第29話 少年
白金髪の少年は俺とマナに向かって、特に俺に向けて淡々と続ける。
「なんでも編入手続きの書類なんだが、今日までに出さないと学校に入れてもらえないらしいんだ。でも僕、此処のこと全然分からなくて」
何故だろう。俺には少し冷たい緊張が走る。毒が血管を伝うような増大していく恐怖。しかし、マナは事情を察知すると、温かい表情を向けた。
「ああ、学務ならこの先にありますよ。案内しましょうか?」
白金髪の少年はマナにゆっくりと向き直る。
「……そうだね。案内してくれないか?」
それを聞いて、マナは微笑んで頷き、椅子から立ち上がって道を先導しようとする。
「君も来てくれないか?」
俺は白金髪の少年から声をかけられる。それは決して怒鳴るような声ではない。むしろ落ち着いており、なだめてくれているようだ。なのに、俺は彼に対して好感を抱けない。
俺はマナの方へ行き、彼女と少年の間に立った。マナは俺の様子を不思議そうに見ていた。
「じゃ、じゃあ、学務まで案内するよ」
白金髪の少年は淡白な表情のままだ。
「頼む」
俺たちは事務室に着くと、彼は礼を告げて中に入っていった。彼は受付の事務員と話しながら書類を提示している。その様子を事務室の入り口の外からまじめじと見ていると、マナは俺にこそこそと話しかけてきた。
「もしかして知り合いだった? なんか優くん、彼に動揺してたけど」
俺は誤魔化す。もちろん初対面なので、彼が何なのかは分からない。しかし、この警戒はどう説明したら良いのか。
「いや、全く知り合いじゃないよ」
「じゃあどうして……?」
俺はマナから向けられている円らな視線を逸らして、どう説明しようか考える。
「……何となくだけど、怖いだけだよ」
「怖い……の? でも、ああいう人、大学によくいるでしょ」
俺は首を振る。
「違うんだ。そういうことじゃない」
マナはますます心配そうな顔をこちらに向けた。
「……正直に話して! 絶対、会ったことあるでしょ」
「……いや、ない」
会ったことはない。……しかし、見かけたことはあった。マナとイザナミと三人で帰ったとき、あの飛行物体が頭上を通ったとき、遠くで俺のことを見ていた人物。あの人物も薄い金色の髪をしていたのだ。そして俺は、まだそのことを誰にも話していなかった。俺の頭に少しずつ、当てのない不安が押し寄せてきた。
「……悪い、俺、電話しなくちゃいけないことが」
そのとき、白金色の少年は、用を済ませて事務室から出てきていた。俺の焦りをよそに、朗らかな笑みを浮かべている。
「ありがとう、おかげで用を済ませることができた」
マナは彼の方に向き直ると、彼の朗らかな笑みにつられて微笑みを向ける。
「良かった! 解決したんだね」
「ああ、今日までに出す書類だったんだ。君たちに案内してもらえて良かったよ」
マナは愛想よく笑う。しかし、何をしないといけないのか分からず固まる俺をチラリと見た。
「……ゆ、優くんも良かったって思ってるよ」
白金髪の少年は、そんな様子の俺を見て何かを思い出したようだった。
「ああ、自己紹介がまだだったね」
マナも少年の改まった態度に驚いた。そんな案内したくらいで自己紹介をする人間などいない。
「名乗るのが遅くなってごめん、僕はテンマと言う」
その様子に一瞬怯んだマナだったが、名乗られたからには
「わ、私はマナって言います! よろしくね」
少年はマナに微笑む。そして俺の方に向き直って待っている。俺も渋々と自己紹介をした。
「お、俺は優って言います。……よろしく」
それを聞くと満足したかのように、彼は頷いて手を差し出してきた。
「よろしく、ユウ」
俺はその手を見つめたまま躊躇するが、ビクビクしながら手を差し出す。
「……あ、ああ」
相手は固い握手を求めてきた。しかし俺はやんわりと済ませようとして力を込めないでいると、相手もそれを察したのか握手はすぐに解かれた。
その様子を見たマナは、ホッとしたように和やかな表情になった。そして何か思い出したようで、少年に話し始めた。
「そうだ! 今日、ここにはいないけど優くんの友達でミナミちゃんって子がいるの」
「……ミナミ?」
少年は少し考えた表情をしたが、何でもなかったかのようにマナに向き直った。
「そうだね、その子にもよろしく伝えておいてくれ」
俺は依然として少年に訝しげな目を向けているが、彼はこちらを見ずマナと話している。彼はどこか超然としていて、人の感情など意に介さないようだ。
「ねえねえ優くん、テンマくんと一緒に帰ろうよ!」
マナの呼び掛けによって我に返ると、マナが俺の顔を覗き込んでいた。俺は表情を取り繕ってそれに応える。
「……そ、そうだな」
少年は俺の方を向いて微笑む。
「ありがとう、こんなに親切にしてもらえるなんて」
俺は彼から目を逸らしてマナの隣に並ぶ。少年もマナを挟んで反対側で歩き始めた。
大学から出て、駅へと向かう道を三人で並んで歩いた。もう日は沈んでいて、街灯が明るく道を照らしていた。寒さに身震いし、息は白い煙とともに口から漏れる。
「そっか、テンマくんも編入生なんだね。でも、なんでこの時期に?」
少年はマナの方を見ながら明るく答える。
「ああ、家の都合で日本に来るのが遅くなってしまって。こんな遅い時期になってしまった」
マナは驚いて、少年の方を凝視する。
「ええ! テンマくんって帰国子女なの!?」
テンマはその驚いた様子をクスッと笑った。
「はは、でも少し違うかな。僕は日本人だけど、生まれがあっちなんだ」
「じゃ、じゃあ外国人なんだ!」
テンマは大笑いする。マナはテンマの海外の生活やら日本に来た理由に興味津々のようだ。
「……え、どこの国から来たの?」
「アラブ首長国連邦だよ。日本に比べたらとても小さい国だけれど」
マナはひいーという声を上げてのけ反った。
「そ、そんなお金持ちの国から来たの!?」
少年はまるで自覚がないのか、空を仰いで考えている。
「うーん、別に大富豪ってわけじゃないと思うけどね」
「その答え方、お金持ちしかできないから」
少年は否定しているようだが、マナは彼が石油王の子息か何かと察知したようだ。俺はその会話に唐突に割り込む。
「……そんなお金持ちが、どうして日本に?」
少年は目を見開く。しかし、程なくして笑うと、前を向いたまま俺にの質問に答える。
「そうだね、欲しいものがあるんだ」
マナも気になる様子だ。
「……欲しいもの、って?」
少年は俺たちに向きなおると笑い声を上げた。
「君たちに言うことじゃないかな」
「そ、そっか」
マナの顔には疑問が残っている。俺は少年をますます信用できなくなってしまった。しかし、マナは少年との距離が縮まっていることを嬉しく思っているようだ。
「テンマくんもさ、一緒に授業受けようよ。私たち三人、一緒に授業受けてるからさ」
「お、おい!」
俺はマナに声を押し殺して止めようとする。マナは驚いたように俺の方を見た。
「べ、別にいいんじゃないかな? ミナミちゃんも嬉しいんじゃない」
「で、でも……」
俺は続ける言葉を見つけることができない。マナは少年に向き直って、同意を促す。
「いいのかい? 僕としても嬉しいよ」
少年は笑みをこぼしてマナに応える。
「………………」
俺はそれを制止することができなかった。
「よっし! それじゃ、来週の一限から皆で受けようか」
マナと少年は二人で笑っている。俺はどうすることもできず、俯いて歩いた。横を車が走る音がする。一台通りすぎるたび、二人の会話は小さくなって、また大きく聞こえてくる。
そのとき、一台の黒い車が俺たちの前に止まった。一同は立ち止まって、沈黙が降りる。マナは驚いて後ろに後退りした。少年もその車を見つめていた。
しかし、その車の助手席から見知った顔が現れた。
「いたいた! マナと優!」
その声の主はイザナミだった。ベレー帽をかぶってめかしているのか、外行きの格好であった。
「ミナミちゃん! どうしたの?」
マナが声をあげる。窓から身を乗り出したイザナミも、向こうから大声でそれに呼応する。
「迎えに来たよ!これからお寿司でも食べにいかない?」
マナはそれを聞くと歓声を上げる。しかし、横の初対面の人物を思い出してイザナミに伝えようとした。
「イザナミちゃん! 今ね、テンマくんって男の子と…………って、あれ?」
俺も即座にマナの方を見やった。しかし、マナの隣にいたはずの少年の姿が消えていた。
「ど、何処に行ったの!?」
イザナミは何のことだか分からず、疑問符の浮かんだ顔をしている。
「どうしたの~? さあ、早く乗って」
「ありがとう、
僕は馬の背に乗って空を舞っていた。今日は晴れていて、綺麗な上弦の月が向こうに浮かんでいた。たなびく雲が流れを描いて東の空を泳いでいるようだ。
「……そうだね、彼は面白そうな奴だな」
僕は馬に話しかける。そして肩に掛けていた片手で抱えるほどのメッセンジャーバックから、一冊の本を取り出す。
「……楽しくなりそうだ。だけど、」
馬も僕の昂る感情を静かに受け止めてくれている。
「……これから彼にすることは、少し残酷なことかもしれない」
僕たちはのんびりと寒空を飛行する。
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