第14話 通学
目が覚めると、自分の横で彼女はまだ寝ていた。寝る前と同じような穏やかな表情をしていた。こんなに近くで女性の顔を見たことがあっただろうか。自分の中では、夢を見ているようなまどろみが体中の感覚を鈍らせているが、布団が半分もかかっていない自分に冬の朝の寒さが襲う。布団にもう一度潜ろうとすると彼女が目を覚ました。
「…………なんか、近くない?」
俺はその言葉を聞いて急に不安になり、布団から飛び出してしまった。彼女は2、3回目をぱちくりとさせると、上体を起こして目を擦った。彼女には俺の寝巻きは大きすぎてダボダボだった。襟から艶やかな首筋とくっきりとした鎖骨が覗いている。
「なに見てるの?」
俺はそっぽを向く。彼女の言葉はいちいち俺の心を突き刺した。彼女は布団を退けて立ち上がる。
「おはよう、早くご飯にしよう」
俺は彼女に食パン一枚と温めたミルクをあげた。
「これだけ? 他になんかないの、ケチ!」
「……お前が急に家に転がり込んできたんだろ」
彼女は食パンを口にくわえて小さく噛みちぎった。
「先生は豪華な朝ごはんを用意してくれるのに」
「悪かったな」
俺は冷えたミルクをすすった。時計を見るとまだ5時半頃だった。彼女は随分と早起きなのだなと思った。窓の外は夕方のように陽の色が滲んでいた。
「……あっ、着替え持ってくるの忘れちゃってたんだ」
俺もそのことにギクリとした。
「まあ、君の服でいいか」
彼女は男の着た服に袖を通すことに抵抗はないのだろうか。それに女性用の下着などない。
「何、怖い顔して考え事してんの? さては君、服あんま持ってないの?」
俺は仕方なく彼女に服を選んだ。何か重要な用のために綺麗に保っていたシャツとジャケット、下はジーパンと、下着はなるべく買ったばかりのインナーとトランクスを渡した。
「ありがと、素敵な服ね」
「…………」
そういうと彼女は上を脱ぎ始めた。俺は咄嗟に後ろを向いて部屋の隅を眺めた。彼女がゴソゴソという音をたてる。神様というものに近代人のような貞操観念はないのだろうか。
「どう、似合ってる?」
俺は恐る恐る後ろを振り返る。男物の服を着た彼女にはどこか違和感があったが、逆にそれが彼女の顔立ちの女性らしさと悪戯っぽい笑みを際立たせた。
「神はどんな服も似合っちゃって困るわね」
余った袖から指先が見えている。忘れていたと思い、俺は彼女に靴下を与えた。
市街地を走る電車に揺られて大学へ向かう。いつもスマホ片手でSNSをボーッと見て俯きながら過ごす時間とは違った。隣には得たいの知れない少女がいて俺の顔を見ている。
「何、見てるの?」
「お前が俺の顔を見るからだろ」
電車がガタンと揺れる度、彼女の肩が触れた。
「そっか、ガールフレンドがいないから、こうやって女子と寄り添って電車に乗ったことないもんね」
「………だったらなんだよ」
彼女が俺に顔を寄せると、俺の肩に彼女の髪がかかった。
「そんな遊び人みたいな格好して、君、大学生活を謳歌してるみたいね。ピアスの穴も空いてるし」
俺はあくまでいつも学校に行く服装でいた。クロムハーツのような服も適当なアパレルの中古であり安物だ。古着のもっさりとした感触は、冬には暖かい。そしてそんなにニヤつかれて見られるのはなぜなんだ。
「そっか私も今日から大学生か。今まで生きてきて色々見てきたけど、どの時代にもそんな中途半端な人たちいなかったわ」
「……ちゃんと勉強もしてるよ」
彼女は笑う。俺は悔しくなった。
「そうね、君意外と真面目みたいだからね」
俺は真面目というより、ただ貧乏であったから誰かに頼ることがあまりできなかったために律儀かもしれないが、自分が頑固であるとも思い続けていた。その方が独りよがりになることを踏みとどまらせるからだ。
「別に真面目じゃないよ」
「そう? ………昨日は私と同じ布団の中だったのにね」
「……は!?」
彼女はニンマリとして俺をからかうように笑った。
電車が揺れて人々も横に傾く。彼女も肩ごと俺に寄りかかって笑う。
「おかしいね、なんか起きたら抱き締められてたんだけどね」
俺は今どれくらい自分が赤面しているか、すぐにでも鏡を見たくなった。
電車から降りて、彼女に改札の切符の入れ方を教える。歩道を進む道中、彼女は大学がどこにあるか知らないくせに先行して歩きだした。
「歩くの遅くない? やっぱり君ってのろまだよね」
「そっちじゃない、こっちだ」
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