無様な灰被り(上) 21

 きっぱりと言った割に、仕立て屋の表情はとても寂し気なものだった。


「……本当は君を連れて行くべきなのかもしれない。でも、やっぱり君自身が選択をするべきだと思う。たとえ君にとって、この国にいることが危険であったとしても」

「……危険、なの?」


 恐々こわごわ尋ねる僕に、仕立て屋はいて笑って見せて、


「うーんと、君が自分のことをべらべら喋ったりしなければ大丈夫だよ。思い出せることでも『覚えてない。分からない』って言えばいい。忘れていた大事なことを思い出しても、それを絶対に人に話しては駄目だよ? 約束」


 そうして仕立て屋は、少しかがんで、僕に目線を合わせた。


「それから、こくかもしれないけどこれも守ってくれ。どんなことを思い出しても、決して誰かを憎んだりしてはいけないよ? もう終わった事なんだから。全部、全部」

「それってどういう――」

「勝手なことを言っているのは分かってる。でも頼む。約束してくれ」


 仕立て屋は懇願こんがんする様に言った。


「……わかった」


「うん、良い子だ」と、仕立て屋は僕の頭を撫でた。


「じゃあフリツ、元気でね。一緒にいたのは短い間だったけど、ちゃんとお別れをしよう。忘れているなら、私と同じようにして。……あなたがいつまでもいつまでも幸せでありますように」


 指を組んで仕立て屋は唱える。僕は同じ様に、指を組んで唱えた。


「あなたがいつまでもいつまでも幸せでありますように。……ねえ、本当について行っちゃ駄目?」


 往生際おうじょうぎわの悪い僕の質問に、仕立て屋はやはり寂しそうに笑って、


「会ったばかりの男にそんな顔をさせるなんて、私の魅力も捨てたものじゃない。そうだな……もし君がちゃんと記憶を思い出して、その上で決心したなら……その時には、私に追いついて来ればいい。君の足で追いつけるのか、それは保証しないけどね」


 そう言って、仕立て屋は僕に背を向けて駆け出した。


 咄嗟とっさに僕も追おうとしたけど、明らかに追い付けるような速さじゃなかった。


 僕は最後に何かを叫ぼうとした。でも何を言えばいいのかよくわからなかった。


 思わず口から出てきたのは、感謝の言葉なんかじゃなくて、「多分追い付く」なんて台詞せりふだけだった。


 叫びが聞こえたのか、仕立て屋は走りながら軽く手を挙げた。


 その表情は僕からは見えなかった。


 僕はそのまま、仕立て屋の姿が見えなくなるまでその場にたたずんでいた。


 そういう訳で、僕は仕立て屋から、自分の過去に関することを訊くことができなかった。


 仕立て屋が漏らした言葉の端々はしばし


 そういったものから推測できることは、多分あったとは思う。


 けど、僕は頭を働かせなかった。


 仕立て屋の言う通り、あの時の僕は自分の過去を思い出すことを、無意識に拒んでいたのかもしれない。

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