遠距離恋愛
みにぱぷる
遠距離恋愛
1
桜井涼斗は現在の自分にとても満足していた。生まれ持つ端正な顔立ち、180cm近い身長、そして、お喋りも得意で、気配りもでき、小学生の頃からよくモテた。桜井にモテなかった時期など一度もない。学業面でも、人並みの成績は残せたからか、親からも大事にされて、ちやほやされた環境で、大きくなった。
一方で、桜井には一つだけコンプレックスがあった。それは自分の声である。桜井の声は見た目にそぐわず、綺麗な声ではなく、寧ろ、どもっていてノイズも混じった頭の悪そうな声で、女性から好かれる声では到底なかった。しかし、女性というのは声をある程度は気にするものの、結局、男に求めたのは容姿と性格だった。桜井は二流大学に受かり、大学生活が始まると、早速たくさんの女に手を出そうとした。所謂、浮気である。だが、バレてしまうリスクは高く、バレて仕舞えば、自分の「性格が良い」というイメージが途端に崩れてしまうと考えた。仕方なく、桜井は現実でたくさんの女に手を出すのは封じることにした。
「桜井くん、だよね? どうぞ上がって」
「お邪魔しまーす」
快活に声を飛ばして、桜井は糸瀬という先輩女大学生の家に上がった。
「そこの部屋で待ってて。冷たいお茶を」
「ありがとう」
桜井はにこりと彼女に笑いかけた。この笑顔で今まで何人の人を虜にしてきただろうか。そして、今度は彼女を虜にする、そのために桜井は今日来たのだ。彼女は、清楚で、優しく、とても美人で、パッチリとした目と、女優のような綺麗な鼻にも、桜井は惚れたのだが、桜井が一番彼女に惚れた点はそこではない。
声、である。彼女の透き通って澄んだ美しい声。桜井は自分の声のことをコンプレックスに感じているからこそ、彼女の美しい声に惚れたのだ。とはいえ、桜井は容姿や性格も大事にする。しかし、その点でも彼女は完璧で、桜井にとっては理想の人だった。
そして、事前に調査したところによると彼女には彼氏がいないらしい。それで、桜井は彼女を手に入れると決めたのだ。
今日は、彼女に、先週の心理学の講義を熱で欠席したので教えて欲しい、と嘘をついて家に行くきっかけを作ったのだ。
「えっと、どの部分がわからないの?」
彼女はプレートに乗せて二つお茶を運んできて、低い机に丁寧に置いた。桜井はその机の脇にあぐらを描いて座った。
「そうだなぁ」
「何かお菓子でもつまむ?」
桜井が噂に聞いていた通り、とても気が利いている。
「あ、いや、でも、大丈夫。教えてもらうのは僕だし」
桜井は自分の優しさを見せるためにお菓子を断った。
「それにしても、綺麗な家だね。そこに飾ってある絵とかとても繊細で綺麗」
「ありがとう。あの絵は昔友達が描いてくれた絵で、とても綺麗だから飾ってるの」
「色合いがとても惹かれるなぁ」
桜井はお茶を飲み干して言った。キンキンに冷えたお茶が喉を伝っていく感覚が、更に桜井に勢いを与える。
「君にも惹かれるけど」
桜井がそう言って、彼女の目を見つめると、彼女は嬉しそうに頬を赤らめた。古典的だが、結局こういう手法が女を落とせるということを桜井は認知している。
「とても落ち着いた部屋だ。僕の部屋なんかこの部屋と比べれば全然汚い。今度整理の仕方を教えてよ」
「いいよ」
ちょっとずつ仲を深めていく。
「あ、ごめん、ちょっと」
「全然いいよ。僕は暇だから、慌てないで大丈夫だよ」
彼女が部屋を出て行くのを見て、桜井はスマートフォンを取り出す。『Talking!』というアプリを開くと、ダイレクトメッセージが二件来ている。どちらも、同じ『ミケ』というアカウントからのものだ。
〈今通話できる? 5/4 12:45〉
〈おーい 5/4 12:45〉
『Talking!』というのは通話とチャットが使えるコミュニケーションサービスで、5、6年前に出てきたSNS。世界中の様々な人と関わることができる点が長所で、ゲーム友達作り、雑談友達作り、そして、彼女彼氏作りに使われる。
桜井は現実での浮気は避けた。だが、ネットでは彼女を複数人作った。そして、作っては遊べるだけ遊んで、満足したら別れた。言い訳は大体勉強が忙しいと言っておけばどうにかなった。様々な種類のコミュニティーにて一人ずつ彼女を作ることで、浮気がバレることも避けられた。
桜井がネットでも彼女を作り始めた理由はただ単に心ゆくまで女と関わりたかったからではない。自分の話術にまだ自信がなかったからだ。
桜井の声は、良い声ではない。一方で、本人は話術に自信があった。楽しい会話を展開することができ、女が喜ぶような会話をすることもできる。しかし、現実で桜井に惹かれる女たちは桜井の話術に惹かれたからなのかは疑問に思わざるを得なかった。まずは、容姿、その次、話術なのではないか。そこで、桜井は閃いたのだ。自分に確かに話術があると確認する方法、それが、相手の姿が見えないインターネットの中で女を捕まえることなのだ。
声がマイナスになってはいけないので、ボイスのピッチは機械らしくならない程度に調整した。自分の写真は見せろと言われても絶対に見せず、兎に角話術で押し切れる環境にした。
結果、桜井はモテモテだった。こうして、桜井の話術は確かなものとなった。
〈きついかも 5/4 13:02〉
桜井が『ミケ』に返事を返すとほぼ同時に、別のアカウントからダイレクトメッセージが来る。そのメッセージの送信主、『サカミ』というアカウント名の女も、桜井の彼女だ。
〈ナオスケ⭐️、今時間ある? 5/4 13:03〉
ナオスケ⭐️というのは桜井の『Talking!』アカウント名から来た渾名。「桜井」→「桜」→「桜田門外の変」→「井伊直弼」→「ナオスケ⭐️」というような経路で桜井のアカウント名は「ナオスケ⭐️」となったのだ。
〈今はきついかな 5/4 13:03〉
このメッセージを送って少しして、彼女がトイレから戻ってきた。桜井は猫撫で声で話しかける。
「糸瀬ちゃんとゆっくりお話ししたいな」
彼女はえっと驚くような表情を見せた。流石に桜井の意図がわかったのだろう。しかし、断られることはない、桜井は今までこれをして失敗したことがない。
「まあゆっくり勉強教えてよ。それでいいからさ」
桜井はそう言って自分の横に彼女を誘導する。こうすることで、自分のペースで彼女を落とすことができるだろう、という魂胆だ。
「うん。ええと、まず、教授がテストに出すと断言していた部分からだけど」
彼女は桜井の誘導に従い、座った。正座で丁寧に、それでいてちょこんと座る彼女の様子に桜井は更に惚れてしまう。
「あ、ちょっとノート取ってくるね」
彼女が再び部屋を出たのを見て、また桜井はスマートフォンを取り出す。
〈おk! 5/4 13:03〉
先ほど『サカミ』に送ったメッセージの返事が返ってきている。
何か気の利いた言葉を掛けようと、桜井はキーボードに指を置いたが、何を送ろうか考えているうちに、糸瀬さんが戻ってきた。
「このページを見たら、だいたいわかると思うんだけれど...このページの、この図」
彼女は丁寧な字が、きっちりと並んだノートを机に置き、細くしなやかな指で指し示す。
「成程。丁寧に書かれているなぁ。流石だな」
「全然、大上さんの方が字、綺麗だよ」
大上というのは心理学選択の女学生だったような気がするが、影が薄く桜井は全く覚えていない。
「もっと自分に自信持って」
「ありがとう」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。そういえば、通話を拒否した『ミケ』は怒ってないだろうか。女というのは突拍子もないところで怒ることがあるのだ。例えば、自分の送ったメッセージの返事が遅いだけで、浮気しているのではと気に病む者も結構いる。考え始めるとどんどん不安になっていき、桜井は一度立ち上がり
「ちょっとトイレに」
とスマートフォンを触るためにトイレに行った。大きい家でも無いので、トイレに迷うことはなかった。
トイレに入り、鍵を閉めると、すぐにスマートフォンを取り出して、『Talking!』を起動する。
〈今晩なら通話できる? 5/4 13:15〉
と『ミケ』からメッセージが来ている。13時15分なら、たった今だ。
〈うん、できるよ あ、ちょっと今から昼ご飯だから返信できない 5/4 13:16〉
すぐに返事をしたので、『ミケ』を不安にさせていることはないだろう。安心した桜井はトイレを出た。返信できない言い訳もしたので、これでもうトイレに立つ必要もない。ここから先は愛しの糸瀬さんとの時間を過ごせる。
「ごめん、ちょっとお茶がぶ飲みしすぎてー」
「ああ、ごめん、冷たすぎたかな」
「全然。適温、ありがとう」
桜井は親指を立てて言った。そして、また彼女の横に座る。
「桜井くんって本当に完璧だよね」
「そんなことはないよ。だって、ほら、声とかね」
桜井は、あーあーと発生してみせる。
「完璧すぎないところがまたいい」
今までも沢山の人にそう言われてきた。ギャップ萌え、というやつなのか。
「あのー、糸瀬さんに言いたいことがあってさ」
桜井は告白する意を決した。予定通り、いい感じの雰囲気にもできたのだが、それでも桜井は緊張してしまう。この緊張感が、桜井を恋愛にハマらせているのかもしれない。
「言いたいこと?」
「僕と付き合って欲しい」
桜井は躊躇わず勢いよくそう言う。告白は勢いよく言った方が上手く行くと、桜井は知っている。
彼女は恥ずかしそうに桜井から目を背けたが、再び桜井の方を見て
「是非」
と声を溢した。
このある意味絶妙なタイミングで机に置いてあった桜井のスマートフォンの通知音が鳴った。桜井は何だろう、とそちらに目を向ける。
『ナオスケ⭐️さん、サカミさんからメッセージが来ています。メッセージ:あーナオスケとデート行きたい〜〜〜』
画面に表示されたそのメッセージを見て、桜井はぎょっとし、慌ててスマートフォンの画面の上に手を置き隠した。
「え」
彼女がぽつりとそう言ったのを聞いて、桜井は完全に放心状態になった。既に彼女がいるのに、糸瀬に告白した、この事実により桜井が浮気男であることがバレてしまった。
2
糸瀬つむぎは清楚なのではなく、喋るのが苦手な子供だった。小学生の頃は上手く人と関われず苦労した。そんな中、糸瀬を支えてくれたのは母だった。糸瀬の父は昔、事故で他界しており、母が女手一つで必死で育てたのが糸瀬つむぎだった。
糸瀬が学校でいじめられた時は、家で、母が忙しい中、親身に相談に乗ってくれた。
母は、糸瀬が寂しがらないように、たくさんペットを飼った。昆虫や魚だけでなく、猫やウサギなども飼った。糸瀬はペットをまるで自分の弟のように可愛がった。一片に様々な種類のペットを飼うことは世話の手間を増やすことになるが、糸瀬はそんなこと気にしなかった。
カブトムシの「かぶと」、メダカの「メダ」、ウサギの「ウサ」、名前は正直工夫も何もなかった。だが、それは糸瀬が適当につけたからでは無く、名前など関係なく、動物たちを愛していたからだった。
そんな中学生活だったが、高校に入ったあたりから、急に糸瀬に対する周囲の反応が変わった。それまでは友達が少なかった糸瀬だったが、周りは一人の美人の女として糸瀬を見るようになった。また、無口の女、から物静かで清楚な女、に変わり糸瀬の友達の数は増え、沢山の男から告白されるようになったのだ。喋るようになって、更に糸瀬の好感度は上がった。糸瀬はとても澄んで綺麗な声を持っていたからだ。糸瀬は周囲の変化に驚きつつ、ちゃんと順応して行った。そして、容姿も声も母譲りで、女手一つで育ててくれたことも含め、糸瀬は母に言葉で言い表せないほど感謝をしていた。
段々、一人暮らしの生活にも慣れてきた頃、一人の男性から、熱で休んだ日の講義を教えて欲しい、と頼まれた。頼んできたのは、桜井という同い年の男で、顔良し性格良し、話していて楽しい、と完璧で評判だった。糸瀬自身も桜井に好意を持っていたので、その頼みを受け入れたのだ。
糸瀬は、つい緊張しておどおどしてしまったが、彼は優しく接してくれた。評判通りの好青年である。そんな様子に糸瀬は更に好感を覚えていた。
だが、彼が告白するために来たとは、糸瀬には想像もできなかった。寧ろ、自分から告白しようか、と悩んでいた。だから、彼に告白された時は目を疑った。ただ、彼の表情は真剣だった。真剣に糸瀬に恋をしている。そうわかった。
「是非」
糸瀬は頷いた。そこで、彼のスマートフォンから通知音が鳴った。何だろう、と糸瀬は気になったが、人のスマートフォンを覗くようなことをすれば自分のイメージは低下してしまうのではないかと思い、目を伏せた。彼は慌てて、自分のスマートフォンを手に取ると、電源を切り、ポケットにしまった。
「え」
糸瀬はついそう言ってしまった。改めて、彼に告白されたことに驚いたのだ。
「本当に付き合ってくれるの?」
糸瀬は尋ねた。
「勿論。君のことが一番好きだ。本当に」
彼は必死でそう言った。そこまで思ってくれているのが純粋に糸瀬は嬉しかった。しかし、そこで糸瀬の気が緩んでしまった。喜びのあまり、勢いよく立ち上がってしまい、その時、ポケットから零れ落ちたのだ。スマートフォンに挟んでいたプリクラの写真が。若い男と糸瀬が二人でハートを作っているプリクラの写真が。
中学生の頃、特に糸瀬は現実でのコミュニケーションに苦しんでいた。そのため、糸瀬はネットで友人、そして挙げ句の果てに彼氏を作ろうとした。そこで見つけたのが、『Talking!』というアプリだった。『Talking!』は世界中の人とコミュニケーションが取れるオンラインコミュニケーションツールで、糸瀬のようにリアルでは人見知りが激しい人間にとっては、打ってつけだった。
対面でなければ人見知りが出ることは少なく、また、『Talking!』はどちらかと言うと、男性人口の方が多いので、糸瀬は上手くやっていくことができた。もしかしたら、『Talking!』で人見知りを多少克服できたから、高校、大学ではコミュニケーションに苦しむことがなかったのかもしれない。
『Talking!』でも、糸瀬の澄んだ声は武器となった。女性は電話の時につい高い声が出る傾向がある、とよく言われるが、糸瀬もその傾向通り通話では普段より高い声を出してしまった。しかし、それが澄んでいる声を尚更引き立たせたのだ。
そして、『Talking!』における糸瀬のアカウント名は、糸瀬の飼う猫の名前をそのまま使った。『ミケ』という糸瀬が愛してやまない猫の名前を。
3
「ね、そう思うでしょ」
糸瀬はクリームソーダにストローを刺して言った。
「まあ。また来月ぐらい行く?」
桜井は同じクリームソーダにストローを刺した。
「これ二人で飲んだら早く無くなっちゃうね。もう一つ頼む?」
「ま、ゆっくり飲も」
「そうだな」
「食べ物も頼もうよ」
「おっけ」
桜井は近くにいた店員を呼び止めて、幾つか注文をした。
とても仲の良いカップル、に見える。だが、決してそんなことはない。
桜井は、糸瀬に自分が浮気をする男だとバレたと思っている、実際はバレていないのにも関わらず。浮気をする男であることがバレたら、「桜井は性格がいい」というイメージが崩れてしまう。だから、最大限糸瀬に奉仕して、「桜井は浮気男」という噂を流されないようにしているのだ。SNSで付き合っていた数人とももう別れた。
そして、糸瀬もまた桜井と同じ状況にある。浮気をする女だとバレたと思っている、こちらも実際はバレていないのに。プリクラの写真は、確かに桜井の視界に入ったが、桜井はその時パニック状態で、まともにプリクラの写真のことを見ていなかったのだ。
大人しくて清楚で、浮気などしないというイメージの保持のために桜井に最大限奉仕している。
こんな歪な形ではあるものの、二人の関係は一応仲の良いカップルと何ら変わらない関係になっている。相互に相手に奉仕する、その構図は保たれているのだ。
カップルなんてその程度のものなのかもしれない。
遠距離恋愛 みにぱぷる @mistery-ramune
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