第26話 白鯨
Hello,world 結界が無理やりこじ開けられる音がする。
どうしてだが体が
仲間がいることを思い出せ。彼らには本当に感謝している。でも、いつも僕は頼ってばかりだ。自分に腹が立つ。でもこの世界の運命がどこかずっと上空の神たちによって定義されているならば、僕の
今回の異変が、彼らの三度目の正直だ。一体こんなことが何度続くのか分からないが、僕たちはその戦いに対して完封勝利をする以外に道はない。傀儡にされている術師たちが一同に会し、呼び寄せるものは
俺はポルシェを走らせて池袋の通りを駆ける。三車線の道路は交通量が多く、通りには人通りも多い。雑踏の音が東京の日常を証明しているようだ。俺は煙草を1本取り出す。
まだ件の正体は見られない。少なくとも10人は始末したはずだったが、悪魔とやらは人を惑わすのが上手いらしいな。操り人形はいくらあっても困らないわけだ。それにトモヤの監視を避けて儀式を行っていたんだから、相当念入りにやってくれているようだ。しかし今回は悪趣味なオープニングアクトがないのは気になる。どうせ気まぐれなのかもしれないが、もしくは奇襲を仕掛けたつもりでもいるのか。
灰皿にシガレットを押し付ける。一陣の風が吹いたかと思ったが、余りに長く轟く低い唸りがその件の正体であると初めて気づいた。音は大きくなる。一定の間隔をおいて、貨物船の汽笛のような地平の向こうまで伝わる振動が立ち並ぶ建造物に共鳴する。
「あれか……」
俺はフロントガラスから空を観察する。ビルの向こうから迫ってくる白い影があった。ひどくゆっくりと前方へと進み、雲ではないかと思いさえする。しかしはっきりと、その体の灰色の斑点が見受けられる。今度は内蔵を揺らされるような唸り声が通りに戦慄を走らせる。
「白鯨か」
巨大な白い影の全体像が、のっそりとビルの隙間から現れる。道端の人々は全員それを見上げ、数人は腰が抜けたのか倒れ込んでいた。やがて人々の波の中から悲鳴が上がる。俺の車の進行方向と反対へ蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていく。
鯨は恐怖に我を失う人々に対して、まるで子供のような純真無垢な目を向けた。態勢はその人々の方に向いたと思えば、何本もの繊維が並んでいるような鯨の歯をゆっくりと覗かせ、咆哮のような口を開ける。俺は一瞬、寒い予感がしてポルシェを停止し外に飛び出し、適当なビルに飛び移った。
鯨から錆びた歯車を噛み合わせたかのような耳障りな音が、大音量で通り中に響き渡る。
次の瞬間、鯨の口から大量の深紅の血液が溢れだしてきた。血液は、運悪く鯨の下を逃げていた人々に降り注ぎ、その後、半径十数メートルの人々の膝上まで及んだ。人々は血液に足をとられたのかその場に倒れ込む。最初、人々は起き上がろうとしたが、しかし気づいてしまった。人々の中で起き上がれる者はおらず、人々は血液の中で足や手をつき、力をこめて引っこ抜こうとするが、苦しい声が上がるばかりで完全に行動を封じられてしまった。
「……あれはまずいな」
鯨は上空を向く。その口からは赤いドロドロとした液体がこぼれ出す。
「…っ!」
俺は糸を引きながら大通りを挟んだ向こうのビルに飛び移る。そして間髪入れず鯨の方へ飛び移った。鯨は驚いたのか、いきなり顔の上に乗られた俺を円い目で見つめ動きを止める。
「糞ッ! デカブツ相手は苦手なんだ」
俺は糸を巻き上げて鯨の口周りを一周させる。果てしない腕の重さに一瞬怯むが、俺は踏ん張って鯨の口周りの糸を強く縛りあげる。すると、ギチギチという音を立てて鯨の口がしまった。鯨は痛みのため、目は明後日の方を向き体はのけ反った。そして俺を振り落とそうと体を回転させながら頭を下に向ける。俺は鯨の体を擦りあげながらかけ登り、鯨の背中に登る。この間、掴んだ糸を放してはいけない。放せば、身動きの取れない人々の上にまた大量の血液の泥流が降りそそぎ、全員窒息死してしまうだろう。俺は肩に糸をかけて決して縛りを緩めまいと引き締める。
鯨の体内からゴボゴホとした液体のかき混ぜられる音がし、依然として頭を大きく降って俺を落とそうとする。俺は女郎蜘蛛に、鯨の胴を一周させて糸を引いてそれに捕まった。
「……おい、誰か援護に来ないのか!」
そう叫んでみるが返答などない。鯨は踠いて苦しみ、ふらふらと空を浮遊して近くの雑居ビルに衝突した。
「チッ!」
俺は投げ出され、ビル内のコンクリート剥き出しの床に投げ出された。鯨の縛られた口が俺の方に向けられて、興奮した両目が泳いでいた。
俺は立ち上がる。だが、俺の手からは糸が離れていた。しかし、気づいたときには遅い。鯨の口はガリガリとした異様な音を立てて、合金ワイヤーと同じほどの硬度であり何重にもまいたはずの糸はブチブチという破壊音と共に千切れていく。
すると、鯨の口から黒い火砕流のような濁流が押し寄せる。俺が身動きすら取れない一瞬であった。
気づくと俺は暗い海の上に立っていた。上空に満月だけが見える。波もなく、とても静かであった。この空間の正体は一体なんなのか、俺が考えるにはこれはある種の幻影なのだと思う。あの鯨は幻獣で、今はそいつが作り出した結界内におり中にいる人間に空想の記憶や既成事実、幻覚を見せるのだ。この空間がその種のものならこの空間は圧倒的に鯨の独壇場である。鯨は夢を象徴する動物の一つである。そいつの見せる夢は非常に強力ということだ。
向こうから波音が聞こえる。それはだんだんと近づいてきている気がする。現実世界なら難なく出せる俺の糸も、今何故か出せなくなっている。俺は金縛りにあったまま、孤独な海の上で浮遊している。波音は大きくなり、足元の海面に何重もの波紋が通りすぎ、綺麗な円を描いていたそれは次第に崩れていくと白波が立ち始めた。
「…………」
俺はポケットから繭を一つ取り出す。それを上に掲げる。
「……間に合ってくれ」
しかしそんな願い虚しく、一秒も経たず鯨は眼前の海面から飛びだしてきた。飛沫があがり、視界はもうその白鯨の白で埋め尽くされた。その目はどこか俺を嘲笑っているように見える。鯨の口、そして蒼白の歯の奥に深淵の暗闇があった。本当に何も見えない。
「………………遅かったか」
「今、助けます」
その声は大聖堂のドームの天井に反射して俺のもとに届いたかのように非常に遠くから聞こえた気がしたが、しっかりとこの耳に届いた。
「
澄んだ声色をしていたが、どこか幼さのある声だ。
その声のした直後、鯨の動きが宙の上で止まり黒い目が大きく見開かれる。一瞬の静寂に固唾を飲むがその沈黙が裏切られ、鯨の腹が破裂し、黒い絵の具を濯いだ水が純水に飛び出したかのように辺りは黒い靄に包まれた。
やがて靄が降りていって、視界が復活する。俺の体も何ともない。
「…………大丈夫ですか?」
俺の目の前にいたのは、至って日常的な軽装をして、ブリーチをかけたかのような白金色の髪をした一人の少年と、一匹の黒い馬であった。
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