第22話 番外編 その夜……

「アテルイは田村麻呂に、もう一度会いたいと思う?」

酔っぱらって赤ら顔をしたイザナミは、唐突にアテルイに疑問を投げかけた。拍子抜けして、アテルイは咳払いをした。

「……そうだな、ずいぶん昔のことだからあまり覚えてはいない。だが」

食卓には、食べ尽くされて空っぽの皿たちが並んでいる。トモヤも酒を飲み、ほのかに酔っぱらっている様子だった。イザナミは少し前のめりになり、答えを待つ。

「かの御人から受けた恩は忘れちゃいない。たとえ首が落とされても、彼を恨んだりはしなかったよ」

アテルイは酒をすすり、遠い過去のことを思い出しながら語る。

「彼は優秀な武官であった。そのため、蝦夷の地もあっさりと征服されたわけだが、俺たちを生かしておくように朝廷に対してはたらきかけてくれたのには頭が上がらない。それにしても、清水の地に彼の名残の寺が今も残されていることには驚かされるが」

イザナミは感心するように頷く。トモヤは笑顔でそのエピソードに耳を傾ける。

「で、俺が三途の川で彷徨さまよっているときに拾ってくれたのが、そこの女神さんってことだ」

俺は驚愕する。イザナミとアテルイがそんなにも古くからの知り合いであったことに。イザナミは微笑む。

「ええ、よく覚えてるわ。川のほとりでぐったりしているところを見つけたんだもの。体は傷だらけだったし、最初は話している言葉も分からなかったし」

アテルイは頷く。

「そうだな、地獄に落とされなかった分、運が良かった」

俺は、アテルイが一体どんな死後の足取りをたどったのか疑問で溢れかえるが、どうせ聞いても分からないと思った。ただ、アテルイが処刑されて死後の世界に渡ろうとしたとき、イザナミに会ったらしい。

「あれから何年経ったのかな」

イザナミは机に肘をつき、酔った頭で回想をしている。

「さあ、覚えてないな」

千年は経っているだろうと思った。スケールが違いすぎて目眩めまいがする。トモヤは、上手く思い出せないでいる二人の間抜けさを見て笑った。

「先生、何笑ってるの?」

「いや、そんな酒の回った頭で思い出せるわけがないじゃないか」

すると、アテルイは何か思い出したかのように、一人で納得し始めた。

「そうだった、君のにもそのときに世話になった。イザナミ、両親は元気にしているか?」

イザナミはとぼけた顔をする。もうだいぶ顔が赤くなっていた。

「……え~、近頃会ってないな。別に病気にもなんないし、あの人たちにはあの人たちの仕事があるから私はちょっと疎遠気味かな」

「えっ、イザナミの両親って神様……だよね」

あまり口を開かずにいた俺が、急に会話に入ってきたことに二人は驚いた。イザナミは俺に対して不思議がっている目で見つめる。

「そうだけど……。まさか人間だとでも思った?」

俺は口をつぐむ。代わりにグラスに残ったカヌアミルクを流し込んだ。

「優、お前全然話さないんだな。酒が足りないんじゃないか」

アテルイが俺にビールを差し出す。しかしそれはトモヤが制止した。

「こらっ、そういうの最近はアルハラって言うらしいよ」

アテルイは嘘だろと言いたげな表情でトモヤの顔を伺う。

「勧められた酒を誰が断るんだ、俺の時代はみんな喜んで飲んでたぞ」

「それが今の時代に合ってないってことだよ」

アテルイはバツの悪そうな表情をする。時刻を見ると、もうすぐで12時になりそうであった。俺は眠い目を擦る。だが、イザナミとアテルイはまだ飲みたそうな顔をしており、トモヤは呆れて肩をすくめていた。アテルイはそんなトモヤの様子を鑑みて提案をする。

「……まあ、今日はこんなもんでいいや。イザナミと優にはまた今度付き合ってもらう」

イザナミは快く返事を返す。

「いつでも! 今度は優も混ぜて飲み対決といこうね」

俺は苦笑いで誤魔化す。彼らの話にも、飲酒のペースにもついていけそうにない。アテルイは満足そうに笑顔を浮かべる。

「よし、イザナミ、優、今度俺の里に来いよ。ふるってもてなしてやる」

アテルイの里……? アテルイの故郷のことか? そう思う俺にイザナミが解説を入れてくれる。

「アテルイは今、京都の丹後の方に住んでいるの。そこで奥さんと長い間暮らしているんだよ」

アテルイは俺に視線を送る。

「そうだ、里に来れば美味しい飯があるし、里の人間たちが歓迎してくれるだろう。何より酒がこの上なく美味いんだよな」

トモヤは匙を投げたように席を立つ。

「もう、そこまでして優くんを酒呑みにしたいなら、アテルイの勝手だよ」

イザナミもアテルイ側についてトモヤをなだめる。

「先生何言ってるの、丹波の地酒は絶品なんだから早いうちに飲ませておいた方がいいでしょ」

トモヤは笑いながら食器を持ってキッチンに向かった。イザナミは納得のいっていない様子で首を傾げる。俺もその様子を何とも言えない表情で見守っていた。

「さ、俺はもう寝るわ。二人とも、お疲れさん」

俺とイザナミは奥の客室に向かうアテルイを見送った。イザナミはまだグラスを片手に握っているが、もう首がかくんかくんと揺れるほど酩酊と睡魔にやられていた。

「……だ、大丈夫?」

「私はまだ飲むよ……ほら、ついで」

イザナミはグラスを俺に差し出すが、机にもたれかかって伏せていた。

「もういいだろ」

「………」

俺は彼女の手からグラスを抜き取って机に置いて、そのまま机で寝かせようと思った。彼女は机に突っ伏すと、微かに寝息をたてている。それを見ていたトモヤが俺に声をかけた。

「奥に空いている客室があるから、イザナミを連れていってあげてくれ。今日の彼女は少し疲れすぎているようだね」

俺は頷く。トモヤは微笑み返して、キッチンで片付けをしていた。イザナミの腕を自分の首にかけ、肩を支えながら彼女を椅子から立たせる。

「……ありがとう。でも自分でできるよ」

俺は迷ったがそのまま彼女を支えて歩く。

「無理すんな」






暗い寝室に入り、布団をよけてベットに彼女を寝かせる。彼女のつむられた瞳はとても穏やかであった。暗闇の中、その艶やかな褐色の肌に俺は見入ってしまっていた。水色のセーターに皺がより、細い脚がロングスカートの下から覗く。か細い寝息が静かにゆっくりと、吸って吐いてを繰り返す。俺はしばらくその様子を見てしまっていた。でもすぐに我に返って、自分に回っている酔いを振り払おうとする。

「おやすみ」

俺は彼女に背を向ける。しかし、右腕が捕まれていた。

「……? どこ行くの?」

イザナミはうっすら瞳を開けてこちらを見ている。俺は固まって動けなくなってしまった。引っ張る腕の力は微かに強くなる。

「………こっちに来て」

イザナミは俺を布団の中に引き込んだ。そしてそのまま俺を抱き締める。

「たとえ神だって、不死身じゃないの。本当は私、すごく怖かった」

俺は何も答えられない。自分の左頬から、彼女の火照りの温度が伝わってくる。お互いの足先が触れあい、俺は縮こまってしまった。

「だから、傍にいて。お願い」

俺の頭は、パンクしたかのように感情があちこちに離散して走り回る。異性の身体と密着しあって、鼓動が耳まで伝わってくる。

「……………」

彼女は眠ってしまったのか、もう声は聞こえない。俺は焦りがおさまると、彼女の抱擁をできるだけ時間をかけてほどき、ベットから這い出た。汗はビッショリでまともに歩けず、フラフラになりながら部屋を出るとため息が漏れた。その夜はあまり眠れなかった。

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