。


「……あ、シェイレブさん」

「ん? 何?」

「ごはん美味しかったです、ありがとうございました」

「気にしないでぇ、んじゃ屋敷の案内するからついてきて」

「はい」


 私とシェイレブさんは立ち上がり、一緒に廊下へと出た。



 ◇ ◇ ◇



 やっぱり、この屋敷は広い。

 魔女の家って、グリム童話のヨリンデとヨリンゲルに出てくる魔女や白雪姫の継母みたいに城を持っていたから、別に魔女の家が小さいという偏見はあまりない。

 しかし、魔法を使って調理する場面に出会えなかったのが少し残念だった。まあ、もしかしたら今回はそうしなかっただけかもしれないし、絶対ないとは限らない。

 今日の晩御飯の時に期待しておこう。

 ぐっとシェイレブさんに見えない位置でこぶしを握り締める。

 シェイレブさんはすぐ近くにあるからねぇ、と言われてから黙々と歩いていく。

 キッチンとリビングから真っ直ぐ右の方に進んで来て、白い木製の扉が自分たちの前に現れる。


「着いたよぉ」


 シェイレブさんは扉を開けて中を見せてくれた。

 脱衣所を抜けて、曇りガラスでできた浴室ドアをガラガラと開けると、そこには天国があった。


「はーい、ここは魔女様やお客様専用のお風呂だけどぉ、稚魚ちゃんは余所者だから使っていいよ」

「わぁー……大浴場ですね」


 壁も地面も一面、穏やかな木目があるお風呂場に感動を覚える。

 檜風呂ひのきぶろのような木製の風呂場にはあまり入ったことがないが、銭湯の大浴場ともまた違う優しさを感じられる。はやく入りたくなってしまう気持ちが抑えられなくなりそうだ。

 シェイレブさんは自分の表情に気づいたのか、腕を組んで聞いてくる。


「気に入った?」

「はい。あの、でも……いいんでしょうか」

「いいじゃん、稚魚ちゃんの余所者特権使っても魔女様も俺らもだーれも怒んねぇよ? 利用できる時に利用しておかないと後で後悔しても知らねえよー?」

「……わかりました、ありがとうございます」


 シェイレブさんに促され、思わず頷いてしまう。


「気にしなくていいのに、変な稚魚ちゃん。ちなみに洗濯はぁ……洗濯機ないから自分で洗うことになるけどぉ大丈夫?」

「はい、家でよく自分で洗っていたので」


 いじめっこたちからのいじめで鍛えた家事力を舐めないでもらいたい。

 ……そのことに関しては、言わないでおくか。


「そ? ならいいけど……ちなみに脱衣所の隣の方に外で干すこともできるから自由に使ってねぇ」

「わかりました」

「んじゃ、もしもの時は声かけてねぇ」

「はい、ありがとうございます」

「んじゃねー」


 去り際に手を振りながら去っていくシェイレブさんを見ながら、扉を閉めたのを確認してから着替えを始めたせいだった。

 服を一枚一枚脱衣所で脱いで、浴槽に浸かる前に体を洗うことにした。

 優しい香りのする石鹸せっけんで頭や体を擦って、備え付けのシャワーで泡と一緒に汗や汚れを流した。

 甘ったるくない、爽やかな香りに心が癒される。


「いい香り…………私には、もったいないな」


 シャワーの蛇口を止めて浴槽のところまで歩いていく。

 じっと、檜風呂ひのきぶろのお湯をじっと見る。


「…………いいの、かな」


 自分の頭の雑念を首を振って払い、勇気を出して足をそっと浴槽に付ける。

 足にちょうどいい暑さが伝わり、もう片足も風呂に付けてから全身で浴槽に入る。


「ふぅ……」


 優しい人たちなのかもしれないという期待は、お湯の熱さのせいだろうか。

 絶対にないというわけではないのはわかっている。知らない土地でいきなりそこまで信用するのはよほどの馬鹿がすることだ。

 それでも温かいと、そう思ってしまったのだ。

 目尻から、涙が出そうになるのを顔に両手を当てて抑え込む。

 トントン、と引き戸から音が鳴る。


「稚魚ちゃーん、お湯加減どう?」

「し、シェイレブさん!? どうして……」

「んー? 暇だから稚魚ちゃんと少しお話したくなっちゃった、ダメぇ?」

「………シェイレブさんが、浴槽の中まで入ってこないなら、いいですけど」

「わかった、んじゃ、ここで話すねぇ」


 シェイレブさんはそういうと、引き戸に背を持たれているのが影でわかる。

 けど、どうしたんだろう。急に。


「あのさー、稚魚ちゃんはメ……じゃなくて、人間で言うと女の子でいいんだよね?」

「…………知ってるんですね」


 気絶していた時とかに着替えさせてくれていたのなら、気づいてしまったのだろう。私の痕を。


「見ちゃったっていうか、引きずり込んだからっていうかぁ……まあそんな感じ」

「引きずり込む……?」


 引きずり込むって、どういう意味だろう。

 強いて覚えがあるのは、湖の人魚がぼんやりと頭にあるけど細かい姿までは覚えていない。

 まさか、な……?


「あ、そこ気にしないで。さっき魔女様にめちゃくちゃブチられたばっかだから、聞きたくないんだー」

「わ、わかりました」

「稚魚ちゃんはぁ、顔とか手足とか目に見えてわかるところにはケガしてねえじゃん。腹の痣、どったの?」

「…………学校の生徒に、いじめられてまして」


 思い出しただけで、嫌気が差してくる。

 教科書はマジックなりのペンで死ねだのブスだの落書きされたり、椅子に画鋲が一面に敷かれてあったり、机を学校の外に出されてあったり……園崎くんもよくあれに耐えていたんだと思ったくらいだ。

 シェイレブさんは、ふぅんと言って、それ以上の詮索はしなかった。 


「陰湿だったんだ、稚魚ちゃんとこの学校の子たち」

「……はい、先生にバレないようにしていたんだと思います」

「そっか。でも稚魚ちゃんすげえじゃん、そんなあざがたくさんあるくらい、立ち向かったんでしょ?」

「…………はい、どうしても童話作家になりたくて」

「童話作家? 何それ」

「え? 知りませんか?」


 シェイレブさんは不思議そうに聞いてきた。

 異世界でも、童話はあるものだと思っていたが、違うのか。


「うん、知らない。聞いたことないもん」

「小説とか、絵本とかは?」

「それも今聞いたなぁ、俺の地元にはなかったと思う。みんな口頭で覚えるものだから、そういうものに書き留める理由がないからなぁ」

「本、もですか?」

「うーん、料理のレシピとか、それくらいかなぁ」

「そう、ですか……」


 なんか、少し残念だな。

 異世界の絵本とか小説とか、読んでみたいと思っていたのに。


「稚魚ちゃんのいたところにはそういうのたくさんあった?」

「はい、たくさんありました」

「どういう話が稚魚ちゃんは好きだったの?」

「ファンタジー、いえ、この世界のような異世界とか、そういう話が基本的に好きでした」

「へぇー……そうなんだぁ。どんなところが面白いの?」

「えっと、例えばエドガーさんが見せてくれた魔法を頭の中で想像したり、見たことのない種族の人たちとの関りとか、とっても好きなんです」

「ふーん、じゃあ稚魚ちゃんはきっと、そういう奴らにも会えるよ」

「え? どうしてですか」

「それは教えられない、だってまだ稚魚ちゃんは魔女様とお話ししてないもん」

「そう、ですか……」


 シェイレブさんはうん、と頷いて思い出したように口にした。 


「あ、でもそろそろ上がらないとのぼせない? 長風呂とか稚魚ちゃんは平気なタイプ?」

「それもそうですね。そろそろ上がります」


 そう言って、自分は浴槽から立ち上がった。

 シェイレブさんはその音を聞いたのと同時に、立ち上がる。


「んじゃ、稚魚ちゃんタオルは横に置いとくからね」

「はい、わかりました」

「はーい、んじゃ俺廊下で待ってるから、返事はいいよぉ。んじゃねー」


 シェイレブさんは、そういうと曇りガラスの引き戸から向こうへと消えていった。自分は彼が扉を閉じるまで浴室の中に留まる。

 パタン、となった音を聞き取って自分は浴槽から出る。

 新品に見える二つのタオルが近くのカゴに置かれてあるのがあったので、おそらくシェイレブさんが置いてくれたものなのだろうと察する。

 おそらく、大きい方のタオルはボディタオルで、もう一つは小さいから髪の毛用のタオルだろう。

 ありがたく、濡れた体をタオルで拭ていく。

 ふと、自分の着替え用の棚が目に入った。


「……あれ?」


 棚を覗くと、さらしと学ランがない。

 その代わりに自分の着替えの服と思われる物の上に手紙が置かれてある。

 乾いた手で見ると綺麗な字で日本語で書かれてあった。


『これは稚魚ちゃんの分。魔女様が作ったのだから、気に入ってくれたらめっちゃ本人喜ぶと思うよぉ、By魔女様の弟子より』

「…………シェイレブさん、日本語知ってるんだ」


 異世界なのに、どうして知ってる? なんて普通だったら思うだろうけど、余所者という呼び方で私の世界の人たちが来ているなら多少は知っていてもおかしくないだろうなと無理やり納得させた。

 そして、私は魔女様が作ってくださった服に着替えを開始するのであった。魔女様が作ってくださった服は、男性に見える。

 ……というより少女にも見えるし少年にも見えなくない衣装だった。

 とりあえず一つ一つ、見て行こう。まず手に取ったのは、さらしだ。

 おそらく、シェイレブさんが魔女様にお願いしてくれたものなのかもしれない。

 他の上の方は、ワインレッドのタンクトップに、白のワイシャツ。

 下は暗い緑色のホットパンツ、おしゃれなソックスガーターと靴下に革靴と言う組み合わせ。


「ソックスガーターって、あんまり履いたことないんだよな……」


 念のため、自分のところの棚を確認すると一番下に数枚置かれた紙があった。

 なんなのか知るために、黙視で手紙を読む。


『ガーターの付け方分からなかったらと思って絵と説明付きで書いといたからぁ、これで確認しながら見てねぇ』


 シンプルな言葉で、それぞれイラストで描かれた手順は見ていてわかりやすい。

 

「…………ありがとうございます、シェイレブさん」


 先に上半身の着替えから開始する。

 サラシで胸を絞めて、赤いタンクトップの上に白いワイシャツを着る。次にホットパンツと靴下を履いてから自分は紙に書かれた通りにソックスガーターを付けることを開始した。


「えっと、ステップ1、クリップを靴下に挟む……クリップってこれかな」


 革でできたベルトの下に少し伸びた部位の先についている金属にそっと触れる。

 ステップ2、クリップを挟んだら、きつすぎない程度にベルトを締める。

 ベルトは、おそらく足の周りに付ける円形の革の部分のことだと察した。

 不器用ながらもなんとか取り付けることができたため、ふぅと息を吐いた。

 これで、魔女様が作ってくださった服に着替え終えた。


「うわぁー…………すごい」


 まるでファンタジー世界の住人のようにも思えてくる格好に、思わず見惚れてしまった。

 別に自分にと言う意味ではない。服がすごい、と言う意味である。

 脱衣所に置かれた鏡で念のため確認する。上半身しか映らないがそれでも私がこの世界の住人のように見えるか、最終チェックだ。

 …………と言っても、襲ってきた村人の人やシェイレブさんたちとしかまだ会ったことはないんだけど。

 サラシもいつも通り巻けたし、それ以上の問題はないだろう。

 

「…………ああ、でもどうして学ランがないのか、シェイレブさんに聞かないと」


 今魔女様からの新しいさらしを巻いているが他の服が見当たらないのだ。

 とりあえず、シェイレブさんに会おう。

 さっき入ってきた扉の方のドアノブに手をかける。

 

「ん、来たね稚魚ちゃん」

「はい、あのシェイレブさん私の学ランはどこか知りませんか?」

「だって稚魚ちゃん今日色々歩き回っただろうからせっかくお風呂入ったんだし、洗い物するの疲れるでしょ。今日だけ特別に俺らが洗ったから、次からは稚魚ちゃん洗ってねぇ」


 ありがたいな、と素直に喜べないのは申し訳ないがしかたない。

 それよりも、一番気になる単語が聞こえた気がする。


「俺ら?」

「一応言っておくけど下着とかはモニカが洗ったから大丈夫、稚魚ちゃんもさすがに女の子以外に自分の下着洗われんの抵抗あるでしょ?」

「……ありがとうございます」


 よかった、でもどうやってモニカさんは私の下着を洗ったのだろう……? 

 あの細い前脚とかで、どう洗ったのかの方が気になるが。

 シェイレブさんは歩きながら話そ? と言われ、頷き歩き始めた。

 自分は着替えてから疑問に思ったことを口にした。


「あの、魔女様が作ってくださった服はありがたいんですが……どう見ても外出用の服に見えるのですが」

「ん? 魔女様の部屋に行くからだよ」

「……それは、今後どうするかの、ということですか?」

「俺らからは何も言えないんだ、ごめんねぇ。魔女様の部屋に行った後からなら、ちゃんと屋敷の説明するから」

「…………わかりました」


 つまりそれは、魔女様の弟子だから、ということか。

 それとも、何か条件を出されるかもしれないことをこの場で言ったら、反故にする可能性があるから……だろうか。

 どちらにしても、魔女様に会わないとわからなそうだ。

 シェイレブさんとある程度前の方へ進んでいくと、突然立ち止まる。


「はい、着いたよぉ」


 自分たちがいるのは二階の廊下だ、どこを見たって部屋の中に入ったわけでも、入り口に立っているとは到底思えない。自分は不審げに、シェイレブさんに問いかける。


「……着いたって、ここ廊下じゃないですか」

「あはは、いいから見てなって」


 彼は木の壁に近づくと持ち前の杖を使って壁の指差す。


「クウァエレレオクルス」


 金色の光が、突然輝き出す。眩しくて、目を一瞬閉じると次に見開いた先で壁だったところから突如分厚い扉が現れる。

 まるで魔法で隠されていた扉を発見したかのよう。

 と言えば……その通りなのだろう。


「んじゃ、入って稚魚ちゃん。ここからは稚魚ちゃんだけは入ってねぇ」

「どうしてですか?」

「魔女様からそう命じられてんの、それ以上のことは言えないから行ってくれる?」

「……わかりました」


 自分は唾を飲んで、勇気を出してドアノブに触れる。

 ガチャ、と音がして扉が開かれるとそこからはもう、彼女の部屋である領域だった。


「――――――来たね、お嬢ちゃん」


 空色の瞳が、真っ直ぐと私を射抜いていた。

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