第28話 偶然会う

俺は風邪をひいているというのに、学校へ向かうことにした。無論、外は寒いし風も吹いている。マスクをして、上は厚手のインナーにニット、ジャケット、コート、下は股引きにジャージ、とできる限りの厚着をして学校に向かう。鏡には、顔色を悪くして無様に着膨れした自分の姿が映っていた。

「どうして俺が行かないといけないんだよ」

無断で出かけていったイザナミと、今までのうのうと書類のことを忘れていた自分にとても腹が立つ。しかし、憤怒する余裕もなく、熱により頭がジーンとする。やらなければいけないことは早めに済まそうか。

家を出るとあまりの寒さに身震いする。俺は曇り空の下、最寄りの駅へと向かった。










大学の学部の事務室に着く。着く直前にはもう凍って動けなくなるのではないかというほどの寒波にやられて心も蝕まれていた。しかし、大学の事務室内の暖房は俺を救い、頑張って道のりを歩んだ俺を讃えているようだった。

俺は事務の受付に行き、書類を渡す旨を伝えると、受付の男性は笑顔で対応してくれた。丸々と厚着をして、マスクの内で咳払いをする俺はどう見えているだろうか。哀れんだ目で見られているだろうか。しかし、受付の男性は淡々と手続きをしてくれた。いくつか質問をされて、受理が成立したのか男性は書類をまとめて、寒い中ありがとうございました、と言って事務室の奥へ行った。事務室から出ると大学構内でも身に染みる寒さで、事務室の温風にまた当たりたくなったが、できる限りポッケに手を突っ込んで気持ちを紛らわした。




学部内には土曜日の今日も学生が行き交っている。教室内には生徒が向かい合い、パソコンで資料を作成しているのか話し合いをしている姿が見られた。講義を行っている教室もある。偉いもんだなと思いながら、廊下を一人ぽつぽつと歩く。いつもならコンビニでも寄って弁当やコーヒーを買いたいと思うのだが、今日は真っ直ぐ帰りたい。俺はゆっくりと歩を進める。




「あ!」

俺が棟の入り口近くを歩いていたとき、不意に前方から声がかかった。俺は声の主の方に目をやる。

「優くん! こんなところで会うなんて偶然だね!」

声の主はマナであった。ブラウンのトレンチコートに身を包み、ニット帽をかぶって白の手袋をした彼女は、俺に駆け寄ると朗らかな表情を浮かべる。

「こんな寒い日にどうしたの? 講義?」

俺は答えを渋る。イザナミの書類を渡しに来たと言えば、なぜ俺が渡しに来たのかと疑念になるだろう。

「……いや、まあそうなんだけど」

マナは首をかしげる。

「え? 授業なの?」

「……そ、そっちこそ今日は何の用で学校に?」

するとマナは『ああ~』と相づちを打つ。

「今日は私、補講だったんだよ。こんな寒い日に登校させられて嫌になるよね」

マナは呆れたように話した。続けて、先生がどうのこうのとか、課題がどうのこうのだとか愚痴り始める。

「……マナも大変だな」

「でしょでしょ! 皆どうやって上手くやってるのか分からないよね。私だけ忙しくしててなんかおかしいなって時々思うもん」

マナは不機嫌そうに話すが、大きな瞳を無邪気に俺に向けて話す。

「……そうだね。でもマナは頑張ってると思うよ」

そう言うとマナは嬉しかったのか、笑顔を浮かべる。

「ありがとう! そう言ってくれるだけでも嬉しい」

俺は、ヘラヘラした笑いを浮かべていないだろうか。そんなことで失礼に思われていないかが気になってしまう。

「立って話すのも落ち着かないね、どっか座って話す?」

彼女がそう持ちかけて、俺は同意する。近くにあった自動販売機で、俺は自分にコーヒーを、彼女にはホットレモンを買った。

「えっ! ありがとう!」

彼女はホットレモンを両手の手袋で包み、手を温めていた。

俺とマナは構内の広場の長椅子に腰掛ける。俺はコーヒーの缶を開けて一口啜る。

「優くん、なんか風邪引いてない? 鼻声だし」

俺は心配させないつもりでいたが、意識せず態度に出てしまっていたことを反省する。

「……そんなことないよ、大丈夫」

「いやいや、全然元気ないじゃん!」

マナはそんな俺の強がりをいかにもおかしそうに笑った。

「こうやって優くんと話したことなかったよ。君、結構無口だもんね」

自覚はあるが、人と比べて極端に話していないとは思わなかった。多少友達と話していたし、発表のときなど発言もしていた気がする。

「まあ、私があんまり男の子と話さないのかもしれないけどね」

マナは遠くの方を眺めて落ち着いた様子で話す。

「なんでだろう、体育のとき唯一話した男の子が優くんだからかな。勝手に親近感持ってたけど、大丈夫だった?」

それを聞いて俺は意外に思った。確かにマナは活発な印象があったが、話していたのは女子だけだったのか。

「全然大丈夫、っていうか男子とあんまり話さないんだね」

「そうなんだよ、意外って思った?」

俺は頷いてみせる。マナはあははと笑った。

「マナ、愛嬌あるのに意外だなって。男だったらマナみたいな子と話せたら嬉しいんじゃないのかな」

マナは大きく目を見開いた。まずい、セクハラだったかな。

「……そうかな」

そう言ってマナは俯く。俺はさっきの言葉を恥じた。誓ってもセクハラだけはしたくなかったのに。

「ごめん、マナって自分に自信がないの?」

「……そりゃないよ」

またマナの傷ついた気持ちを逆撫でてしまっただろうか。マナは俯く。

「……優くんは私のこと、そんなふうに思ってるの?」

「え…………、い、いや違うよ! ごめんって」

だが、マナは言葉とは裏腹に俺に少し体を寄せて椅子に座り直した。

「でも優くん、可愛い女の子と一緒にいるからな。それにその子、凄く話しやすいし」

急な濁した発言に俺は戸惑う。

「ああ、イザ…………ミナミのことか。あの子は別に俺のことを振り回しているだけで」

「ふーん」

ふーん、ってなんだ? と思った。俺は黙ってしまう。しかし、困る俺の様子を見てマナは笑みを浮かべた。

「ごめんね! 二人って仲良いんだなって思って。それにミナミちゃんって大人っぽいし、優しくて羨ましいなって」

イザナミは周りからそんなふうに思われていたんだなと驚く?

「……羨ましいって、俺のことが?」

「まあ、そうだね!」

マナは言葉を続けなかった。俺も正面に向き直ってコーヒーを飲む。変な空気感だな、俺の口下手なせいだろう、と思う。

「優くんってミナミちゃんのこと好きなの?」

俺はコーヒーを吹き出しそうになって、『ふぐぐ!』と唸る。

「ご、ごめん。大丈夫?」

俺はコーヒーを飲み込んで自分を落ち着ける。

「……ミナミのことは好きじゃない。……うん、違うから」

マナはクスクスと笑う。女子ってこうやって人のことをおちょくるのが好きなんだなとしみじみ感じさせられる。







「お取り込み中みたいだけど、悪い」

突然目の前から話しかけられた。俺の目の前にはペラペラッと書類が数枚掲げられていた。その書類は、俺がイザナミのために書いた、編入時における手続きの書類と同じものであった。見上げると一人の男子がそこにいた。

「この書類ってどこに出すのかな?」

透明感のある声だがどこか幼い印象を与える声だ。髪は色素を欠いたような白金色であり、黒のミリタリージャケットを羽織っている。

そいつは俺に微笑んでいたが、身動きを封じるように前に立ち塞がり、プレッシャーを俺に与えていた。

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