第11話 エピローグ

 校舎の3階に上がると、渡り廊下を利用したオープンスペースの広い窓の向こうに、最近できたばかりの斜張橋の塔体がその偉容を放っているのが見えた。

 北陸有数の水揚げ量とブランド力を誇る漁港付近にできたこのランドマークは、約100m弱という川幅からすると随分と過剰なスペックであるようには思う。

 とはいうものの、新たな観光名所としての先行投資と思えば、悪くはない選択とも感じられる。

 そう考えると、十年後、二十年後にはどうなっているのだろうか。楽しみである。


 などと、益体のないことを妄想しつつ、オープンスペースの反対側、西日の差し込む窓に目を移すと、西の空が紅に暮れていくのが見えた。


 「鍵当番も、いいモンだな…」

 手にしたマスターキーがじゃらじゃらと音を立てる。

 

 小学校の教員が輪番で担当する鍵当番は、広い校舎内をくまなく見回り、全ての窓や扉のたぐいがきちんと施錠されていること、照明や機器類に無駄な電源が入っていないことを確かめる、地味ながら大切な日常の保守業務だ。


 子どもが多かった昭和の時代に建てられた鉄筋コンクリート3階建ての校舎は、各学年4クラスずつの造りをしており、少子化で2クラスが精一杯となった現在も自在に減築できるはずもなく、学年ルームという名目の多目的空き教室を複数擁する大きなハコ物の様相を呈している。

 この鍵当番の時間は、そんな校舎をくまなく回るためたっぷり1時間を要する時間食いの仕事なのだが、普段息つく暇もなく子どもたちと関わり続けている小学校教員にとっては、意外と落ち着く時間だったりする。

 少なくとも、俺はそう感じていて、ぼんやりした思索を同時並行で行うには適した時間だと思っている。


 窓の内鍵を確かめるべく、手を伸ばす。

 ガラス越しに見える夕暮れの空はどこまでも広く、全てを吸い込んでいくように感じる。

 もう、夕闇はすぐそこまで来ていて、世界の全てを飲み込むその時を、今か今かと待っているのだろう。


 子どものいない教室。

 高学年児童の背丈に合わせられた机が並ぶ。

 薄暗い中を、机の脇にかかった巾着やら跳び縄やらに足を引っかけないように注意しつつ窓際へ向かうと、廊下に続き教室の窓も順に、施錠を確かめていく。


 眼下に目を落とせば、砂利敷きの教職員駐車場には、俺の2代目愛車であるスカイラインGT-Rが停まっている。

 環とともに過ごしたモデルと同じ型・同じ色ながら、こちらはなんちゃってではなく、正真正銘の「R」である。


 就職氷河期真っ只中、20倍近い競争率の狭き門をくぐり抜け、大学卒業と同時に小学校教員として正規採用された俺は、自宅から1時間あまりのこの学校に配属された。

 北陸の冬季の長距離通勤を思うと四輪駆動であることが望ましく、中古で見つけた念願のRを新たな相棒に選んだのである。

 一見、素人目には以前のクルマと変わらない姿かたちだが、かつてのグループAレースを勝ち抜くために鍛えられたオンデマンド型の四駆システムと、レースのレギュレーションから逆算して2600ccまで拡大された排気量、付加されたツイン・ターボチャージャーで、北陸の過酷な四季をものともせず、縦横無尽に駆け抜けてくれる点で、実に頼もしい愛機だ。


 環とデートした初代車からは、彼女が脚を休めていたフロアマットなど、いくつかの部品を引き継いだ。

 別段たいした意味はなく、前のクルマのマットが純正で落ち着いており俺好みだったため引き継いだというだけの話。ノスタルジーとかではない、と思う。たぶん。


 教室から再び廊下に出た俺の視界に、遠くの山並みが映った。

 橙色の空を背景に、カラスのシルエットが数羽、ねぐらへ還っていくのが見える。


 俺は、深い、深い深呼吸をした。



 

 俺は、環の背負っていた「十字架」を引き剥がすことができたのだろうか。

 今、俺が背負っている「十字架」も、なかなかに重い。

 だが俺は、自分でこの道を選んだ。

 環は、魅力があって優しすぎた。それ故、幼いころから知らず知らずのうちに重い荷物を背負い込んでいた。


 両者には、大きな隔たりがある。


 俺には、環という愛する人がいた。

 愛するが故に強くなれたし、ある意味、弱くもなったと思う。

 

 でも、環には、そういう人がいなかった。


 それじゃあ、悲しすぎるじゃないか。


 いつの日にか、環にも本当に心から愛せる人が見つかってほしい。

 しがらみで縛って愛を嘯くことを強いるような偽物ではなく、その存在そのものが、自分を強く、そして弱くさせてくれるような最愛の人が。

 そのために、俺は一人になったのだから。


 ”ワタシハ ヒトヲ スキニハ ナレナインダ…”


 ”ワタシニハ ヒトヲ スキニナルコトハ ユルサレナインダ…”


 ”ナゼナラ ワタシハ タイセツナ ヒトヲ キズツケタノダカラ…コンドハ ワタシノ バンナノダカラ…”


 環のこと、いっぱい傷つけた。

 どんな大義名分があっても、それは事実だ。


 俺は、男として倖せになってはいけない。なりたいとは思えない。


 そのかわり、神様がもしいるなら、環だけは、絶対倖せにしてやってほしい。

 人を愛する喜びを、感じさせてやってほしい。


 俺は、環のことを愛している。

 もう2度と、口にすることはできない言葉だが――



 夕日が山の稜線に隠れて、もうずいぶん経っている。

 空は漆黒の闇。


 ――強く輝いていた日が沈んだ直後が、一番暗闇の深さを感じる。

 その日の光が明るければ明るいほど、やってくる闇もまた深くなる。


 そう、俺はそんな「闇」を知っている。


 「…逢魔が時、か」


 夕方の、昼と夜とが移り変わるこのときを、いにしえの人々は此岸と彼岸、現実世界と他界ををつなぐ時間の境目ととらえ、「魔物に遭遇する不吉な時間」であると考えていたという。


 今俺がいるこの闇は、夢ともうつつともはっきりしない、曖昧な時空。

 足を止めてしまうと、上下の区別も、自己と他者との境界も妙に曖昧になり、全てが闇に吸い込まれていくような、おぼつかない感覚―


 俺は、この闇の深さに耐えられるのだろうか。

 一人強く、生きていけるのだろうか。



 …どこからかまた、小さな声が聞こえたような気がした――



 俺は、「声」に軽く苦笑しつつ踵を返した。

 そして、すっかり闇に呑まれた3階の廊下から、薄明かりの差し込む下り階段へと、一歩を踏み出した。


 踊り場の壁面に掲示された児童の自画像たちが、階下の光に照らされて柔らかに笑っていた。



 







”ソレデモ アイスルコト ダケハ ユルシテ クダサイ…”






 




・・・・・・・・・・・・・・END・・・・・・・・・・・・・・・・・・


――20世紀最後の年、この「追憶」を永遠の愛しき人に捧ぐ――










                 ◇


 この物語は、ここまでで一旦、完結となります。

 最後まで読んで下さり、感謝申し上げます。本当にありがとう存じます。


「俺」の「追憶」の起点であるプロローグ・エピローグの「2000年」から既に23年経っています。

「俺」はその後どうなったのか、「もう一つのエピローグ」(?)を今後アップ予定です。

さし当たり「完結」としますが、そのうちまた、お逢いしましょう。

(よろしければ、お見逃しのないよう、フォロー/ブックマークしてお待ち頂けると倖いです)


 それでは、また! (愚梟)

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追憶 ~20世紀最後の、恋愛物語。~ 一服庵 愚梟 @ippukuan_gukyo

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