8 誰のため
月華が生徒会長になったのは、疎外感から逃れるためだった。
他国の出身であることなら、幻都ではさほど珍しくない。ただ月華には人に溶け込まなければという使命感があって、とにかく人の中心に入るように努力してきた。
けれど女性に変身するという特異性もあって、人付き合いは良くない。
「由宇、今日暇? どっか遊びに行かねぇ?」
「すみません。今日はちょっと」
「なんだよー、試験も終わったろ?」
「ええ、まぁちょっとね。すみません」
人の中心に向かう行動とはまったく矛盾しているが、人の中心にいるのが耐えられない性格だ。
変身の体質のせいだけにはできない。内向的で神経が細い。それが月華の本質だった。
男性として学院に通っても、男性とどう接すればいいのか知らない。女性をどう扱えばいいのかだって、実のところ何もわかってはいない。
「ゆーう」
肩を叩かれて振り返ると、若彦がにやにやしながら言った。
「一年生のコ、来てる。いいよなぁ、お前ってモテて」
さすがにどんな内容か察しがついて、月華は放って帰ることができなかった。
月華が廊下へ出て行くと、月華より少し背の低い、髪を結ってかんざしで留めた着物の女学生が、居心地悪そうに立っていた。
月華が苦笑して後ろを見ると、興味深々といった感じで男子たちが教室の窓から覗いている。
「場所、移りましょうか」
そう言うと、女の子は小さく頷いて月華の後をついて来る。
人通りの少ない校舎裏へ来ると、月華は周りに人がいないのを見計らってうなずいた。
少女は、月華の目を見て言葉を切り出した。
「由宇先輩のこと、お慕いしています」
はっきりと口にできるその意思の強さは、少しまぶしかった。月華は黙って言葉の続きを待つ。
少女は柊の描かれた外套のピン留めを差し出しながら言う。
「ご迷惑でなければ、これ! その、先輩には想う人がいらっしゃるかもしれませんけど、私の想いを知っていただきたくて。先輩って優しいし、いつもおだやかで素敵なんです!」
「宮川さん」
月華が彼女の姓を呼ぶと、彼女は意外そうな顔をした。
「私のこと……覚えてくださっていたんですか」
彼女は生徒会の一年生の女の子を呼びに行くとき、よく一緒に弁当を食べていた子だった。女の子たちを仕切っていて、人の輪の中心にいたのを覚えている。
「覚えていますよ。宮川さんは元気な方ですから」
彼女はまだ驚きから覚めない様子で月華を見ていた。
月華は一息分だけ考える。告白を受けたことは何度かあるが、ここで泣き出してしまう子もいるから注意が必要だった。
月華は息を吸って、そっと言葉を切り出した。
「まだ秘密にしてあるのですけど、私は今学期でこの学院を退学するんです。急な都合で母国に帰ります」
彼女ははっとして口を開く。そこから出てくる言葉を遮るように、月華は外套ピンを彼女の手に戻しながら言った。
「ありがとう。でもこれは受け取れません。共に歩める方にお渡しください」
月華は思う。優しく温和なだけの生徒だった自分は、きっとすぐ忘れられてしまう。
(でも、最後まで私は、この日常の空間では理想の優等生であり続ける。それがどんなに疲れることでも、天駆に恥じないために)
話を終えて教室に荷物を取りに行くと、月華の机の上に若彦が座っていた。
眉間にしわを寄せて黙っている彼に、月華は問いかけた。
「どうしたんです?」
それに、若彦は憮然とした様子で返した。
「悪ぃ。盗み聞きした」
月華はそれで彼の表情の意味を理解して苦笑した。
「いえ。私も悪いと思ってるんです」
月華は机の横にかかっている荷物を肩にひっかけた。
若彦のことだから、断り方云々について講釈を始めるかもしれないと思った。雑そうに見えて、彼は女の子の扱いには気を遣う。
けれど月華がふと顔を上げると、若彦の眉間のしわはますます深くなっていた。
「そうじゃなくて。母国に帰るんだって? 由宇」
月華は視線を走らせて忘れ物がないか確認して、再び顔を上げた。
「ええ。家の都合でね。生徒会長の引継ぎもクラス委員長の後任も決めないといけませんね」
「そういうことかよ」
月華は荷物に気を取られていて、睨むような若彦の目に気づくのが遅れた。
月華は何気なく、独り言のようにつぶやく。
「忘れていることがないようにしないと……」
「ふざけんな!」
突然若彦は月華の胸倉を掴んで引き寄せた。
月華は一瞬息が詰まって目を閉じる。何が起こったのかわからず硬直した。
月華が恐る恐る目を開くと、若彦は哀しいような、苛立たしいような表情をしていた。
若彦はそのまま殴りつけたりはしなかった。彼は無言で月華から手を離すと、一歩下がって机の上に座る。それから深いため息をついた。
月華は襟元を整えながら若彦の方へ向き直る。どうやら彼が怒っているとはわかったが、何が彼を怒らせたのかはまだわからない。
月華は若彦に、そろりと問いを投げかける。
「どうしたんですか?」
もっと怒らせるかもしれないと思いながらも、訊かないことにはわからない。
若彦からの返事はなかった。だから月華にはますます彼の怒りの正体がつかめなかった。
人付き合いは得意ではないとはいえ、三年間の付き合いがある若彦の考えていることでさえさっぱりつかむことができないのは、ちょっと空しかった。
月華は外ではいつもそうするように、最初から自分の非を認めて言う。
「何か悪いことを言ってしまったなら謝ります。ごめんなさい」
月華は答えを待ったが、若彦はうつむいたまま何も言わない。
「今度学食でも、おごりましょうか」
昼食を学院の一番の楽しみにしている若彦なら乗ってくるかと思ったが、これにも返事はない。
「……そろそろ帰ります」
月華が諦めて帰ろうとした時、若彦が顔を上げた。そこには先ほどの激しい怒りはもうなかった。
若彦は不機嫌な声でぼそりと言う。
「おごれよ。俺が店は指定する。それで許してやる」
若彦はあってないような荷物を取りにいくために席を立った。
月華はまだ彼の心はわからないまま、うなずいてその後に続いた。
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