無様な灰被り(上) 4

 死体は胸から血を流していた。


 服には丸い小さなやぶれがある。


 銃創じゅうそうだと直感した。


 でも死体に傷があることくらいは、十分に予想していた。


 気分が良いものではなかったけど、それだけなら、僕はそれほど衝撃を受けなかっただろう。


 僕が声を上げたのは、死体の胴ではなく顔だった。


 死体は皆、両目から血を流していた。


 そこから大量にあふれ出た血が、彼等の顔の大部分を汚していた。


 いや、正確には「両目」じゃなくて「両目があったところ」と書くべきだろう。


 死体が血を流していたのは、彼等が例外なく、眼窩がんかから両目をえぐり取られていたからだった。


 衝撃の余り、僕は一時的に現実感を喪失そうしつしていた。


 だから傍目はためには落ち着いた雰囲気で、思ったことを無意識のうちにつぶやいていた。


「こんな目にあう正当な理由が、君等にあると良いんだけど。……善良な市民に、こんなことをする奴がうろついてるなんて考えたくない」


 そう言ったまま、僕はその場にぼんやりと立ちすくんでいた。


 でもやがてあることに気づいた。


 一つの死体の足元に、生前来ていたらしい上着が脱げ落ちていた。


「役に立つ」と咄嗟とっさに思って、恐る恐るそちらへと歩いた。


 上着は多少血で汚れていたし、サイズも合っていなかった。


 とはいえ、裸よりもましなのは言うまでもない。


「……ごめんなさい」


 僕は頭を下げて、死体に向かって手を合わせた。


 その所作しょさの意味も、よく分からないままに。


 上着を拾い上げてそでに手を通した。


 残った体臭や血の跡が、僕をいたたまれない気持ちさせた。


 上着の元の持ち主は大柄で、僕の方はと言えば――認めたくはないんだけど――人よりも背が低い。


 袖もすそもかなり余った。


 その代わり、ボタンを止めると、服は僕の膝あたりまでを隠してくれた。


 少しだけほっとする。


 ただ、そうして一度上着をってしまうと――、


「……欲張りたくはないんだけど、君の友達からもう少し服を貰うね? 本当に悪いと思うんだけど、ズボンと靴だけはどうしても欲しいんだ」


 死体は割と高い位置に吊るされていたから、脱がせやすい靴を先に頂戴することにした。


 できるだけ小柄な死体に近づいて、謝りながら先程と同じ所作。


 そうして靴を脱がせて足に穿いては見たけど、やっぱり僕には大きかった。


「背に腹は代えられない」。そう思って、僕は続いてズボンへと手を伸ばした。


 ――引っ張ればずり落ちるだろうか?


 でも結局、僕がズボンを死体から盗むことはなかった。


 その時、声がすぐ近くで聞こえたから。


「――――――」


 驚きながらそちらを見る。いつの間にか、一人の男がそこに立っていた。


 男は何かを僕に言った。


 けれどその言語が、その時の僕には理解できなかった。


 別に怒っているような口調ではなかった。


「どうかしたのか? ここで何をしているんだ?」。そんな風なことを言ってたんだと思う。


 男は軍服みたいなものを着て、鳥の羽根を付けた軍帽らしきものをかぶっていた。


 大きな銃も持っていて、銃の先端には剣が取り付けてある。


 けれど今の所その切っ先は、僕に向けられてはいなかった。


 男の後方には、何台かの馬車が見えていた。オレンジ色の車体が印象的な馬車。


 それらは皆旗を掲げていた。


 描かれているのは、何か円いものをくわえた鳥のエンブレム。


 不意に現れた男にすっかり動顛どうてんしてしまい、僕は思わず、その場から逃げ出してしまっていた。


 今思えば、銃を持った相手に無謀だったとは思う。


 でも、その時はそこまで考えが至らなかった。


 男は何かを叫んでいたけど、追いかけては来なかった――らしい。


 僕は後ろも見ずに夢中で走っていたから気づかなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る