21 喪失感
一日目は、月華は天駆が朝食を作ってくれたが食べられず、昨日からずっと座りこんでいる部屋の隅でじっとしていた。
月華から数歩離れた所に天駆が座って何か話をしているのだが、右から左に抜けていくようで意味がよく理解できなかった。
天駆は何回も謝って、返答を求めたが、月華はただうなずいていた。
それ以外にどう反応するのかわからなかった。
二日目は、月華は窓に背を向けたままで意識が始まる。夜明け前に天駆が月華の部屋をのぞいて、月華が座ったまま窓辺にいることに驚いた顔をした。
月華は眠るのを拒んでいるわけではないが、眠くなかったから他にどうしようもなかった。
天駆と目を合わせても暗示にはかからなかった。暗示は一定の信頼が必要で、絶対的な不信感を抱く相手にはかけられないと聞いたことがあった。
昨日と同じように朝食も昼食も手をつけなかった。天駆の作ったものなんて食べたくなかった。
夕食は雑炊のようなものを無理矢理食べさせられたが、すぐに吐き出してしまった。
三日目は、月華は体がだるくて動けなくなった。夏だというのにひどく寒くて、がたがた震えていたらすぐに天駆がとんできた。
布団に寝かされて、抵抗する力がない月華はそのまま横になった。
子どもの頃から、自分の具合がどれくらい悪いのかは天駆の焦り方を見れば簡単にわかった。今は最悪に近い状態だと、彼を見て他人事のように思った。
薬を飲まない月華を見て、天駆は口移しで無理に飲ませた。けれど月華はそれもまた、すぐに吐き出してしまった。
天駆が部屋を出たのを見計らって、月華は引き寄せられるように部屋の隅に這っていってうずくまった。
月華には、何日目かがわからなかった。
そもそも月華は、何を数えていたのか思い出せなかった。それがわからないのに数えても仕方ない。
月華は強張った首を動かして辺りをうかがう。
部屋の中心に布団が敷いてあって、壁際に学用品が並んでいるだけの座敷だった。人は誰もいない。
ちょうど窓から夕日が差し込み始めたところだった。
さっと引き戸が開いて背の高い男が入ってくる。頑健な体格で、鋭利な顔立ちをしている。ただ表情はひどく暗く、目に力がなかった。
彼は月華の前に膝をついて、子どもに話しかけるように言った。
「月華様。気晴らしに外へ出てみませんか」
月華……が、自分のことだと理解するのに時間がかかった。
久しぶりに人の声を聞いたようで、月華には声そのものも聞きなれないものに思えた。
彼はゆっくりと言い聞かせるように言う。
「今日はこの近くでご学友が合宿をしていますよ。夜なら制服で体格も誤魔化せますし、声も涸れていらっしゃるからたぶん、大丈夫でしょう」
月華は彼に勧められるままに風呂に入って、髪を短く切ってもらった。
制服に着替えてから、月華は肩を支えてもらいながら玄関に立つ。支えられてやっと立っているくらいで、外に足を踏み出せるかはわからなかった。
けれど彼はそっと月華の背をさすって言う。
「噛んで精力を注ぐのは限度があります。本国の屋敷できちんと療養しましょう。しばらく戻ってくることはないと思いますから、ご学友に別れの挨拶を」
そう言って、男は玄関の扉を開いた。
月華は、この人は変だと思った。年下の小娘に対して、なぜここまでへりくだった言い方をするのかわからなかった。
(あと、学友……は誰のことだっただろう)
月華は男に支えられながら外を歩きだした。目的地は意外と近かったらしく、まもなく森の中の切り開かれた場所に出た。
そこで男は先に立ち止まり、月華の背を軽く押して前へ進むよう促す。
「夜が更けた頃、お迎えにあがります。どうぞ、楽しんできてくださいませ」
彼は深く頭を下げて去っていった。
月華には、妙な喪失感だけが残っていた。
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