第18話 粛排者 弐

死を悟った瞬間は、その怪物が自分の方を凝視して、歯を剥き出しにし、卑屈な笑みを向けたときであった。俺は今の自分には、死の瞬間を待つことしかできないと理解するのに時間はかからなかった。

怪物の巨大な腕が空気を裂いて自分に飛び込んでくる。

しかし八咫烏は、俺の掴む手が耐えられないとしても俺の命を助けるため、急速に上空へ羽ばたいた。俺の足元で怪物の腕が空を切る。

八咫烏は羽を翻して、怪物から遠ざかる方向へ羽ばたき始めた。そのとき、地上で大きな地鳴りがする音がしたと思えば、自分の眼前に怪物が飛び込んでいた。巨大な図体が一瞬で空へと舞い、大きく振り上げられる腕が自分たちの真っ直ぐ頭上にあった。もう間に合わないと直感する。

臨死体験は鮮やかであった。俺は目をつむる。






その一瞬、冷たい金属音が鳴った。閉じきれなかった俺の目に、うっすらと人影が映る。

風を纏ったその人物は、刀を構えていた。

りん

彼がそれを唱えると、刀が一瞬揺らめいたように見えた。そして怪物を見ると、その右腕が三つに切り裂かれていた。大量の血が周囲に巻き上げられ、彼の持つ刀も血で濡れていた。

そしてもう一度、刀は残像も描かず振りかざされると、左腕が綺麗に輪切りにされた。怪物は苦しさで表情はねじ曲がり、呻き声は地獄の底から昇ってきたような断末魔のようだった。

「おい、小僧、巻き込まれても知らんぞ」

彼は俺に振り返らず言葉を吐き捨てた。俺は何も答えられなかった。彼は深紅の羽織を纏い、隆々とした腕が覗いていた。腰に鞘があり、背中にはもう一本刀を携えていた。

びょう

刀身が傾けられる。いつ振ったのか、意識で捉えられないうちに刀はより血を滴らせていた。

「アガアアアアアアアアアアアアア!!!!」

かすれた叫び声を怪物は漏らす。その足先はバラバラであった。

「終わりだ」

彼はそう言うと、怪物の胸元に飛び込んでいた。プツンと音がすると、怪物の左胸から刀が引き抜かれる。

怪物の両眼は彼を凝視したが、最後の力も残っていなかったのか、充血した目は動かなくなりそのまま重力に従って切り刻まれた体たちが落下していく。

彼が空中に突如現れ、怪物を完全に肉片にするまでの時間は30秒もかからなかった。俺は息もままならない状態で見守る間に、俺の命もこの街の有無も決まってしまった。

彼は怪物の頭を踏みつけて跳ねると、俺の乗っている八咫烏の脚に手をかけて掴まった。

「よお、お前が五国んとこのせがれだな」

彼が俺の方を見る。威厳のある目に、堀の深い目鼻立ちだった。それと引き換えに、あまり管理されてない無精髭が彼の得たいの知れない流浪者のような見た目を強調させていた。その声はしゃがれているが、野太く落ち着きのある深みがあった。

「……あなたは誰ですか」

彼はぶっきらぼうな顔をする。彼の顔には感情があまり出ない。

「アテルイだ、お前の両親には世話になった」

少なくとも俺はこの男に会ったことがない。俺は両親について知らないことが多いから、それは当然だと思う。

俺と男を乗せた八咫烏はゆっくりと滑空する。返り血のついたアテルイの羽織が風になびく。

何故か地上の方では、瓦礫がゆっくりと飛び交い、黄色い蛍光色の輝きで崩れた街が包まれていた。怪物が暴れまわっていた間に響いていた、建物が倒壊する轟音はまるで静かになり、風の音だけが澄んで聞こえる。

「トモヤのやつが街を修復してるんだ。今、俺らは、逆行する時間の中で過ごしている」

「…………そうなんですね」

アテルイは独り言のように呟く。確かに地上では、形を無くした建造物の輪郭が取り戻されている気がする。

「……ああ、そうだ。イザナミを迎えに行かないとな」

先程までは死の恐怖で考えることができていなかった。しかし、イザナミはあの怪物の殴打により地面に叩き落とされてしまった。万が一は無いとは思うが、大丈夫だろうか? 彼女の戦闘の最中、何もできなかった自分の無責任さに俺の胸は急に重く苦しくなる。

アテルイは俺のもどかしそうな表情を察した。

「大丈夫だ、心配するな。あいつはそこまで弱くない」








______________




subroutine DrawSquare, 正常に街はもとの通りに回帰しているようだ。時間の流れも僕の力で素直に巻き戻っている。

アテルイが怪物を討伐してくれたようだ。ともかく優くんに何事もなく良かった。


「間一髪だったな、トモヤ」

ポルシェの助手席に乗るツチグモがそう問いかける。

「そうだね、アテルイの勘には驚かされるよ」

ツチグモは開けた窓に肘をかけて苦笑する。

「あいつは心配性だからな。あの頑固者が状況を楽観するはずはないだろ」

「そうだね」

雨粒はアスファルトから空へと浮き上がっていく。車内の中には正常な時間を流していた。僕はシートに寄りかかってリラックスする。

「トモヤ、お前はあの怪物は神に匹敵する何かだと言っていたが、正直それにしてはあっさりとやられたようだが」

僕はため息をつく。そこについては結論が出ていない部分なんだ。

「はっきりはしない。だけど、あの怪物が可能性は否めないかな。耐久性や、特に身体能力が補填されていた様子もあった。ただ比較対象がないんだけどね」

ツチグモがふーんと嘆息する。雨音が逆再生される、さらさらとした音色が聞こえる。

「なあ、知ってるか。レヴィアタンのような陰謀のある悪魔たちは、複素八咫烏の構成員やこっち側の人間ことをイレイサーと呼んでいるらしい」

僕はツチグモの浮かない横顔を眺める。

「……さあ、どういうことだろうね。ツチグモは何か知ってるのかい」

「いや、何かとひっかけてる造語じゃないのか。俺はこれと言って考える気も起きない」

ツチグモは窓の外を眺めて集中を欠いている様子だ。僕はバックミラーを一瞥した。

「まあ、今日は頑張ったこの子を褒めてあげようよ」

呆れた顔をするツチグモ。彼はイザナミに少し厳しい一面がある。

「……イザナミも、まだまだだな。気持ちで動くところが良くない」

イザナミは後部座席で横になっていた。患部には集中的に時間の巻き戻しを仕掛けて、ゆっくりと傷を治療しているところだ。少し心配したけど、今の表情がとても穏やかなので僕は胸を撫で下ろした。

彼女が目を覚ましたら、どう声をかけてあげようか。笑い飛ばすのが逆に、彼女にとって薬となるだろうか。

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