第57話 あなたはわたしを二度抱きしめる

 それから半年後。すっかりラーレン病は下火になり、かつ、テレージアの力がなくとも完治出来る薬が作られた。森の毒の木から樹液を採取して神殿に持っていく回数は、徐々に減っている。


 最初は薬を国外に売りつけていたものの、国外で薬の成分を調べ直し、結果、毒の木の樹液の代わりになるものが発見されたようだった。今度はそれがこの大陸にはないため、逆に買って、樹液と並行して使用しているらしい。


「なんだ、お前、翼が生えてるじゃないか!」


 久しぶりにリーチェの家に訪れたユリアーナを見て、驚きの声をリーチェがあげた。しかも、その隣にはなんとテレージアもいる。


「テレージア様のおかげだと思うんですけど……」


 半年を経て、ついにユリアーナの翼は立派な一人前の翼になった。「魔女の家」で神聖力を回復しようとやって来たテレージアだったが、それは彼女にとっても意外だったようで驚く。


「まあ、わたし、その、ユリアーナさんの傷が少しでもよくなるようにと……そう思って力を注いだのですが……」


「おい! ガートン! ちょっと来い!」


 茶を淹れているガートンをリーチェは呼んだ。彼もまた、ユリアーナの翼を見て大いに驚き「一体、どういうことだ?」と呆気にとられる。


「おい、テレージア、こいつにもなんかわからんが処置してやってくれ」


「は、はい」


 慌ててガートンの手を握るテレージア。まさか、自分の力で翼を取り戻すことが出来るなんて……と、半信半疑だが、ユリアーナに治癒術を使ったのと同じように力を送る。


「ガートン。お前もまた空を飛べるかもしれんぞ!」


「本当でしょうか……これで生えてこなかったら落胆してしまいますので、まあ話半分に聞いておきま……」


 すね、と続けようとしたガートンだったが、びくり、と体を震わせる。


「どうした?」


「な、何か……背に……切られた傷のあたりがむずむずとして……」


 彼は目を瞬かせた。ちなみに、結局その日はそれきりだったが、後日、彼の背にも新しい翼が生えることとなる。


「で、お前ら今日は何だ?」


「いえ、翼が生えたよ~って見せに来ただけです」


「なんだ、つまらん」


 つまらんと言いながら、リーチェは少しばかり嬉しそうに笑う。


「ちょうどよかった。テレージア、お前からも報告があるだろう」


 リーチェにそう言われ、テレージアは頬を紅潮させて「そ、それは……」と困ったようにもごもごと口を開いた。


「その……ラファエルと婚約をいたしました。その、式はまだまだ先の話になるんですけど……」


「「えっ」」


 ユリアーナとヘルムートは同時に声をあげ、それを聞いてリーチェは大笑いをする。


「おめでとうございます!」


「おめでとうございます。それでは、テレージア様は王位には……」


 ヘルムートのその質問に、はっきりと答えるテレージア。


「聖女としてわたしを担ぎ上げる者もいましたが、王位継承権は捨てました。それで……神殿に引き続きお世話になりながら、治療術師として暮らしていこうと思っています」


 王位継承権を捨てたからといって、王族であることに変わりはない。だが、彼女は働き手になることを選んだ。きっと、引き続きラファエルが護衛騎士として彼女を守ってくれることだろう。


 そもそも、王族の一員の伴侶に騎士団の者がなることは珍しい。それが可能になったのは、彼女が第三王女という立場であること、王族でありながらもラーレン病の騒動の中、一人で神殿で奮闘をしていたことなどがあげられる。王族であるが、ある意味では王族ではない。その立場の彼女を、あの騒動の中で王城を追い出されていた臣下たちや神殿の神官たちが支持をしてくれた。その結果がこれだ。彼女にとっては「王族ではない」ことの方が喜ばしいことなのだろう。


「とはいえ、ラーレン病もまだいくらか続いているからな。しょうがないから、たまにこいつを連れて来ているんだよ。この先も治療術師を続けるなら、ちっとは休ませないとな」


 リーチェはそう言ったが、彼も彼で引きこもりから少し外に出て、人の気配に慣れてしまったのだろうと思う。ユリアーナはなんとなくそれを理解した。


「その時になったら、お二人を式に招きたいのですが……どこに連絡をとれば良いでしょうか。ユリアーナさんのお家? 今、どちらにお二人はいらっしゃるの?」


「あっ、この森の居住区のわたしの家に連絡をいただければ。ラファエルも場所は知っていると思います」


「わかりました。ヘルムートも一緒なのですね? そこで何を……?」


「我々はこの付近のラーレン病の患者にクライヴ先生の薬を届けたり、ガダーエの町のギルドに登録をして生計を立てています」


 神殿から戻ったクライヴは、樹液を森で採取して一人で薬を作り、2人に頼んで配っている。また、ヘルムートはあっという間にギルドでは有名人になり、先日はなんとグリースと組んで盗賊退治を行った。ユリアーナは銀線細工を作って、デニス一家に販売を依頼しているが、これがまたそれなりの収入になっている。世はラーレン病で混乱をしているものの下火になって来たため、商売はなんとか問題なく続いている様子だ。


「ようやく、ちょっとずつ色んなことが落ち着いて来たようだな」


 珍しくリーチェがしみじみとそう言う。それに反論をする者は一人もいなかった。本当に、怒涛のような日々。未だにラーレン病は流行っているが、それでも未来は明るく見えていると、みなは思うのだった。




 リーチェの家を出て、大樹の前に現れた2人。ユリアーナは大樹を振り返って見上げる。大きな枝葉は変わらず空に向かっている。適度に木洩れ日が差し込んで明るさを遮りすぎない。けれど、周囲のどの木よりも立派だ。


「なんか、ちょっとわかるかも」


「ちょっとわかる? 何がだ?」


「大樹のねぇ、枝に座りたくなるんだよねぇ~」


 そう言うと、ユリアーナは翼を広げた。大きく、柔らかな白い翼。それを見てヘルムートは目を細める。


 ばさばさと羽ばたいて、ユリアーナは大樹の枝に座った。下から見上げているヘルムートは、小さく笑って


「どうだ? 昔、そこに集ったラーレンの気持ちでもわかるか?」


「うん。わかる気がする。この枝に座るとすごく遠くまで見える。木々の隙間を越えて、かなり遠く、といっても森の外までは見えないけど……夜は、ここから星空を見たのかなって思うし……森の、他の木じゃこうは行かないわね。ここは別格よ」


「そうか」


 ヘルムートはそれへ微笑み返すと、そのまま大樹の幹近くに座った。「飽きるまで、そこにいるといい」と彼は言う。


 しばらく枝に座って遠くを眺めながら、ユリアーナはこれまでのことを思い返していた。始まりは、ラファエルを見つける一週間前。それより前の記憶は、自分の記憶ではなく「9回目までのユリアーナ」の記憶だ。だから、自分の始まりという意味では、まだそんなに時間が経過していない。それでも、なんだか色々あって、長かったように感じる。


「ねぇ、ヘルムート」


「うん?」


「好きよ」


 ヘルムートは口をへの字にして立ち上がり、ユリアーナを下から見上げた。


「そういうことは、俺が君を抱きしめられる場所で言ってくれ。降りてこい」


「えっ」


 言葉を詰まらせ、ユリアーナは枝に座ったまま足をバタバタと前後に動かした。


「どうした」


「だって、今降りたら……抱きしめられるんでしょ……?」


「そうだな。いいから、降りてこい」


 ヘルムートにそう言われて、ユリアーナはしばらく足をブラブラさせて「ううーん。ほんと、不愛想で自分勝手だなぁ」と唸っていたが、やがて観念して翼を広げて降りた。大きな翼は羽根が生えそろってふかふかとしている。それをヘルムートは目を細めて眺めた。


「君の翼は美しいな。いつ見ても飽きない」


「そうなの?」


「ああ。本当に……もう一度得られて、本当によかった……」


 そう言ってヘルムートはユリアーナの後頭部に手を添えて、自分の胸元に引き寄せた。それから、もう片方の手でユリアーナの翼を撫でる。


(きっと、彼はまだわたしの翼を切ったことを心に留めているんだろう)


 そう思ったが、それは言葉にしなかった。きっと、時間がかかるのだと思う。自分だって、彼を未だに許しきれていない。たとえ、こうやって生き延びて、翼を再び手にいれたとしても。だが、それでも良いのではないかとここ最近は思う。リューディガーが言うように、きっと時間が解決するのだろうし、そのことで彼を嫌いになるなんてことはあり得ないから。


 ユリアーナは、彼に翼を撫でられるのが好きだった。その時の彼の手つきは本当に優しい。一度失ってしまったそれを取り戻したことを実感しているのか、何度も何度も手で梳いて優しく撫で続ける。だが、それでは物足りないとばかりにユリアーナは声を上げた。


「もう、そんなの、抱きしめる、に入らないよ!」


 そう言ってヘルムートに抱きつくユリアーナ。一瞬ヘルムートは体をよろめかせたが、小さく笑って両腕でユリアーナの体を抱く。


「悪かった」


「ねえ、ヘルムートは?」


「うん?」


 ぐいぐいと頭をヘルムートの胸に押し付ける。ああ、と察してヘルムートは「好きだ」と言って、更に腕に力を入れた。彼の力強い腕。いささか息苦しいとユリアーナは思う。だが、その息苦しさが彼女は好きだ。自分は生きているのだとなんだか実感出来るからだ。


 しばらくすると、ヘルムートがそっと腕の力を緩め、するりとユリアーナはそこから離れた。だが、もう一度彼の腕が伸びて来て抱き寄せられる。


「ええ?」


「たまには俺が二度抱きしめてもいいだろう? いつも、君に二度せがまれるからな」


「……うん」


 ユリアーナはヘルムートの体に腕を絡めた。なんとなくはわかっていたが、どうも彼は案外とスキンシップが好きなようだ。


(あんなに、いっつも難しそうな顔をしていたのに)


 抱きしめられながらくすくすと笑えば「何だ?」と聞かれる。それへ、ユリアーナは「なんでもない」と答えて、再びするりと彼の腕から離れた。


「帰ろうか」


「うん」


 頷いてユリアーナは腰につけた剣を引き抜いた。これから魔獣たちのエリアに突入するからだ。ヘルムートも、ゆっくりと剣を引き抜く。最近では彼らも慣れて、魔獣を逆に狩るほどになっている。出会ったら剣を抜く、ではなく、剣を持って魔獣を狙う立場になったのだ。


「いい肉が獲れるといいね」


「そうだな。それに、いい毛皮が獲れたら助かるな……テレージア様の結婚式に着ていく服を買えるぐらい稼げたら」


 そのヘルムートの言葉に「いい服を買うの?」と言えば、ヘルムートは「君の服を」と返す。


「背中が空いたドレスを買わなくてはいけないだろう」


「うーん、テレージア様の結婚式となれば、そりゃそうか」


「君が人目を引くのは困るが、仕方がない……」


 ヘルムートはぽつりとそう言ったので、ユリアーナは目をぱちぱちと瞬かせて


「ねえ、何? 人目がなんだって?」


と尋ねたが、彼は何も言葉を返さずさっさと茂みに入っていったので、それを仕方なく彼女は追いかけた。


 彼女がもう一度白き光の神に会うのは数年後。問いは何ひとつない。ただ、伴侶を得た報告をしたかったのだと彼女は笑うのだが、それはまだまだ先の話だ。




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あなたはわたしを二度斬り捨てる 今泉 香耶 @Kaya_Imaizumi

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