第3話 虎、クマと対決したりもしたけれどやっぱり元気です


 えんさんと別れたあと、虎は猛然と小説を書くことに取り組みはじめた。


 実は、書けなかったこの何年かも、「この題材でなにか書けそうだな」と思ったものを地道にメモしておいたため、「これとこれを組み合わせればいけるか」と書く材料にはこまらずに済んだ。


 かといってすぐに文章がするすると流れ出てくるわけでもない。

 まず、場面に応じた語彙ごいが以前よりもスラスラと出てこなくなっていることに驚愕きょうがくした。

 書くという行為もまた、スポーツやゲームと同じように修練しゅうれんの量によっても左右され得る技能のひとつであるということを認識したのであった。


 また、世に出ている教本などを、勤務先の書店にて手に入れるなどして小説の構成や展開のつくりかたを勉強しようと思い定めた。

 これまでは「文学に、過去の文豪の作品以上の教本などない」と歯牙しがにもかけていなかったが、世間的に見ればはしにもぼうにもかからなかったのは自分のほうであると冷静に受けとめてからは、違うやりかたをやってみようと一から学んでみることにしたのであった。


 書くことは楽しいのか、と問う者がある。

 その答えは人によって異なろうが、虎にかぎってみれば、楽しいと感じたことは一度もなかった。

 書くことは、苦しい。


 その一方で、生きることもまた、苦しい。

 書かなくても生きていけるというのは、「苦しみもなく生きていける」のいいではない。

 であるならば、書いても書かなくても苦しいのであれば、書いてその苦しさをかたちとして残すほうが幾分いくぶんかは、自分にとってはなぐさみになろう、という消極的な判断によるものだった。


 ただ、それでもいまは、「書けること」がうれしかった。

 こんなにも、血が踊るものかと筆を走らせながら虎は歓喜かんきにうちふるえた。

 こんな身となった自分にも、まだ、書くことを天にゆるされているような心もちがした。


 ――人生にも、いや虎生にも、こんなことが起こるものなのだな……


 虎はそんな感慨にふけりつつ、えんさんと約束していた一週間後にはひとまず一篇いっぺん小品しょうひんを書きあげた。


 虎いわく「筆を走らせる」って言ったほうがかっこいいそうなのであえて訂正せずにおいたが、実際には「手の大きい人におすすめ!」というアフィリエイトサイトの文言を見て買ったでかめのキーボードでカタカタと不器用に入力したものなので、それを印刷して手にとる。

 その豊満ほうまんな胴体に肩からかけた、みちみちに張り裂けんばかりになって悲鳴をあげているボディバックに折って詰めこむ。ヒップホップ系のキャップもかぶって準備万端である。


 えんさんとは町にある、道の駅にて待ちあわせの約束をしていた。

 「書けた!」という喜びから、虎は勇んで道の駅へとむかう。


「おーい、えんさん!」


 遠目ではっきりとはわからぬが、道の駅のガラガラの駐車場にえんさんらしき女性がいたので、思わず大声で呼びかける虎。


 おや、どうも、えんさんのすぐそばにはテレビカメラらしきものと、レポーターらしき女性がいるではないか。

 この町でいままで目にしたことはないが、たまさか訪れていた取材陣かなにかであろうか。


 虎がそわそわと近づこうとしたところで、スン、とあるニオイ・・・・・が虎の鼻にかおった。


 ――獣臭じゅうしゅうがする。


 強い、獣のニオイ。

 一瞬「あれおれお風呂入り忘れたっけ」と虎は自分を疑って体臭をかぐものの、そういうことではなく、見よ、道の駅の駐車場へ山のクマが迷い込んできてしまっているではないか。


 虎はそれに気づくと、われを忘れて全力で走った。

 前傾姿勢をとると、自然と脚だけでなく腕でも地面をつかみ、時速60キロメートルは出ていようかというスピードへと加速していきえんさんたちのもとへ向かう。

 ズボンの太ももははちきれ、思わず知らず獣のうなり声がおのれの口をつく。


 クマが、あちらこちらへと首を振りつつも、背後からのしのしとえんさんたちへと近づいてくる。

 ようやくえんさんたちが気づくも、その距離はもはや1メートルもない。


 クマがガバッと立ちあがる。

 黒い毛、頑健がんけんさをうたがいもなく想起そうきさせる太い脚、胴体、腕の獰悪どうあくなまでのたくましさ、大人よりも高い身長、その鋭くとがった爪が太陽を背に負いながら、すさまじい速度でえんさんへと振りおろされる――


「トラくん……」


 悲鳴をあげる余裕さえなく、絶望的にえんさんがつぶやいた瞬間、虎はごえとともに横からクマへと跳びかかった。

 横倒しにクマは倒れるも、すぐに立ちあがり、


「ガフッ、ゴフッ」


 と短く、けれど忿怒ふんぬを隠そうともせずに力強くうなると、牙をいて息をあららげる。


 虎もまた、距離をとりつつ手足で地面をつかみ、いつどのようにも動けるよう構えつつ牽制けんせい咆哮ほうこうをあげた。


「グルァァァァァァァ!!!」


 はらから、おびえよ、逃げよ、この人に手を出すなと願いをこめて、獣の骨肉こつにく臓腑ぞうふを震わさんと、重ねて叫喚きょうかんを浴びせる。


 クマはしばし様子を見るようにうろついたが、なにを思ったかドタドタと走っていずこかへと逃げていった。


「はっ、は……びっくり、しちゃった……」


 えんさんは無事であったもののへなへなと座り込んでいて、放心しながらつぶやくので、虎はスックと二本足で立ちあがってえんさんの手をとり立ちあがらせる。


「ありがとう……トラくん」


 いやなに、と虎がこたえようとすると、となりの女性レポーターもまた腰を抜かして地面に尻をついており、虎たちのほうへマイクを突き出すように向けたまま硬直していた。


 えんさんが虎のひじをつつき、カメラがこっちへ向けられていることを指で示すので、虎はなにか言ったほうがいいのかと察し、


「いやー、マジでビビりましたね。取っ組み合いになったらまず勝てないだろうなと思ってたんで、逃げてくれてマジで助かりました」


 と無難な感じのコメントをしたつもりでいた。


 が、顔面も肉体も完全に虎である虎に無難もクソもなく、この映像がニュース番組で流れたことにより、


「いやー、マジでビビりましたね」


 と虎男がテロップつきでしゃべっている映像が切り取られ、のちのちまでネットミームとして用いられることとなったという。


 また、この件を機に「虎 ✕ 小説」という余人よじんには逆立ちしても追随ついずいない強烈な個性によりバズりにバズり、のちに虎の小説は出版されそこそこに売れ、虎はニッコニコで暮らしたとのことである。


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男、虎となりて人里へ流れお賃金をもらう 七谷こへ @56and16

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