23 家族の形

 月華は熱に浮かされた中で、ずいぶんたくさんの顔を見た気がした。

 後から思えば代わる代わる三人が来ていたのだが、それはあまりに頻繁だったから常に誰かが側にいた。

 今まで天駆がすべての家族の役目をしてくれていた。でも家族の中にいるのはこんな感じかと、月華はふと思った。




 蝉の鳴き声が聞こえていた。蒸し暑いながらも風が通って、月華の髪を撫でていく。

 額に冷たい手の感触を受けて、月華はゆっくりとまぶたを開いた。

 枕元に座った少女が、ほっとした様子で月華に言う。

「熱はだいぶひいたみたいですね」

 真秀は彼女自身も病人のような青白い顔でうなずいた。

 月華は何か言おうとしたが、声が出なかった。もどかしく思って喉に手を当てたら、その手に真秀の手が重ねられた。

 真秀は首を横に振って言葉を続ける。

「無理しなくていいんです。ずいぶん長く熱が続いて、咳もひどかった。今朝、ようやく落ち着いたんですから」

 月華は手を握られて、体の横へと戻される。

 年下の少女に対してだというのに、月華の胸に宿ったのは甘えの感情だった。彼女は体内で子供を守ってくれる、母の空気をまとう人だった。

 月華がじっと彼女を見上げていると、見つめかえしてくれた。月華はしばらく言葉もなく、そのまま動かなかった。

 やがて廊下から足音が近づいてきて、障子が開く。

 不機嫌そうに入って来たのは弥生だった。普段後ろで結っている髪を下ろしていて、一見すると少女のようだった。

 弥生は労わるように真秀へ言葉をかける。

「真秀、僕が見ているからいい。君が体を壊したら何もならない」

「待って、少しだけ」

 弥生は真秀の肩に触れたが、真秀は首を横に振った。

 真秀は月華に目を戻してつぶやく。

「先輩にこれだけは言っておかないと」

 そう言ってから、真秀は月華を見下ろして問う。

「先輩、森の中で倒れていたのは覚えていますか?」

 月華は森の奥での記憶はあいまいだったが、倒れたときまではかろうじて覚えていた。月華がうなずくと、真秀はうなずき返して言葉を続ける。

「私の異なる力は、霧のように周囲を飲むことにあります。だから私の側にいる限り、天駆さんは先輩の居場所がわかりません」

 天駆。その名前を聞いた途端、月華の口の中に苦い味が広がった。

 顔をしかめた月華を見て、真秀は言葉を付け加える。

「もう一つ。天駆さんと離れている限り、私たちは先輩の敵にはなりません。だから安心して休んでください」

 弥生と天駆は、ずっと争っていたと聞いた。天駆からしてみたら、月華は敵の陣中に囚われたようなものなのだろう。

 でも月華は何かを考えるにはひどく疲れていて、喉から出ない声のように心がしぼんでいた。

 力なくうなずいた月華に、真秀はさとすように告げた。

「今の先輩には、天駆さんと離れている時間が必要だと思います」

 真秀はそう言って、もう一度そっと月華の頭をなでた。




 月華は夕食を大人数で囲んだことがなかった。だから真秀の家の団らんは、月華に驚きをもたらした。

 いろりをぐるりと囲んで、各自にご飯、味噌汁、お茶が配られていた。そしてみんなで、ぐつぐつ音を立てる煮物を取るという具合だ。

 月華は背中に座布団を当てて壁によりかかりながらの食事だが、他の皆は簡素なゴザに座っていた。

 真秀は少し笑って向かいの席に言う。

「フィリップ君が作る芋煮は格別の味になったね」

「そう?」

 なぜか真秀と弥生に加えて、そこにはにこにこしながら箸を進めているフィリップがいた。

 フィリップはほめられてうれしかったのか、弾んだ声で言う。

「最近はホテルよりこっちにいるからかな」

 彼の幻都語はずいぶんうまくなっていた。月華は彼がどうして彼女らの家に入り浸っているのかがわからないまま、会話に耳を傾ける。

 真秀は隣の席に顔を向けて苦笑する。

「弥生は細かい味付けはさっぱりだものね」

「できないわけじゃない。段々いらいらしてくるだけ」

「じゃあフィリップ君に婿に来てもらったら?」

「真秀、やめてよその冗談!」

 弥生は不機嫌に真秀へ怒る。彼は学院で見せている神秘的な空気ではなく、子どものような空気をまとっていた。

 フィリップはそんな真秀と弥生のやり取りをのほほんと眺めながら言った。

「僕、一応跡取りだから、父上とよく相談しないとなぁ」

 フィリップは真秀の冗談をおおらかに受けて、他愛ない空気の中に溶けていた。

 ふいにフィリップは月華の方に目を向けて問う。

「由宇、ちゃんと食べてる?」

 そう言われたものの、月華は団らんが始まってもうずいぶん経つのにまだ食べ物を口に運ぶことができないでいた。

 もし吐いてしまったら、作ってくれたフィリップにも、月華を気遣ってくれた皆にも申し訳なかった。

 箸を握り締めたまま硬直している月華に、場の視線が集中する。月華はうつむいて喉を詰まらせていた。

 声さえ出れば体調が悪いのだと言えるのに、それすら言えない。

 すっと隣に誰か座ったのを感じた。目だけを動かして横を見ると、真秀が手を差し伸べていた。

 真秀は穏やかに月華に言う。

「ちょっとずつ食べましょう。弱っている人には、誰も怒りませんから」

 真秀は幼い子供にするように月華の手を握って、片手に味噌汁のお椀を持たせる。月華は恐る恐る味噌汁に口をつけて、わずかばかりの量を喉に流し込んだ。

 熱い感覚が降りていく感触に一瞬胃が悲鳴を上げたが、逆流してくることはなかった。

 月華は箸で具をすくって、本当に少しずつ口に入れていく。

(久しぶりにまともなものを食べた気がする)

 月華はおいしいと言いたかったが、声にはならなかった。実際、まだ味は何も感じてはいなかった。

 もどかしく思って月華が真秀を見上げると、彼女は優しい眼差しで月華の目を見返してくれた。

 真秀はうなずいて、フィリップの方を示しながら言う。

「それもフィリップ君が作ったんですよ。上手でしょう?」

 真秀は自分の席へと戻って行く。月華は味噌汁から口を離して、取り皿に煮物を取りにかかった。

 がやがやとした団らんの雰囲気も同時に戻ってくる。

 三人ともそれほど口数が多いわけではないが、時々笑いながらぽつぽつと話していた。弥生は何かと真秀の世話を焼いて、真秀は世話を焼かれて、フィリップはそれを苦笑しながら見ていた。

 学生三人、まだ子どもにも見えるのに、ここにいる全員が一つの家族のような、そんな一体感があった。

 月華がここにいる理由を誰も問わず、そっとそのままにしてくれる。

(そういう場所にずっと入りたかったような気がする)

 月華はそう思って、ぼんやりと心で泣いていた。

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