第17話 ダイダラボッチ

車両の外ずっと先、今まで目にしたこともなかったかのようなサイズの、黄ばんだような白色の巨大なヒト型のは、大きな2つの眼球をグリグリとさせる。それの呻き声なのか、空気の鈍い振動が時折伝わってくる。

それは、おもむろに体をよじった。足元の建物が崩れ、地響きのような音がする。俺の身体中に走る寒気が、ここから逃げなさいと言っているようだ。しかし俺はそれから目を離すことができなかった。

「どうだ? 怖いか? 神の書の持ち主よ」

車両のモニターに映る、不気味な男はそう言う。そいつは今にもそのモニターから出て俺を襲いそうだ。

「何してるの! 早くあいつを止めないと、どれだけの人が死ぬか分からないのよ、ねえ!!」

イザナミは俺を正気に戻そうとする。

「……でも、どうやって」

「決まってるじゃない! 君のその神の書を使ってあいつを消すことができるでしょ」

モニターに映る男が歯を剥き出しにして笑う。目は俺たちのできることの限界を見透かしたように嘲けている。

「そんなことで万事解決できると思う?」

イザナミは男を睨みつけている。彼女も内心は焦っていると思う。

こうしている間にも、あの怪物は街の上を彷徨い全てをグシャグシャにしている。男は不気味に笑っている。

「少なくとも、君たちを殺すまで彼は行進を止めないよ。ならいっそ、君たちの方から殺されに行ったら?」

すると、ずっと先にいるあの怪物の片目が、こちらを向いた気がする。怪物はゆっくりと振り返り始める。

「これはゲームだ、せいぜい楽しむといい」

イザナミは険しい表情をしている。車内は乗客の悲鳴と鳴き声で地獄の様相を呈していた。

そのとき、車内に明るい光が一瞬差す。

「おや、救世主の登場かな?」

男は面白そうに目を見開く。

光は消え、俺の目の前に黒いもやが立ち込める。その中から、一羽の大きなカラスが飛び出してきた。

「来てくれたの!」

イザナミは少し緊張が解れたように笑みをこぼす。そのカラスは俺のすぐ目の前に着地した。よく見るとそのカラスには足が3本あった。

カラスが飛び出してきた黒い靄は少し小さくなり、深い闇の中に波紋が広がった。

「やあ、優くん。もう大丈夫だ、と言いたいところだけど、そういうわけにももいかないね」

靄の中からトモヤの声が聞こえてくる。俺はその状況に呆気を取られていた。

「今、そっちに仲間をやっている。すぐ来ると思うから、ひとまず心を落ち着けてほしい」

靄には静かに波紋が広がる。その波紋に合わせてトモヤの声が聞こえてくる。

「だがここに居続けるのは危険だ。あの怪物の狙いは君だ、君が車内に居続ければその中の全員はもれなく助からないだろう。だから今すぐ、そのカラスに乗って外へ脱出してほしい。できるかな?」

トモヤは、あくまで落ち着いた優しい声で俺に語りかける。イザナミもそれを黙って聞く。俺は焦る鼓動をなんとか少し抑えてそれに応える。

「……分かった」

「よし、八咫烏やたがらす!」

その声を聞いてカラスは羽を広げた。

「優くん、そいつの背中に乗っていくんだ」

俺は一瞬ためらったが、覚悟してそのカラスの両翼の付け根に手をかける。

それを確認すると、カラスは一瞬で飛び立ち、車両の窓を突っ切って外に飛び出した。空は沈んだ色の雲で覆いつくされており、大粒の雨が降りそそいでいた。俺の顔に雨粒が激しく打ちける。俺は両翼を決して離しまいと強く掴む。カラスは急上昇を始め、たちまち眼下の建物は小さくなっていった。

風を切って空を進むが、隣をイザナミが追い越した。

「いい? 絶対に落ちんじゃないわよ」

俺は頷くこともできない。イザナミはさらに加速し、あの怪物の方へ向かう。カラスもそれを追う。怪物は足元のビルやマンションより遥かに大きく、その歪な腕と大きさの割りに短い脚で一歩一歩のろまに動く。カラスは真っ直ぐ飛行をつづけ、怪物の背が大きくなってきた。

前を飛ぶイザナミは左手をかざして、薙刀なぎなたを出現させる。

業火インフェルノ!!」

前に突き出した薙刀から火炎の球が放たれた。球は急速に直進して、怪物の大きな背中に当たった。火炎の球は爆発を起こして消えたが、怪物の背中には傷がついていなかった。

「くそっ!」

怪物の目がギロッと後ろを見る。イザナミは旋回し、怪物の前方に回る。俺とカラスは速度を緩めて、イザナミと逆方向に旋回を始める。

イザナミは怪物の前で止まり、薙刀の先を怪物に向ける。

全焼バーンアウト

火の渦が発生して怪物を囲むと、怪物の体が燃え上がった。

怪物は地の底から轟かせたような馬鹿でかい唸り声を上げる。その唸り声で俺の体に激しい痺れが走る。

怪物は腕を振り上げ彼女を撃ち落とそうとする。彼女は消えるように横に飛行して軽々とかわす。

「こんなもんじゃない!」

すると彼女の右腕が燃え出す。彼女は燃え盛る右手の掌を怪物に向けた。

土雷ツチノイカヅチ!!」

すると彼女の目の前に、長い白髪をたくわえ真っ白な羽を生やした山伏姿の大男が現れる。男の顔はまるで鷹や隼などの猛禽類のようだった。そして男は目では追えない速さで上空へ飛び立つ。

「いけ!!」

イザナミが鋭く叫ぶ。その刹那、光が二度瞬き、耳を切り裂くような爆音とともに、大きな雷が怪物に落ちた。


やったのか? 俺は固唾を飲むしかない。地上からは土煙が上がっている。辺りは暗い。異常に激しい雨音だが、今は逆にそれが静寂に感じる。



しかしだった。土煙に目を凝らすと、そこに怪物の姿はなかった。

「…………な」

そして、遅かった。怪物はいつの間にかイザナミの背後に回っていた。怪物は先程の牛歩をこうもあっさりと裏切って、大きな体からは考えられない速さでイザナミに跳躍する。

「イザナミッ!!!」


怪物の握りこぶしがイザナミに振りかざされる。彼女の振り向く前にその手は彼女を、遠くの地表に撃ち落とした。小さく霞む地表で一棟のビルが砂埃を上げて崩れ落ちた。



俺の心臓は壊れたように乱打する。宙を舞う怪物と目が合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る