12 留学生
頬に湿った感触を受けて、月華は寝返りを打った。
ゴロゴロと布団の端まで転がる。月華はもう暑いから掛け布団はいらないと、毛布を足で蹴飛ばして冷たい畳に顔をつける。
そんなとき、毛布が月華に向かって言う。
「蹴らないでください」
随分うるさい毛布だった。月華は毛布は蹴られるのが世の常だと思う。
月華は足元に丸まっている掛け布団も蹴飛ばして畳に転がり出る。
毛布はまた月華に言う。
「駄目ですって。ほら、戻りましょうね」
月華はずるずるとひきずられて布団の上に戻される。
掛け布団をかぶせられて、月華は一つ文句でも言ってやろうと目を開いた。
視界に大きな黒い毛布……じゃなかった。
月華はつっかえながら言う。
「お、はようございます」
一気に覚醒して目を瞬かせると、天駆は黒い毛皮を揺らしておじぎしてから笑った。
「寝相と寝起きの悪さ、直りませんね。我が君」
自分の姿を確認すると、夜着の下は膝までめくれあがり、おもいきりお腹も出ている。幸いなのは男性に戻っていることだった。
月華はむすっとして文句をつける。
「勝手に入ってこないでくださいよ。女性の状態だったらどうするんですか」
出し惜しみするような体でないのが余計にむなしい。
天駆はなだめるように言葉を返してきた。
「毎回入口の所でお呼びしています。それに女性だったら問答無用でお腹をしまっています」
「別にお腹が冷えても私はどっちでもいいです」
「そういうことを仰ってはいけません。大事なお体です」
月華はいらだちのままに天駆の毛皮をわしゃわしゃする。ごわごわの毛皮を触っていると少し気も晴れた。
天駆の毛皮は温かいので、冬には湯たんぽ代わりにくっついていたりする。彼が人間の体のときはまちがってもそんなことはしないが、そうするのは楽しい。
ふと月華が壁掛け時計を確認すると、学院が始まる時刻になっていた。
月華は壁掛け時計をみつめたままぼそりとつぶやく。
「……遅刻」
こういうときはじっと時計を睨みつけてしまう。男性に戻ったのだから学院に行けたのに、何をのんびりしていたのだろう。
天駆は何でもないことのように言う。
「髪を切ってからしか無理ですよ。まずは朝食にしましょう」
月華は、天駆が獣の時は自分で朝食を作らなければいけない。
ここ数日、月華は随分長く女性のままでいた。家事全般を天駆がやってくれるので優雅な生活ではあるのだが、獣は家事労働をしないのが本来の姿だ。
男に戻ったからといって短くなるわけではない長い髪をかきあげ、月華は洗面所へと向かった。
お休みしてもよろしいですよと言う天駆を置いて、学院に来た。
月華は多くの学生の例にもれず学院が好きではないが、行ける時には必ず行く。
それもあるが、今は単純に天駆と距離を置きたいだけかもしれなかった。
教室の窓から外を眺めても山が見えるだけで、その向こうに広がる東方の国々は見えない。
子どもの頃から育った幻都、親戚はいないけど友達も少しはできたし、月華を棄てた故郷よりは暮らすのにいいところだった。
でもいつまでも幻都に残るのは、たぶん天駆が許さない。
……「王華の一族」でなくなったら、天駆は自分の家族より簡単に、月華を捨てるに決まっている。
授業が終わって昼休み、月華は校舎から出て裏手にやって来た。
ふと耳に入ってきた言葉に意識を取られる。
「ねぇねぇ、ホテルに住んでるってほんとー?」
顔を洗おうと蛇口の前で体を屈めた時、校舎の方から女の子たちの声が聞こえてきた。
女の子たちの声に返したのは、同じくらいの年頃の少年の声だった。
「うん、まあね。留学資金でロングステイしてるんだ」
「えー、いいなぁ。ホテルの食事って美味しいんでしょ。何食べてるの? やっぱりランデン料理?」
「いつも何して過ごしてるの?」
きゃいきゃいと黄色い声が輪のように広がる。
留学生のウィルとその取り巻きの女の子たちのようだった。ウィルは女の子慣れした感じで、悪戯っぽく笑いながら言った。
「そうだねぇ……知りたければ402号室までおいで。ただし一人でね」
歓声が上がるのが聞こえて、月華は手ぬぐいで顔を押さえながら考えた。
彼はオッカムという、ロザリエルと同じ姓を持っている。
ランデンでは珍しくない姓なのかもしれないが、同じ時期に同じ姓をもったランデン人がいるのは、偶然にしてはできすぎていた。
月華はまだ騒いでいる女の子たちの渦に飲まれないように、そっとその場を後にした。
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