第23話 同級生

刑法の授業中、俺は机に突っ伏して教授の般若心経にただただ、うたた寝を打っていた。暖房の温風と相まって俺を眠りの境地へと誘い、あと30分の授業の内容を頭の外へとシャットアウトしていた。対して、俺の横のイザナミは、まるで向学心溢れるお茶の水の爽やかさを纏った女学生かのように板書をルーズリーフにとっていた。

「…………どういう風の吹き回しだよ」

イザナミは俺に一瞥もくれない。

「……あら、遊び呆ける三流学生が、高貴な令嬢の私に何かしら」

俺はイザナミを睨んだ。しかし彼女はフンと鼻で笑って作業に戻る。

「私、こう見えてもみやこでは宮中の殿方からもてはやされた、才色豊かな乙女なの」

俺は眠い目を擦りながらそれに抗議する。

「……どこがだよ。前、買い物頼んだとき、計算できなくて俺に泣きついて来ただろ」

イザナミはそんなことなどお構いもしない。

「三桁以上の数字は私の生きてきた時代には存在しなかった」

「……そんなことないだろ」

イザナミは勤勉そうにする自分が誇らしかったのか、背筋も伸びておりツンとした瞳はとても凛々しかった。俺は呆れるしかないが、真面目に勉強していない自分を少しだけ惨めに感じた。

年が明けて、1週間。年の瀬にまとめて投げつけられた天変地異と、身の回りの目まぐるしい変化にまだついていけてない。イザナミと過ごす日々も未だ慣れず、初日と変わらず心臓を悪くするような出来事も多々あり心が休まらない。……貞操観念の緩さにも少し悩まされるというか、なんというか。

授業が終わり、俺は体を机から起こす。イザナミは背伸びをして、まるでやりきったかのような満足げな笑みを浮かべていた。

「あれ? 寝たら優しい男になってくれたかな?」

「……どうかな」

俺は苦い表情を彼女に向ける。彼女は澄まし顔で席を立っていた。

「いつまでそのキャラ続けるんだ」

彼女は襟にファーのついたブラウンのトレンチコートを羽織る。どこで買ったのか、白の小さなリュックサックに筆記用具を仕舞って、右肩で背負いこむ。

「あら、元々じゃなかった?」

「どうなんだか」







勉強する学生もいれば、友だちと談笑する生徒もいる。俺がよく時間を潰す大講堂は、昼休みの時刻はやたらと賑やかであった。俺はコンビニで買った菓子パンを取り出し、口に頬張る。

「え、いいな、私のはないの?」

よくあるコッペパンの中にあんことバターを塗ったものだが、イザナミが羨ましそうにせがんで来た。

「しょうがないな」

俺は手のひらほどの大きさに千切ってイザナミに渡す。イザナミはそれだけでも分かりやすく喜んだ。パンの端にかじりついて頬張る笑顔を、俺はぼーっと眺める。横を歩いていく学生や、向こうの窓ガラスの外を飛び交う鳥にも目が行かず、彼女が視界の全面を埋めていた。そんな俺に気づいて、自分でもちょっと引く。

「パンって、餅ともまた違う美味しさね!」

そんな反応に吹き出してしまいそうになる。

「そうだね」

そんな光景が、もう居なれてしまった大学の生活で新鮮であった。ちょっとの時間しか流れていないがずいぶん経ったように思う。

すると、俺の背後を誰か通った。そして俺の鞄にぶつかり、それが机から落ちてしまった。

「あっ、ごめんなさい!」

女子の声がする。俺はその方に向き直ると、少し驚いた。それはデジャブのような、前にも俺の鞄にぶつかった、円らな瞳の少女がそこにいた。

「私、なんでこんなに……って、あ!」

彼女もすぐ思い出したようだった。俺はあの時と同じ席に座っていたらしい、余計に早く記憶を蘇らせた。

「前にも私、ぶつかっちゃった……よね?」

少し茶に染まった肩までの髪を揺らして、その少女は俺に尋ねる。イザナミは何事かと目をぱちくりさせていた。

「……あ、ああ、そうだね」

俺は何故かたどたどしく答えてしまう。その態度をよそに、その少女は笑みを浮かべた。

「ええ! 君って私と同じ、法学部で確か五国くん、だったよね!」

俺は後ろにたじろぐ。

「は、はあ……、そうだけど」

彼女はその清楚な見た目と、可愛らしい小鳥のような声とは裏腹に、忌憚なく俺に詰めかけてくる。

「なんだ! 良い人だったじゃん! もっと早く話しかければ良かったよ」

少女のいきなりのアプローチを見て、イザナミは少し訝しげな表情をする。俺もいきなりの接近に背をのけ反ってしまう。少女は罪のない笑顔を俺に向ける。

「え、横にいる人は彼女さん!! うそ、めっちゃ可愛い子だね!」

拍子抜けした俺はすぐさま首を振るが、少女はそんなことなどお構いなくイザナミを眩しい目で見つめる。しかし、褒められたからかイザナミはむしろ得意気になって、おしとやかな微笑みを少女に返す。勘弁してほしいと思う俺は、イザナミにもブンブン首を振ってみせる。しかしイザナミは口に手を添えて、可愛らしく作った声を漏らして笑っている。

「初めまして、私ミナミって言うの」

「は?」

俺は間髪空けず、イザナミに目で訴えた。イザナミは自分の名をでたらめに伝えた。そうしてもらえると、困るのはこっちだ。ミナミが上の名前か下の名前かも分からない。しかし変に濁して悪い印象を持たれるよりは良かったのかもしれない。彼女はこの学校では、編入生という立場だ。

「は、初めまして! 私はマナって言います! よろしくね」

イザナミは上目遣いで少女を見つめる。

「仲良くしてね、マナちゃん!」

女子二人は談笑に花を咲かす。俺もどういう展開だかついていけない。ただ少女に、イザナミが俺の彼女でないことを誤魔化せたか気になって仕方がない。

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