無様な灰被り(上) 19

「フリツ、どうかしたかい?」

「え? ……ううん、何でもない。大丈夫だよ。先を続けて?」


 仕立て屋に不可解な記憶から呼び戻されて、僕はそう言って続きを促した。


 一瞬脳裏に蘇った光景。


 その意味を、何故だか僕は深く考えようとはせず、何ら重要なものではないかのように、再び忘却ぼうきゃくの海へと沈めた。


 その理由は、今となってはよくわかるんだけど。


 仕立て屋は僕の様子に不審なものを感じたらしかったが、とにかく先程からの話題に戻った。


「うん、ええと、『生まれた日で年を取って、その日を祝う』。そういう習慣はこの辺の国々じゃ一般的じゃなくて、私の知ってる限りじゃ、三つの大河と四つの山を越えたところの国々にあるだけだね」

「じゃあ僕はそこの出身?」

「かも知れない。君の顔立ち、ちょっと私達とは違っている気もするから。あとは君の両親なんかがそこの出身、とかね。遠い国からやって来て、この辺に根付く人々もいない訳じゃない」


 けれど、そう説明する仕立て屋自身、いささか釈然としない様子だった。


「でもそんなとおつ国でも、生まれたばかりの赤ん坊は一歳だって聞くんだよね。こっちと同じで、零の概念がなかったころの名残なごりらしい」

「じゃあ『零歳』って数え方は珍しい?」


「うん……」と言って仕立て屋は考え込む。そして、途切れ途切れに言う。


「凄く、珍しい。私もそんな土地のことは……一つしか聞いたことはない。けど、その土地が本当にある、なんてことは……でも――」


 仕立て屋は何かを考えながら、改めて僕の姿を凝視ぎょうしする。


「説明はつくんだ。君が裸だったのも、多分一時的に、記憶を失ってるのも。けど……」

「さっきから『でも』とか『けど』が多いね?」


 仕立て屋の深刻そうな様子に耐えられず、僕はそんなことを言った。


 けど、仕立て屋は特に返事をせず、代わりに突拍子とっぴょうしもないことを口にした。


「君、背が低いよね?」

「突然何? 関係ないでしょう?」


 けれど仕立て屋は真面目な様子で、


「大事なことなんだよ。ちょっと手、出して」


 仕立て屋は僕が手を差し出すのを待たず、自分から僕の腕を取って、


「うん、別にせてる訳じゃない。そこそこ食ってはいたんだろうね。肌も綺麗で、労働なんかしたことない手だ」


 そんなことを言いながら、仕立て屋は僕の腕を軽く握ったり、撫でたりした。


 しかし結局小首を傾げて、


「でもやっぱり背は低い」

「仕立て屋、ちょっとしつこい。何回言えば気が済むの? 礼儀にもとるよ? そういうの」


 僕は流石にいらついた口調で言った。


 僕が感情をあらわにしたことに、仕立て屋は幾分か狼狽ろうばいしたらしく、


「あ、ごめんごめん。そういうの、男の子は特に気にするよね。確かに無作法――ん?」


 言ってから、仕立て屋は何かに気付いて呆然とした顔で、


「『たけ低きを言うは無礼なめなり』? え? じゃあ……」


 仕立て屋は僕から手を離し、数歩下がってこちらを見つめてきた。


 驚きと、少しのおびえのようなものを、瞳に宿しながら。


「フリツ、君――」

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