第3話 虹の庭園
誰かの手が、私の頭を撫でられている感覚がする。
撫で方が壊れ物を扱う時の緊張した撫で方じゃなくて、手慣れているという感じにも似てる。
優しくて、心が温かくなる……そんな触り方。
この撫でられ方に、どこか覚えがあるような気がした。
けれど、それは誰だったのか、今すぐには自分の棚にしまった記憶はなかなか引き出されてくれない……でも、覚えている。
目から頬に伝う雫の感覚に気が付けば目を開けていた。
「…………っ、あ、れ……?」
こんな自分でも、そんな優しい誰かの手を覚えていたことが少し意外だった。
もう、あの日から
視界に広がるのはガラス張りの天井に太陽に照らされた金髪の頭が目に入る。
視界が明瞭になってくると穏やかなスカイブルーの両眼が私の顔を覗いていた。
「……起きたか?」
髪から顔の輪郭なぞって喋り出す口から聞こえたのは、さっきの人の声だ。
ぶっきらぼうで、でもどことなく優しい、穏やかな声。
「貴方、は……」
男性は私が起きたことを確認すると無言で立ち上がって去っていった。
もうさっきまで感じていた頭を撫でられる感覚がない……彼が撫でていてくれたのだろうか。
魔女、って誰かを呼ぶなんて絵本や童話の中くらいだと思っていたのにそんな呼び方をする人なんているんだな、なんて思いながら体を起き上がらせる。
体を起き上がらせて周囲を見渡せば、植物庭園の中のベットの上で自分は眠っていたらしい。
「あれ、服……乾いてる」
息がしやすいようにか、学ランのボタンだけは外されている。
Yシャツのボタンは第二ボタンから留まっているのに、なぜ……? まさか、彼が?
「~~~!! 今、は置いとこう」
顔に覆った手を頬の位置まで持ってきて一回叩いてから気持ちを切り替える。
レンガになっている地面が続いているから、これを辿っていけば会えるかもしれない。
歩けば歩くほど、まるで自分が想像していた御伽噺の庭園はここだとでも言いたくなるくらいのたくさんの花や植物が咲いている。
あの人を見失わないためにも、すぐに頭を振って前へ走り出す。
レンガの中央の道をしばらく進んでいくと赤い薔薇の花のアーチを通り抜ける。
「はぁ、はぁ……っ」
息が限界で、やっと着いた場所は噴水と奥の方にガラス張りの十字架の壁が現れる。カフェテラスにあるようなテーブルとイスが置かれてある場所に二人の男女がそこにいた。
男の人は、さっきまで私が目覚めるのを待っていてくれた男の人で白いテーブルに腰かけている。その横には薄紫色のドレスを着た老年の女性が優雅に紅茶を飲んでいた。
女性は目を伏せたまま紅茶のカップを皿の上に置くと口を開く。
「ようやく起きたかい」
「あ、あの……貴方方は……?」
「まず先に自分の名前から名乗りな。それが礼儀ってもんだろう」
「は、はい! すみません」
紅茶をもう一度飲む女性の言葉にすぐ自分は謝罪する。
こ、怖い人、なのかな。いや、礼儀に関してきっちりしてる人ってことなのかもしれない。
流し目のスカイブルーの瞳に晶は怯えるがいったん深呼吸してから自分の名前を名乗ることにした。
「
「……っは、随分と名前負けしてるね」
……色々言いたいけど、今は無理だろうな。
静は空気を読み、先に紫色のドレスを着た女性に謝罪する。
「……す、すみません。あ、あの、ここがどこか知っていますか? 自分、日本にいたはずなんですが……駅にいたはずなのに、急に森にいて」
「さっき水浴びしてるところは見たが、勝手に人の領地で好き勝手しているのはどうかと思うが?」
「そ、それは確かにそうですが……体が汗まみれで気持ち悪かったから、つい。人がいるような場所には思えなかったので……本当にごめんなさい!」
男性の正論に申し訳なくひたすら謝る。
どこかもわからない場所にいるとは言っても、人の敷地だったのに気づけなかったのは盲点だった。
けれど、自分の家に帰りたくても帰り道を知らないのにすぐにたどり着けないだろうし。
「あの、家の帰り道がわからなくて、困ってて……」
「魔女様、コイツ殺しますか?」
「ま、待ってください!! 本当なんです! 私ここがどこかも知らなくて……!!」
「……どうやら、嘘はないようだね」
魔女様と呼ばれた女性がカップを口から離すと、男性はつまらなそうに尋ねる。
「……じゃあ客ということですか?」
「少し違うね。おそらくあの人と同じだよ」
「あ、あの」
ぐぅー……、と、自分のお腹から音が鳴った。
顔が熱くなって、顔を俯くと男性が自分に近づいて来た。
顔をじっと見つめてくるのに恥ずかしくなってくる。
「今のはお前の腹の音か?」
「は、はい……」
「……いいだろう、面白い物を見せてやる」
「え……?」
男性は顔を上げた私の目の前に指を立てる。
彼の口元から、いいや自分の近くの空気が水の泡になって噴き出るが見えた。
シャボン玉みたいな水の泡。
コポ、って音もやけにリアルで、思わず声もなく驚いた。
彼は私たちの周りに巡回するすべての空気を水の泡に変えていく。まるで、この花園が海の中にいるのかと錯覚を起こしてしまうなんて余裕なぐらい。
男の人が指を天井に向けると、集まっていた水の泡たちが水溜りがでてきていく。一気に弾けると火花みたいに駆け巡って、花火みたいに鮮明に輝いて水飛沫が飛び交う。クルクルと捻じれて回って見せたり、花や動物の形になって私たちの周りを行きかう。
子供の頃にしたシャボン玉より、夏祭りの夜空の花火を窓から眺めてる感覚とも違った。一人で寂しく眺めるようなあの時の感覚と、全然違った。
これを夢だと思ってしまってもおかしくなくて。自分が吸っているはずの空気から空中に浮かぶなんて、どんな手品だろうってもっと先が知りたくて。
私たちを回るように泳いでいく水飛沫が、最後には雨となって体に降りかかる。
もう終わってしまったのかという落胆も、次の景色で全てが変わった。
「これでわかっただろ? ここは、お前のいた世界じゃない」
男性は空を見上げていた。
雨が上がり、ガラス張りの世界の中に太陽よりも眩しいと思える
「――――――ここはカラーエデンズ。虹色の楽園だ」
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