第11話
それはいつか見たことのある光景だった。
忘れたかった光景だった。
ずっと昔、そう。ようやく、ずっと昔のことになった、あの日。
夜闇を裂く、甲高い女性の叫び声。
倒れた彼女と、倒した自分。
ぼくを取り囲み始める有象無象。
あぁ、どうしてそんな目でぼくを見るんだ。
どうして?そんなのは決まっている。
この人たちは、“何も知らない”からだ。
今ぼくの目の前に倒れているこの子に、ぼくが何をされてきたか。
ぼくが、この子のせいでどんな思いで日々を過ごしてきたか。
この人たちにはわからない。だって、ぼくとこの人たちは違う。
だってこの人たちはどう見たって“ただの人間”だから。
人間離れしたぼくと、人並でしかないこの“人”たちでは、理解しあえない。
ぼくは悪くない。ぼくは悪くない。
でもそれはきっと、それを理解できる人にしか届かない。
だけどそうだ、きっとあなたになら理解してもらえる。
そうだよね?だってぼくを見つけたあなたなら、ぼくを理解できるよね?
……君とは、うまくやっていけると思っていたのにね
―――なんだ、あなたも“そっち”だったのか
「嘘……」
目の前に広がっていたのは、人とヘビ人間。気を失って床に伏せるヘビ人間と、その意識を奪った凶器を手に持ったままの人。種族の決裂を物語るには十分すぎる状況だった。
「ねぇ、マーリン。だから言ったでしょう?人間とは、取るに足らない敵でしかない、と」
艶のある声に込められた明確な怒気。入り口でかたまっていた私とマーリンの背後から沸いてきたその声に振り向くと、そこには空色の髪をなびかせた見慣れぬ貴婦人が佇んでいた。その紫紺の瞳に、あらん限りの怒りを滾らせながら。
「貴方のような考えは、やはり改めるべきだわ」
声色は高いはずなのに低く重く響いてくるその怒声を肯定するように、ゆっくりと目をまばたかせながら、顔を伏せるマーリン。
「メディア……あなたの意見に、賛同することになろうとは……」
マーリンが口にしたその呼び名と、森野から聞いていた依頼人の情報を思い出して理解する。しかし、理解したことで理解できなくなる。この女性が依頼人であるメディアという女性と同一人物だとしたら、なぜ今ここにいるのか。
「ちょ……ちょっと、待ってよ!」
とても理解が及ばない状況だが、黙っているわけにはいかない。そう思い口にした声は、自分でも情けなくなるほど上ずり、震えていた。
「なにかの間違いよこんなの!だって、こんな……そ、そうよ……あの森野が、こんなこと……ねぇ!森野!説明しなさいよ!これはどういうことなの!!?」
まずは目の前の森野の状況について確認しておくことが先決だった。きっとなにか誤解があるに違いない、あいつのいつもの減らず口があればそれを上手く説明してくれるはずだと願い、縋るような気持ちで森野のほうを見る。だが、その森野が、とても何かを頼れる状態にないことは一目瞭然だった。
「違う、違うんだ……これは……俺は、ただ……」
握っていたスタンガンをこぼれ落とし、フラフラと後ずさりながら両手で頭を抱えだす。触れれば倒れそうなその弱々しい姿は、ただ目の前の状況に驚いただけには見えない。
「仕方なかったんだ……!!あの時も!だって……こう、しないと……俺は!俺はまた……大事な、ものを……!!」
「(森野……!?)」
自分以上に錯乱している相手を視認することで、少しだけ冷静さを取り戻しつつあった私の耳に、聞きたくなかった言葉が滑り込んでくる。
「ようやく……ようやく、私たちと理解しあえる人間と出会えたと思いましたが……どうやら、それは私の間違いだったようだ」
寂寥のこもった声とともにすぅっと森野のほうへ掌を向けるマーリン。
マズい!と思った時には、もうすべてが終わっていた。
彼の視線の先、森野の様子を見てみる。マーリンが掌を向けた直後、森野の顔面はまるで飴細工か何かのようにドロドロと溶け崩れ始めた。
森野自身も身に降りかかった異変に気付いたのか、慌てて両手で顔を抑えるものの、顔面の溶解は止まることなく、抑えようとした指の隙間から漏れ出るようにして、歪み弛んだ肌色のなにかが流れていく。
「俺じゃない……!俺じゃない!!俺は!!俺は悪くない!!!俺が悪いんじゃない!!!」
おそらく口があった場所であろう部分の肌色がねちゃねちゃと跳ね回りながら、彼の断末魔を紡いでいく。
「俺は悪くないんだぁぁぁああああああああああ!!!!!!」
融ける口元を必死に抑えながら大きく叫びをあげる。そして、その叫びが消えるころには、森野の体の首から上にはもうなにもなく、膝をつくようにして頽れた彼の周りの床一面に、肌色のペンキのようになったなにかが広がっているだけだった。
「森野……!!?なによ、これ……嘘でしょ……森野!森野ぉ!!」
肌色の中に倒れこんだ森野の肉体に声をかける。返事が出来ない様子だなんてことは、見ればわかる。だからといって、こんなわけのわからない終わり方に納得できず、不満をぶつけるように彼の名前を呼ぶ。
「見苦しい……人間っていうのは、頭も諦めも悪いのね」
メディアの口から出た吐き捨てるような侮蔑に、激昂を露わにしながら振り向く。
「ッ!あんたたち、森野にいったい何を―――」
しかし振り向いた先にいるはずの犯人の姿が私の目に映ることはなく、代わりに映ったのは底の見えないほどの漆黒を纏った何かが、自分に飛び掛かってくる瞬間だった。
「!!?」
脳が驚くのと、自分の顔面がなにかぬめり気を纏った生物に包み込まれるのは同時だった。置かれた状況に反応し、両腕を動かそうと思った時には、既にどちらの腕も同様のぬめり気に縛り上げられていた。飛び掛かってきた生物の重さを受けて、バランスを崩した体が床に転がる。立ち上がらねばマズいと思った時には両脚も腕と同様にして動きを封じられていた。
「こんなものまで用意していたのですか」
「念のため、ね。人間如き相手には過ぎた代物だけれど、この怒りを晴らす手段としては悪くないわ」
謎の何かがビチビチと耳元でうねる音に混ざって、マーリンたちの会話が聞こえる。どうやら、いま私を包んでいるこれは彼らの仕業によるものらしい。だとすると、今の彼らの私への印象を考えれば、きっとこの拘束が解かれることもないのだろう。
肢体は動かせず、言葉も発せず、いくら目を見開いても何の光も捉えられず。
ただ、体だけが、じわりじわりと増えていくその生物の重さを脳に伝えてきていた。
駄目だった。どれだけ考えても、ここから助かる手段が思いつかない。
そうしているうちに、段々と意識が薄れてゆく。顔面をくまなく包まれている以上、鼻からも口からも空気を取り込めていないのだから当然の事態だった。漆黒の中、自分がこのまま終わるのであろうことを覚悟した。
「さようなら、百音さん」
遠のく意識の中、マーリンからの、別れの言葉が耳に届く。ひどく淡白なその声色こそが、もう本当に彼が私のことをなんとも思っていないのだという事実をなによりもよく理解させた。それが、私の最後の思考だった。
「……たす……け……」
地下への階段の傍らで、壊れた目覚まし時計が鳴る
もう誰も目覚めない
もう誰も止められない
「蛇の館」リプレイ 元小路 全裸 @arebus0453
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