第13話 姉

俺は家に帰ってきた、イザナミと共に。俺の家は都内から郊外に寄った場所にあるごく普通のアパートだ。家賃が少し安く済むが築年数が長く、内装は古臭さがあった。それなのにイザナミは少しはしゃいでいる。

「へえー、良いとこ住んでるんじゃない。私、先生以外の家に来るのすごく久しぶりなの」

彼女は、ダンボールの積まれた廊下を歩いて居間へ行く。キッチンは、洗っていない皿がシンクに置かれたままにしてしまっていて、俺は少し後悔した。

「わあ! 良い部屋だね。私も一人暮らしに憧れたことがあるの」

「……そんなに良い部屋かな」

畳んだ洗濯物が脇に積まれていて、チラシが変な場所に置かれ、読み散らかした本や漫画が散乱し、低い机に食器が置かれたままで、布団がしわくちゃなままの俺の居間は決して綺麗とは言えなかった。しかし彼女はそれでも喜んでいた。

「えっ! ロフトあるじゃん! 私、初めて見た」

小さいロフトは荷物置き代わりにしていた。彼女は梯子に上り、ロフトの狭いスペースを見て興味を示していた。

「大学生なんて大体こんな部屋に住んでるよ。どうしてそんなに珍しがるの?」

「私はこういう秘密基地みたいなところが好きなの。古くて木の香りがする建物も好きだわ、そんなの人間じゃないと作れないじゃない」

俺はそういうものなのかと聞いていた。彼女はロフトに腰をかけ、子どもが胸を踊らせているような無邪気な笑みをしている。

「私、ここに住みたい! いいでしょ、君も一人だと寂しいんじゃない」

「だから、それは困ると……」

彼女が悲しい顔をする。そうするとたちまち、俺は先ほどのような大きい不安に陥れられる。

「……そんなに住みたいか」

「ええ、もちろん!」

すると俺のスマホが鳴った。非通知で電話がかかってきたため俺は一瞬渋るが切れたらいけないと思い、出ることにした。

『やあ、イザナミに振り回されているようだね。本当にありがとう』

声の主はトモヤだった。

『イザナミはしばらくの間、俺の家から出てなかったし、俺の家に来る前は冥界にいたんだ。すごく喜んでるだろ』

「え……はい」

トモヤはなぜかこちらの状況を把握していた。俺の体に何か取り付けて俺たちを監視しているのだろうか。

「トモヤさんはどうやってこちらの状況を把握しているんですか」

電話の向こう側から、それは何でもないというような声が聞こえてくる。

『ああ、別に見なくても分かるよ。イザナミはもちろん、君が何をしているのかなんて筒抜けだよ。僕の、いわゆる第六感的なものは時間と空間をリープすることができるんだ』

それで、へえと頷くことはできない。でも俺はその能力の納得いく説明ではなく、俺の身に何が起こっているかの解決を求めたかった。この気持ちがねじ曲げられる感じをどうやって説明したらいいか悩んだ。

『イザナミは少し君に意地悪をしているね。やり方を選んでほしいけど、この際は君に譲歩してもらってもいいかな?』

「そんなこと言ったって…!」

電話の向こうで彼は苦笑いしていた。

『分かった、電話をスピーカーにしてくれ』

「……はい」

俺は言われるがまま、電話をスピーカーにする。

『イザナミ、あんまり優くんに嫌な思いをさせちゃダメだぞ。これから君たちは相棒になるんだから、しっかりと相手の気持ちを考えなきゃいけないよ』

イザナミは不満げな顔をする。

「でもあいつ、私のことをまだ煙たがってるわ。私は護衛のために来てるのに、その事情も考えないで私を追い返そうとしてくる」

『本当かい、優くん?』

俺は答えないで下を向く。そんなこと当たり前だろう、いきなり家を貸せと言われてもできるはずがない。

『気持ちは分かる、でも彼女は必ず君の力になるはずさ。たとえ彼女が神でなくてもね』

イザナミは俺を見つめる。信じてほしいと言うような顔だ。

『まあ、イザナミが君にかけた催眠術だけは解くよ。でも、エウロペとカドモスの兄妹は君たちにぴったりだと思うけどね』

俺は鼓動が少し静かになったのを感じた。一体それがどういう理屈の術だったのか、まだ実感が湧いてこない。イザナミは少し残念そうにしていた。

『でも、僕からも君にお願いしたい。無理にとはあまり言いたくないけど、これは結構差し迫った問題なんだ。だから今晩だけは二人で話し合ってほしい。いいかな?』

俺は少し悩んだが、俺も自分に降りかかっていることに対しての実感が薄かったと思う。

「……分かった。考えてみる」

イザナミは笑みをこぼした。






そのあと、イザナミと話した。彼女の食費や他の生活費は俺一人で持つことができないので、彼女にはバイトをすること、そして少しで良いから家事を分担してやってもらうこと、これが一番気にしていたことなのだが、お互いのプライベートを守ることを条件として呑んでもらった。彼女は、そんなこと容易いと言っていたが本当に大丈夫だろうか。

その後、イザナミとコンビニに行った。俺は夕食に唐揚げ弁当を、彼女は塩ラーメンに缶チューハイを買っていった。



「あー!! 現世で先生以外と飲むのは久しぶりだわ」

「俺は飲まないよ」

イザナミと俺は机で向い合わせになった。俺も他人との夕食なんて久しぶりだなと思った。

「それで、優くんは彼女はいるの?」

彼女のホットパンツで胡座あぐらをかいている姿が妙に目に焼きついた。彼女の澄んだ瞳が俺を見つめている。さっきまで何度も俺のことを睨んでいた目と同じには見えない。彼女は垂れた髪を耳にかける。

「…………いや、いたことないよ」

「えーー、君けっこう好青年だけどな」

なんだか余計なお世話の親戚みたいだ。さっきは自分のことを妹に見せる術をかけていたらしいが、態度はよっぽど姉のようだ。ただ、彼女の見た目は俺と同じくらいのような、子どもから大人になったばかりのような女性であった。褐色の肌とすらっとした綺麗な手が特に若々しく魅力的に目に写る。

「そっか、私なんて何人と恋したかなんて覚えてないや」

「そ、そうなんだ」

イザナミとイザナギが夫婦めおとの神であったというように聞いたことがある。なのに何人とも恋をしてきたのかと聞いて、それは神話なのだなと気づかされた。

「でも、私も結婚したことがあったの。その人も人間だったよ」

「え?」

彼女の頬が少し赤くなっている。

「彼、真面目だったな。一国の王子だったんだ」

俺は目を丸くして彼女の話を聞いた。その話は歴史の教科書を読むよりはるかに面白かった。神話と現実など何の境目もない、彼女の話からそう気づかされる。もっとも彼女自体が、物語から飛び出てきたような存在であるんだけど。彼女と話しているうちに夜が更けていった。




「じゃあ、私お風呂入ってくるから」

その言葉を聞いてちょっとドキッとした。

「……あ、いいよ」

酔いの回った彼女の頬は赤く染まっていたが、ふらつきもせず彼女はダイニングから扉を開けて出て行った。しかし俺は大事なことに気がついた。

「あ!ちょっと、着替え……持ってきてる?」

廊下の方から彼女の腑抜けた声が聞こえてくる。

「ごめーん、君の服貸してくれる?」

俺はわなわなしてタンスをかき漁る。綺麗なパジャマとインナーとジャージを持っていった。………さすがにパンツを持って行くことは躊躇してやめた。

ダイニングの扉を開けると、下着姿の彼女がいた。

「あ、ごめんね。先生も教えてくれれば良かったのに」

俺は扉の前に服を置くと、バタンと扉を閉めた。不覚にも火照ってしまっている。年頃の女性の体には、やっぱりそれくらいの胸の膨らみがあった。

「ありがとね」

そう声がしたあと、浴室の扉がパタリと閉められた。





俺が風呂からあがると、彼女は居間の電気を消して布団に潜っていた。俺は昼間に術をかけられたときよりはるかに心臓をばくばく言わせながら、やっとのことで風呂に入ってきて体の変なところをつりそうになったが、彼女の優しい寝顔を見てなぜか落ち着いた。俺はタオルで髪を乾かす。

「……上がった?」

俺は別にそれに答えなかった。布団の中から顔を覗かせた彼女は寝ぼけているようだった。

「早く、こっちに来て」

彼女は布団の中から身を乗り出して手を伸ばして俺の服の袖を掴む。

「…………え?」

「私、もう眠いよ」

彼女は目をこすり、俺を引っ張る。俺は少し抵抗した。本来ならもっと強く抵抗しないといけないんだが。

「私は君のお姉さんにならないといけないんだから。君のことを守ってあげないと」

俺は彼女の横に寝そべる。彼女は閉じた瞳のまま俺のことを抱き締めてきた。俺はとても困ったが、彼女の背に手を回して彼女の反応を待った。彼女の静かな息が聞こえてきて、彼女は眠りについたようだった。幼さの残る肌は少し哀しげであった。俺も気づいたら眠っていた。

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