無様な灰被り(上) 9

「記憶がない? ……思い出せないの? なんにも?」


 僕は無言でうなずいた。


 同時にまた、視界が涙でにじんだ。


 けれど次に言葉を発した時、僕の口調は悲痛というよりも、むしろ無感情なもので、


「だから、分からないんだ。これからどうすれば良いのか」


 僕は殆んど独り言のように、そんな呟きを付け加えた。


 仕立て屋はしばしの間、かける言葉が見付からないでいたようだった。


 けど、また僕の頭を撫でてきた。


 ただし今度は、壊れやすいものに触れるような優しい手つきで。


「……フリツは、これからのことがすごく不安なんだね? 上手くは言えないんだけど……大丈夫だよ。君は今生きてる。確かに怪我をしてて、心細さに押しつぶされそうになってもいる。でも、それで今すぐ死ぬ訳じゃない」

「『少なくとも今は安全なんだから、安心しろ』ってこと?」


 僕なりに解釈した結果を口にすると、仕立て屋は曖昧あいまいな様子で、


「そういうことになる、のかな? 身もふたもない言い方だけどね。まあなんにせよ、君みたいな状態で将来のことをあれこれ考えるのは良くないよ。過去の記憶があってさえ、先のこと考えるのは不安なんだから」

「それは……実体験?」


 仕立て屋のしみじみとした口調からの推測だったが、どうやら当たっていたらしい。


 仕立て屋は力なく笑って、


「まあ、そんなところ。こんなにきらびやかな格好をした、能天気そうなお姉さんでも、それなりに悩みは有るんだよ」


 そう言って、仕立て屋は沈黙した。


 顔は僕の方を向いていたけど、その眼は遥か彼方かなたにある何かを見ているようだった。


 僕は「そっか」と静かに言って、


「じゃあ仕立て屋。アドバイス通り、先のことはできるだけ考えずに、今のことだけ考えるとして――」

「うん。それが良い」


 仕立て屋の言葉に僕は頷いて、


「差し当たり、僕は誰か親切な人に助けを求めた方が良いと思うんだけど……」


 僕が気後れしながら口にしかけると、仕立て屋は自信ありげな様子で、


「そうだね。そうしてそんな君に朗報ろうほうだ。今君の目の前には、見かけは変だがとんだおせっかい焼きの女が一人」


 ほのめかした僕自身が戸惑とまどうぐらいにあっさりと、仕立て屋はそんなことを言ってきた。


「……いいの? 仕立て屋について行っても」

「勿論。手当てしたとはいえ、君みたいな子どもをこんな荒野に置き去りにはできない。私は本物の王子じゃないけど、この国の民草たみくさを助けたい気持ちは本物以上だ」


 当然のように言う仕立て屋に、僕は深く頭を下げた。


御厚意ごこういに心より感謝申し上げます」


 その様子が面白かったのか、仕立て屋は少し笑って、


「うん。ご丁寧にどうも。……情報が間違ってなければ、この辺りに村がある筈なんだ。とりあえずそこに向かおう。フリツ、おんぶしてあげるから掴まって」

「え? いや、仕立て屋が手当てしてくれたし、もう歩ける――」


 僕はそう言って提案を断わろうとしたんだけど、


「布は巻いたけど靴がないままなんだ。君用の靴が手に入るまでは歩かせられない。これは大人としての当然の配慮だ。子供が遠慮なんかしない」


 こちらに背を向けたまま、決して動こうとしない仕立て屋。


 僕は仕方がなく、その肩に掴まり、仕立て屋に体を預けた。


 ただし、こんな風に言うのだけは忘れなかった。


「一応言って置きますが、先程も申し上げました通り、私は決して幼い子供ではございません。また体は成長途中であり、いずれ背も年相応に伸びることを、私は確信しております」


 殊更ことさらに硬い言い回しで口にした言葉。


 それを真面目に聞いていたのかいなかったのか、仕立て屋は調子よく「はいはい。よくわかるよ」と答えた。


 そうして村が見える位置に来るまで、仕立て屋は僕を負ぶっていった。

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