第27話 反省会
イザナミは今までの話を聞いて、意外にも納得の表情を見せた。
「それで、ツチグモはその男の子に助けられたわけね」
トモヤも、さも珍しいといったように、ツチグモの敗戦について取り沙汰している。
「ツチグモは自分を奢っている節があるんだよな。そういうやつほど、幻影に惑わされやすい」
ツチグモはそっぽを向いてズボンのポッケに手を入れている。元々スラッと長く伸ばしていて纏めていた後ろ髪は、白鯨との戦いの中でその歯に掠めたのか、鋭利に斜めった切り口を残して不格好な後ろ髪となっていた。
「悪かったな。だがもっとも、イザナミとアテルイに身体能力で劣る俺に、空中戦と大物狩りを任せないでもらえるか」
トモヤはクスクス笑い、回転椅子を回してツチグモに向き直る。
「あともう少しで勝てただろ! 苦手は早めに克服するべきだよ」
ツチグモは舌打ちをしてトモヤを睨む。しかし、トモヤは仏頂面をしてツチグモの癇癪を無視する。
「……畜生ッ! 大体何でアテルイは来なかったんだよ」
アテルイは、トモヤの家の白壁に背を預けて立っていた。あまり、話を聞いていなかったかのように『ああ?』と声を上げる。
「……そうだったな、すまん。俺は京都に帰っていたからな。トモヤから知らせを聞いてすぐ駆けつけようとしたんだが、東京に着いたときには決着がついてたんだよ」
「そんだけ俺が白鯨に押されてたってことかよ!」
「……まあ、そういうことになるな」
ツチグモはバツの悪い顔をした。イザナミは、普段嫌味な表情をしているツチグモの、中々ない悔しそうな顔にニヤけが止まらない。
「イザナミ、何笑ってるんだよ! お前は来れただろうが!」
イザナミは笑うのをやめず答える。
「ええ? でも私大学生だから、授業あるもの」
「ああもう! 始まったよ」
ツチグモはうんざりと言ったように顔を右手で抱えて膝に頬杖をつく。そんなツチグモを励ますようにイザナミは落ち着いた声で話す。
「まあ、良かったじゃない。もう一人の神の書の持ち主に会えて」
トモヤもそれに頷く。
「本当にそうだね。彼が東京にいたってことは知っていたんだが、まさかこんなところで合間見えるとはね」
アテルイは驚いたのか、トモヤに聞き返す。
「……ん? 前から東京にいたのか? しかも優と同じ年頃の男児と聞いていたが」
あまりよく話していなかったと気づいたのか、トモヤがそれに答える。
「ああ、東京にいるよ。でも一年前まではアラブの方で生活していたらしい。そっちの方でも赤ん坊の頃から要人として育てられてたんだ」
イザナミがトモヤに質問する。
「でも、彼がこっちに来るときにはあっちの組織から何の通達もなかったし、彼に複素八咫烏が関わっても大丈夫なわけ?」
トモヤは腕を組んで考える。
「そうだな。でも、神の書を持ってこっちのテリトリーに踏み込んだからにはこっちが相手の様子を伺っておかないと、彼の神の書を狙う連中が大暴れしたとき対応が遅れるし、その上今回は彼に貸しを作ってしまったわけだからね」
ツチグモは大きな溜め息をついて席を立ち上がる。
「……子どもの面倒事に巻き込まれるのはもう散々だ。そいつは何で日本に来たんだ!」
トモヤはその様子をみて苦笑する。
「まあ、まだ未熟な神の書の持ち主が表舞台に立ったからじゃないのかな」
ツチグモは煙草に火をつける。イザナミは煙草が嫌なのか、ツチグモを少し睨んだ。
「……ったくよ、あの五国のガキが神の書をこっちに引き渡せば良いだけだろ」
トモヤは呆れた様子でツチグモを見つめる。
「だからそれができないんだって」
ツチグモが煙草を咥えながらトモヤを一瞥する。
「それは何でだよ」
「分からないよ……。俺も五国さんたちに聞いておけば良かったと思ってる」
その言葉を聞いて、イザナミはほんの少し悲しさを口元に滲ませた。窓の外は曇っており暗く、今にも雨が降りだしそうな天気であった。アテルイはその暗い空をいたって超然とした表情で眺めている。トモヤは一息ついてイザナミに語りかける。
「ところで今日、優くんはどうしたの? 大事な用でもあったのかな」
「ああ、優なら風邪をひいちゃってね。今、家で寝込んでる」
トモヤは微笑んで頷く。
「そうだったのか! 環境も結構変わっちゃったし、体調も崩すよな」
イザナミは少し頬を膨らませて答える。
「ちょっと、先生まで私を手のかかる厄介者だって言うわけ?」
それを聞いて、三人は笑いを殺したが息が口から漏れた。
昨日の夕方、喉が痛いなと感じて体温を測ったら微熱を帯びており、夜になる頃には咳が止まらなくなり高熱を出していた。なので午前中と昼は布団の中に潜っていたのだが、気がつくと部屋にはイザナミがいなかったらしく、自分で布団から這い上がって水を飲んだ。今日は土曜日だから大学はないのに、イザナミは何の用で部屋から出ていったのか分からない。外も暗く淀んでおり、ますます気が滅入ってしまう気がした。俺は冷蔵庫からウィダーインゼリーを取り出して胃に流し込む。
「……少し熱、落ち着いたかな」
俺は体温を測り直すと、体温は微熱に戻っていた。俺は着替えてセーター姿になる。俺は何かしようと思い立って廊下へ向かう。そして洗濯をしようと、バスケットに入った洗濯物をネットにまとめようとするが……イザナミの下着が目についた。
「……………………何でだよ」
俺は気を抜くと凝視してしまう両目を何とか自制して廊下の端を見るように我慢する。しかし、手は少し震えており自分で何をやっているのかと恥ずかしくなった。さっさとネットの中に突っ込んで、蓋を閉めて洗濯機を動かす。
それでもなお、自分の衣服とイザナミの衣服が一緒くたに洗濯機の中で回ってるかと思うと、洗濯ネットで分けているにも関わらず、今でも慣れない。ますます、発熱しそうになる。家事を一つこなして達成感があるはずが、何故かモヤモヤした気持ちになった俺は寝室に戻ってまた布団に潜った。
喉の痛みも幾分か引いてはいるが、正直自分の体はまだ元気になりたくないのか、ただふて寝したいのか、分からないが暖かい布団が心地良くて仕方がない。天井を眺めて、少しずつ意識をぼんやりとさせようと心を無にする。しかし、意識はまだ外へと飛んでいかない。
「…………あれ……何か忘れているような」
揺らぐ頭の中で、記憶の中に書き留めたことを一つ一つ振り返る。そして俺は思い出してしまった。
「畜生……イザナミの手続きの書類、今日までかよ」
俺の体は余計に布団の中に引っ込んでいった。
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