15 いつか去るとき

 翌日、新学期に入ってから生徒会で準備を進めていた仮装球技大会が開かれた。

 一年生の女の子が月華に敬礼をして告げる。

「では行ってきます!」

 彼女はよくわからない着ぐるみを着て、満面の笑みで走っていった。

 仮面舞踏会なのか球技大会なのかわからないこの行事は、嘘のようだがもう二十年続いている幻都学院の恒例行事だ。

 月華は衣装を特に考えていなかったので、故郷ではよく着るらしい青の袍を着ることにしたら、意外と周りには好評だった。

 月華に何度目かの同じような言葉がかけられる。

「せーんぱーい。お写真よろしいですか?」

 女の子受けを狙って着てきたわけではないが、断るのも気が引けて一緒に写真を撮った。

 自己認識が男か女かあいまいな月華にとって、女の子もまた戸惑う存在だった。けれど慕ってくれるのはうれしくて、優しく接していたかった。

 仮装球技大会も不思議な行事だと入学当時は思っていたが、誰かが学生生活を楽しくしようと考えたのだろう。衣装や競技で悩むのもまた、楽しむ気持ちがあって好きだと思った。

 月華は最近休みがちで生徒会にも顔を出していなかったから、無意識に後輩の姿を探していた。

 すぐに神主の衣装に弓を下げた若彦を発見したが、月華は何となく彼に声をかけづらくて目を逸らした。

 ふいに小さな声が月華を呼ぶ。

「先輩……?」

 月華が振り返ると、首を傾けた春奈だった。レースがふんだんにあしらわれた、彼女でなければ絶対似合わないだろうと思うかわいらしい桜色のドレスを着ていた。

 春奈は心配そうに月華に問う。

「若彦君と喧嘩でもされたんですか?」

 月華ははっとして、首を横に振って答える。

「いいえ。友だちと話しているので話しかけづらいなと思って。それより一年生の二人組がいませんね」

 月華が何気なく話題を逸らすと、春奈はちょっと困ったように笑った。

「あの子たち、最近学院をさぼってるんです。いつも一緒ですけど、どうして二人ともこういうところまで二人揃ってなんでしょうか。もう」

 むくれながら言っても、春奈は嫌味を感じさせない。心配しているのが透けて見えるからなのだろう。

 月華が同調してつい笑うと、春奈はふと心配そうに言った。

「先輩、気がかりなことでも?」

「私ですか? 私も登校拒否しそうに見えます?」

 月華がおどけて返すと、春奈は迷うように言った。

「先輩は……ある日ふっと、いなくなってしまいそうな気がして」

 小さく息を呑んだ月華に、春奈は慌てて言葉を重ねた。

「ごめんなさい! 変なこと言って」

「……いえ」

 きっとそれは、彼女の言う通りだと月華も思う。

 月華は今も学院に、軸を置く場所をみつけられないでいる。故郷さえ戻ることを願っている場所ではなく、自分のあるべきところを知らない。

 結局月華は天駆という獣人に結びついているだけで、共同体を持っていない。これから天駆の望むものになれるのかも、不安で仕方ない。

 月華は春奈を安心させるように言う。

「大丈夫。何も、ないです」

 それでも月華は笑みを浮かべてしまう。何かが軋む音が心の奥で聞こえているのに、それを無視してしまう。

 わっと拍手がわいて、テニスコートが歓声に満ち溢れる。

 月華は話題を逸らすために明るく言った。

「あ、試合終わりましたよ」

 春奈も月華の視線の先を見た。ウィルがテニスのラケットを持って笑顔で声援に応えている。

 月華は何気なく話題を振ってごまかす。

「ウィル君が勝ったんですね」

 月華は目を細めながら、ふとうつむく。

(……もう遠い昔から、私はウィル君に負けているのかもしれない)

 その後春奈と一言二言話してから、月華はその場から立ち去った。

 一つだけ開いた扉から校舎の中に入り、ぶらぶらと歩く。

 ここは学院の中でも最も古い校舎で、戦の間は砦として使われた歴史もあるから、生徒が怖がって近づかない所だ。なんでも夜中になると幽霊が出るという噂があるが、それをみんなに信じさせるくらい古ぼけている。

 けれど月華は、それは俗説だと考えている。

(幽霊は信じない。死者は何があっても、どんな形でも生者に会いに来たりはしない)

 月華が見るに、こういう古い隙間にいるのは異の者だ。

 ふいに至近距離で月華に声がかかる。

「……不用心だな」

 月華がはっとすると、目の前に袖幅の広い着物をまとった少年が立っていた。

 艶やかな黒髪と細身の体に、不似合いな敵意を抱いた瞳が輝いている。

 月華はそれに吸い込まれるような意識を向けながら問いかけた。

「弥生君?」

 王子と呼ばれる学院一の美しい少年は、月華の首にひやりとした手を差し伸べた。

 きゅっとその手に力がこもる。

 月華は喉の奥で悲鳴を殺す。

「……ぅ」

 月華は彼の黒い瞳に魅入られたように動けないでいた。

 けれど月華が振り払う必要はなかった。弥生は自分の方が苦しそうに目を歪めて、すぐに手を離した。

 弥生は焦燥に満ちた声でつぶやく。

「真秀に言いつけられていなければ、すぐに終わりにできるのに」

 弥生は首を横に振ってうつむくと、さっと踵を返して去っていく。

 突然周りの音ががやがやと耳に煩くなる。今まで聞こえなかった音が戻って来る。

 日常から切り取られたような一瞬は確かに月華の中に残っていたが、それは夢のように曖昧で掴みどころのない瞬間だった。

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