第19話 夜

あのあと、アテルイと街に降り立ってイザナミを探したが、彼女の姿はなかった。彼女への心配が増すが、程なくしてトモヤから電話がかかってきた。

『もしもし、優くん?』

スマホの向こうから、トモヤのいつもと変わらない、澄んだ声が聞こえてくる。

「はい……でも、イザナミが」

『彼女なら大丈夫だよ。先に僕が拾ったから』

俺の肩から緊張が下ろされる。その様子を見てアテルイもどこか安堵している様子な気がする。

『この前来た、僕の家に来てもらってもいいかい? イザナミを迎えに来てほしいんだ』

「………あの、イザナミは」

俺は恐る恐る聞いた。彼女にどんな能力があろうと、見た目は俺と同じ歳の一人の少女だ。俺は無事だなんて甘い期待はできなかった。

『ああ! 彼女を心配してくれてありがとう。心配には及ばない、僕の家で今休んでるよ。治療も済んだし』

それを聞くと、俺は俯いていた顔を上げた。

「そうですか、じゃあ今から向かいます」

『お疲れ! 待ってるよ』

俺は電話を切った。修復された街並みに街灯が点っている。歩道には傘を差す人々が連れ立って行き交っていた。

「どうやら、無事だったようだな」

アテルイが落ち着いた声をかけてくれる。俺とアテルイは、トモヤの家に向かった。






「おかえり! 優くん、アテルイ!」

洋風の邸宅に入ると、トモヤが玄関で迎えてくれた。室内は暖かく、雨でずぶ濡れの俺とアテルイを見てトモヤはバスタオルを渡した。

「今日はよく頑張ってくれたね。怖かっただろう」

トモヤは申し訳なさそうな顔を浮かべていた。今はあの死の瀬戸際にいたあの光景が、遠い過去のように思えた。でもそれは今日の出来事だった。

「トモヤ、人々にこの出来事の記憶は残っていないのか」

アテルイがトモヤに問う。

「そうだね、破壊された都市と殺された人々は怪物出現時より前の状態に元通りになったよ。だけど、騒動のあった一時間くらいの記憶は失われてしまっているから、集団記憶喪失みたいになるけどね」

アテルイは頷き、濡れた髪と髭を拭いている。

「そのくらいなら、問題ないだろう」

「そうだね、今日はアテルイが来てくれて助かった」

アテルイは体を拭き終えると室内に入っていった。トモヤと俺が玄関に残っている。トモヤは俺に、その凛々しい顔を向けている。

「はは、なんか浮かない顔をしているね」

「……そうですか」

俺はびしょ濡れの服をバスタオルで拭う。

「そんなにイザナミに会いたかったかい?」

俺は吹き出す。トモヤはその様子を笑った。

「ふっはは! 君もかわいいね、表情に出やすいのが特に良い」

俺は拍子抜けした。慌てて誤魔化そうとして、顔をバスタオルで拭う振りをして隠す。

「早く入っておいで、晩ご飯を用意しておいたから」

そう言うとトモヤは室内へと歩いていった。






室内には暖炉があり、火が灯っていた。トモヤはソファに腰かけてコーヒーを飲んでいた。室内にはレコードプレーヤーがあり、レコードノイズ混じりのジャズが室内に流れ、部屋のシックな雰囲気を演出していた。

「そこに着替えを置いておいたよ、奥で着替えておいで」

ローテーブルの手前に綺麗に畳まれた黒のパンツとシャツ、下着があった。

「ありがとうございます」

トモヤは俺ににっこりとする。その後、タブレットに目を落として何か見ているようだった。

俺はキッチンの横を通り、奥の浴室のような 部屋に入る。脱衣所にしては大きすぎるし、大理石の床に肌触りのいい布のマットが敷かれていた。

「優か」

脱衣所の両開きの曇りガラスの向こうから男の声が聞こえてきた。アテルイの声であった。

「すいません、失礼します」

「いいんだ」

アテルイの深みのある声が返ってくる。

「君は幼くして両親を失くした。それからは祖父母と暮らしていたと聞いたが?」

俺は着替える手を止めて答える。

「はい。僕が12歳のときに両親は亡くなりました。それからは田舎の祖父母の家で育ちました」

アテルイは何も言わない。俺は続ける。

「大学に通うために上京しました。経済面は決して良くはなかったので、就職しようとも思いましたが、祖父母は好きにして良いと言ってくれました。遊ぶつもりは毛頭ないです、ただこの状況を脱したくて」

「そうか」

俺は自分の身の上について、進んで話したいとは思わない。祖父母からはしっかり愛情を注がれた。中学、高校も地元で卒業できた。両親のいない暮らしで、これ以上に良い暮らしはあるだろうかとも思える。祖父母には感謝している。

「両親には会いたいか?」

俺は思考が止まる。両親の置いていった、俺が12歳のときまで生きていたにもかかわらず両親についてあまり知らない自分。だけど、覚えている両親の声。

「辛かったな」

「………………」

俺はさっさと着替えてしまう。アテルイは俺の言葉が途絶えても何も言わない。俺は脱いだ服を畳む。

「そうですね、でも両親のことは覚えてるから、あまり寂しくないです」

「……そうか」

俺は脱衣所を後にした。

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