無様な灰被り(上) 7

「ここまで来ればもう安心だよ。元気でね」


 大枚たいまいをはたいて買った驢馬ろば


 その背に「母」を乗せて、残りの金貨の入った袋を「父」に渡しながら、彼女は緊張のほどけた様子でそう言った。


 けれど、言われた父母の方は、浮かない顔をしたままだった。


「お心遣いに感謝申し上げます。……でも、どうしても一緒にはいらっしゃらないのですか?」

「貴方様をお守りすることが、あの方より任された私達の使命でありますのに」


 彼女は寂しな笑みを浮かべた。


「その使命を二人に課した男は死んだよ。元々無理矢理巻き込まれたんだ。これ以上義理立てなんてしなくて良い。それに、私と一緒にいると国境越えが難しくなる。さっさと二人だけで行くべきだ」

「ではあなた様はどうされるおつもりで? もしや――」


 不吉な想像に恐怖の表情を浮かべる母。


 けれど、彼女は笑顔のままで首を横に振る。


「少し手間取るだろうけど、私も国境を越えて出て行くつもり。変な心配はしないで。私に付き合ってこの国の中で時間を潰すよりも、その間に少しでも遠くに逃げた方が良いってだけだよ」

「では、国境の向こうで待っていれば……」


 その言葉にも、彼女は首を横に振る。


「ここらの辺境だと、その気になれば国境を越えて追うことも出来てしまう。私を待つ危険をおかすより、早く隣国りんごくの都へ行った方が良い」

「ですが、貴方様はその王都へはいらっしゃらない」


 その言葉に、彼女はしばし黙っていたが、


「……それなりの見返りを提示されれば、隣国の人間でも議会に私を引き渡すかもしれない。関係者だってわかれば、二人も無事じゃ済まない。分かってくれ。私にとって、二人は本当の両親だ。危険な目に合わせたくない。だからここで――お別れだ」


 反論を許さぬように、彼女は厳しい表情で、断固だんことして言った。


 けれど直後に、表情をやわらげて、


「最後に一つだけお願い。もし二人が私を大事に思ってくれるなら、最後くらいはそのかしこまった口調を止めて、何時いつもみたいな喋り方で、お別れを言って欲しい」


 彼女の衷心ちゅうしんからの言葉に、二人の目は涙でにじんだ。


 あふれる涙をぬぐうこともせず、父は普段通りの口調で言った。


「俺だってお前のことは、本当の娘のように思っている。その娘を、置き去りにして逃げ出せる訳がないだろう? 俺は、そんな頼りにならない父親じゃ、ない」

「私も……、私だって、一人娘を置いて旅立つ、薄情はくじょうな母親じゃありません。そんな冷たい母さんでは……」


 口ではそう言いつつも、二人は彼女の言葉に従う他ないと分かっていた。


 そして彼女もまた、こらえていた涙を流した。


「そんな聞き分けの無いことを言わないでよ。辛くなってしまうから。最後は笑ってお別れしよう? ね? 私は二人には、本当に感謝しているんだから」


 そう言って、彼女は胸の前で指を組む。


 そうしていて笑みを作りながら、幾分いくぶんか震える声で唱えた。


「あなたたちがいつまでもいつまでも幸せでありますように」


 二人も同じ様にして娘の言葉に答えた。娘と同じような、ぎこちない笑顔を作って。


「「あなたがいつまでもいつまでも幸せでありますように」」


 その言葉が終わった時、彼女はくるりと振り向いて、二人に背を向けた。


「さあ、お別れだ。早く行って。決して振り向かないで」


 返事も聞かず、彼女は歩き出す。


 ぽたぽたと涙をこぼしながら。


「分かっている。絶対に死ぬなよ?」


 父親がそういうのが聞こえた。


 母の言葉にならない嗚咽おえつが聞こえた。


「ああ、そっちもね。二人とも、死んだら絶対許さないから」


 けれど彼女は決して振り返らず、元来た道を歩きはじめる。


 背後には遠ざかっていく父と驢馬の足音。


「絶対だよ」


 そう叫んで、こらえきれずに彼女は走り出す。


 足音が聞こえなくなるところまで。


 二人の姿が、もう決して見えなくなるところまで。


 彼女は全力で走り続けた。


 やがて、彼女は足を止めた。


 後ろを振り返る。


 そこにはなだらか丘があるだけで、人影は全く見えなかった。


 その光景を前に、彼女はぽつりとつぶやいた。


「……ごめん、一つだけ嘘を言った。本当は国境越えはそんなに難しくないんだ。まともな番兵ばんぺいほとんど配置されてないから」


 そう言って、彼女は今まで着ていた、粗末なローブを脱ぎ捨てた。


「でも追手が迫って来てる。私が別の道に引きつければ、あなたたちは安全に逃げられる」


 ローブの下から現れたのは、辺境にはふさわしくないきらびやかな服。


 色鮮やかな数々の布、金糸銀糸きんしぎんしを惜しげもなく使い、貴金属や宝石を散りばめた男物の衣装。


 豪奢ごうしゃな剣を腰にしたその姿は、まさしく「王子」と呼ぶに相応ふさわしい。


 彼女はさらに、荷物の中から赤いマントを取り出してまとい、最後に冠をその頭に載せた。


「さあ、まだ王冠はまだ健在だ。早く追いついて来なよ。さかしらぶった身の程知らずども」


 そう言って堂々と、挑むように、彼女は歩み出した。


 一歩一歩しっかりと地を踏みしめて。


 まるで自分をはばめるものなど、この世界に何一つないかのように。


 だが、彼女は直後に困惑することになる。


 身のたけに合わない服を着て、路傍ろぼうに横たわっている、奇妙な子供に行き逢って。

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