第25話 寒い夜の晩酌
俺たちがマンションについたときはもう日が落ちていて、十分辺りは冷え込んでいたので両手で脇をさすりながら部屋に帰ってきた。俺は温かいコーヒーを淹れたがよく覚まさず飲もうとしたせいで舌の火傷がヒリヒリする。イザナミは冷蔵庫やキッチン周りを確認していたがどこか物足りなかったのか、コンビニに何か買いに行くと言って部屋を出ていった。
暖房はつけているが、一階のこの部屋は床が特に冷たい。そもそも家賃も安く済ませているので、部屋の造りは致し方ないのだが。俺は毛布で体を包んで座布団の上に座った。そして湯気のたつコーヒーをすする。
この部屋にイザナミが来てから何故か狭く感じるようになってしまった。食べ物も早く減るし、食器の洗い物も増えるし、彼女の洗濯をすると服に他の衣類の毛がついてるし、面倒なことは確実に増えている。貯金だって少しずつ切り崩している。何より、彼女の持ち前の頑固さにも頭を抱えることが多くある。
しかし、虚ろな自分の日常に大きく彼女が割り込んできて、そしてよく分からない秘密結社が介入してきて、その日々はつまらないとは決して言えなかった。俺はもしかしたら、両親のいない孤独を捨てたはずが、やっぱりどこか引きずっていたのかもしれない。癒えない心の傷を、見つけられていなかったのかもしれない。
彼女は頑固だ。加えて感情の揺れも激しい。しかし、俺の話をよく聞いてくれている、気がする。好奇心旺盛なのは、ただ彼女にとっての人間の生活が物珍しかったこともあるかもしれないが、でも俺という人間に興味を持ってくれていることが嬉しいのだ。孤独の中上手くやってきた俺を、よく折りたたんで仕舞われていた俺の心を、無邪気に引っ張り出して遊んでくれているのかもしれない。それは俺にとって、新鮮な気持ちだったし、きっと嬉しかった。
まだ熱いコーヒーに息を吹きかける。スマホを確認するとメッセージが来ていた。
『何かほしいのある?』
俺は、特に要らないと答えた。
イザナミが帰宅した。手にビニール袋を持ち、缶のシルエットが浮き出ていた。そしてコンビニラーメンを買ってきており、それをレンジに入れた。
「優も飲むでしょ?」
そう言って発泡酒の缶を差し出してきたが、俺は苦笑いして遠慮する。
「ええ~!! この前飲んでたくせに!」
彼女はつまらなさそうにその発泡酒の缶を冷蔵庫に入れた。そして、イザナミ自身のために買ったであろうビール缶を取り出す。
「今日は晩酌しながら夕飯食べよ」
彼女は、るんるんな感じでリビングまで来た。ローテーブルにラーメンと缶ビールを置く。俺も適当に、冷蔵庫に残ったものを後で食べることにした。今俺はコーヒーを飲んでいる。
「優、何湿気た顔してるの?」
「……別に」
彼女は俺の顔を覗き込みながらじっと見てくる。俺はその黒くも光彩の宿る瞳をじっと見つめ返したが、観念してすぐに逸らしてしまった。
「毎日飲んでるぞ、お前」
彼女はそれが何のことやら、逆におかしいと言わんばかりの表情で見返してくる。
「いいでしょ、私に楯突くつもり?」
「楯突くも何も、酒代を持っているのはこっちなんだが」
彼女はバツの悪い顔をするが、缶を開けて音を立てているビールをすすった。
「安酒で我慢してるんだからいいでしょ」
俺は呆れた表情を彼女に向ける。彼女は俺のことなど見ていなかった。ローテーブルの前に腰掛け、麺をすする。
「で、君はあの娘が好きなのかな?」
「は?」
彼女は俺にニヤついて嘲笑い、不貞そうなことを考えている目で俺を見据えた。
「でも、もしかしたら、あの娘が優のこと好きって線もあるかな」
「一体何の話をしてるんだよ!」
俺は少し声を荒げた。しかし彼女はクスクス笑うばかり。
「またまた~、あんな可愛い子、私だったら目が勝手に追って授業なんか手に追えないよ」
俺はつらつらと喋り続けようとするイザナミの言葉を遮る。
「そんなことするわけないだろ! 気持ち悪がられるだろ!」
「え、図星?」
小癪な彼女の態度にイラつくが、俺は自分を落ち着かせる。焦ってしまっては彼女のペースでどんどん話が進む。繕おうと言葉を探す俺をよそに、彼女は俺に詰め寄る。
「……罪な男だね、君は」
彼女は頬杖をつき、さも面白そうに俺を見つめている。そんなに俺のことをいじめて楽しいのだろうか。
彼女の着くずされたブラウスと、耳にかけられた黒髪が、何とも男を転がす謀略的な女性に見えて仕方なかった。
「私も学校が楽しくなってきたよ! ありがとうね」
俺はフンと鼻を鳴らす。多分彼女には強がりにしか見えてないだろう。
「……それでまた私に抱きついて寝るんでしょ。どこのお子ちゃまなの」
「お、俺からではないだろ」
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