第10話
人の姿に戻ったマーリンとともに森野が待っているであろう大聖堂へと戻る途中、どうせ私と森野の二人に話してしまうのであれば、自分たちと関わりのある一輪にも同席してもらうことを提案してみた。
「そうですな。一輪はお二人のことはとても気にかけておりましたので、呼んでおいてあげたほうが彼女も喜ぶでしょう」
マーリンとしてもそのほうが一輪を拗ねさせずに済むということで提案にのってくれた。
しかし、いざ大聖堂へ戻ると、その肝心の森野も、一輪も見当たらない。
「ふむ。大聖堂にいないのでしたら、面会室ですかな。今あの二人で行ける場所で他にゆっくり話せる場所はそこぐらいですから」
思えば想定外に長い時間をあの地下で過ごした気もする。高かった陽が傾くほどではないにせよ、数十分は経過しているだろう。なにかしら休める設備があった面会室のほうへ移っているほうが考えてみればむしろ自然だ。
二人で面会室の前へ足を進め、扉を開ける
開かれた先にあったのは、人間としての容姿を失い、先ほどのマーリンのようにヘビ人間としての姿を晒したまま床に倒れている誰かと、その誰かの傍らでスタンガンを握りしめて立っている森野の姿だった。
五十音さん達のやり取りしていた地下から急いで地上へ戻り、大聖堂を抜け、面会室まで戻ってきた。
別に大聖堂で戻ってくる一輪さんを待ってもよかったのだが
「(くそっ……ダメだな。逃げるとなると念入りに逃げすぎてしまう……嫌な癖がついたものだな)」
それでも一人で色々考えておく時間が欲しかったのも確かだ。一輪さんには悪いが、これで彼女がここに戻ってくるまでに大聖堂で少しでも時間をかけてくれればぼくとしてはありがたい。
「(依頼を受けた時点で色んな事態を覚悟していたつもりでしたが……あのまま五十音さんになにかあったとなると、かなり厳しいですね……)」
先ほど地下で見かけた五十音さんの状態を思い出して考察する。
意識を取り戻したところを確認できたとはいえ、その後も無事に案内をされただけ、とはとても思えない。二人で話をしていたものの、一輪さんから隠れるために途中までしか内容を聞けていない。もしあの後の会話で意見が分かれるようなことになっていれば、また意識を奪われていてもおかしくはない。
「(まぁ、そうなることをマーリンが想定していたとすれば、あそこで一度催眠を解いていたことに疑問は残りますが……いまいち目的が絞れませんね)」
知りうる状況だけではどうにもマーリンの行動がどこに繋がっているのかが見えてこない。しかし、あの時の会話から、彼には既に五十音さんがこの施設の宿舎などの一般には公開していない場所を見たがっていたことも暴かれていた。そのことを危惧してそのまま地下の部屋に幽閉などは十分あり得る。それこそおあつらえ向きに『独房のような部屋』とやらも地下にあるわけで。
あまりよくない方向に向けて考えが膨らんでいたところで、部屋の扉が数度のノックの後、そっと開く。開いた扉のほうを緊張しながら見ると、見慣れたフード姿がそこにあった。
「あぁ、森野さん!こちらにいらしたんですね!」
「一輪さん……!」
ぼくを見つけるなりパァっと笑顔を振りまいてくる一輪さん。地下で見かけた時にマーリンと話していた時の冷静な様子と比べると別人のようだ。
「大聖堂のほうを見てみたのですけれど見当たらなかったので、こちらに戻られているのかなー、と来てみたのですが、大正解でしたね!」
「いやぁ、黙って戻ってきてしまってすみません。ただ、あそこはなにもせずにじっとしておく場所にしては荘厳すぎて落ち着かなかったもので……」
愛想笑いを浮かべながらその場しのぎの言い訳をぺらぺらと語る。そんな薄っぺらなぼくの言葉をまるで疑う様子もない。
「ふふっ、それもそうですね!あっ!司祭様なんですが、聖子様を連れて施設の案内をされてました。まだ森野さんにはご紹介できていない施設なんですけど……そうですね、森野さんなら、いずれは案内されると思いますよ!」
両腕でガッツポーズを取りながらそんな風に説明してくれた。あの時の会話でマーリンは選ばれた方だけに案内していると言っていたことと合わせて考えると、あそこに案内されることは名誉なこと……なのだろうか?
「へぇー、それは、楽しみですねぇ……?」
「あはは、急にこんなことだけ言われてもよくわからないですよね!とりあえず、せっかくここまで戻ってきたのですから一杯お注ぎしますね」
そう言って台所のほうへ向かい、以前と同じようにテキパキと紅茶を準備し始める一輪さん。
今しかない。ぼくに向けて隙しかない背中を晒している彼女。
きっといい子なのだろう。今までのやり取りからなんとなく感じていた。だからこんなことをするのはとても後ろめたい。
そういう雑多な感情をすべて押し殺すことに慣れていたぼくは、迷いなく彼女の首裏にスタンガンを押し当てた。
もう時間がないかもしれない。少しでも手をこまねいていては間に合わなくなるかもしれない。
一秒だって早く、五十音さんのもとへ向かいたい。そのための最善の手段だった。
ちゃんと意識が飛んだのだろう、崩れ落ちる一輪さんの体を支えて、そのままそっと床に寝かせる。椅子に運んであげたいところだが、意識のない人体というのはいわば数十キロの肉塊だ。ぼく程度の筋力では一人で運びあげるには骨が折れる。怪我をしないように寝かせるのが精一杯だった。
何もわからないまま意識を失い瞼を閉ざす彼女の姿に、さすがに湧いてきた罪悪感から、少しばかり目を奪われていた。すると、その眠る顔が、徐々に変貌し始めていることに気づいた。気づいてしまった。
瑞々しく活気に満ちていた皮膚は青ざめ……いや、それどころではない。青を超え、紺……いや、黒く染まっていき、かつて皮膚だった部分には艶をまとった爬虫類の鱗がビッシリと浮かび上がってくる。眉毛や睫毛、唇も消えていき、丸く可愛らしく顔の真ん中に咲いていた鼻も潰れてなくなり、空気が出入りするためだけの小さな穴二つだけがその場に残った。
フードから出ていた手や足の部分にも、同様の鱗が浮かび上がり、人間としての皮膚は彼女のどこを見てももう残っていなかった。
なんだこれは……!?いったいなにが起きているんだ……!!?
困惑と焦燥が思考のすべてを支配していた。
そんな混乱の中でも感覚は物音を聞きつけた。今一番聞きたくなかったある音を感知し、思わずそちらを振り向く。
ガチャリ、と聞こえた音の先。開かれた扉の向こうから、五十音さんとマーリンが連れ立ってこの部屋へ入ってきたのだ。今、この時に。
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