しゅつどう
『地球外生物管理局』。
およそ百年前。国によって設立された、その名の通り「地球外の生物」を相手にする機関。名前だけなら、この国の誰もが知っている。
小学校に入学した子ども達が「いちたすいちは?」より先に教えられるのが、
「宇宙人と遭遇した時は、『地球外生物管理局』に通報しましょう」
ということだからだ。
とは言っても、この機関が設立されて百年間。一度も彼らが活動している姿を見たことはない。
国のお偉い方々の説明によれば「彼らは特殊で危険な任務をこなし、それに関する機密をたくさん扱っている」機関だというのだが、具体的な仕事内容、管理局の設置場所、局に所属している者が、どこのどういう誰かさえも、映像どころか、写真のひとつも公表されたことはないから、われわれ善良な一般市民にとって、その存在は極めて怪しいものだった。
分かっているのは、零からはじまる通報用の電話番号、ただひとつだけ。
今まで、その番号へいたずらに電話をかけた者も、もちろんいたが「この電話は、本当に地球外生物が現れた時にしか繋がりません」と、機械の単調な声に軽くあしらわれるだけだった。
今日の今日、どころか、今の今まで。
「チキュウガイセイブツ」なんてものは、空想上の生き物で、まさか実在するなんて誰も信じていなかった。
「チキュウガイセイブツカンリキョク」にしたって、大仰な名前がついているだけで、本当のところはサイバーテロだのウイルスだのと、目に見えないものの対処をする機関なのだと思っていたのに…。
横断歩道の人混みの中、電話をかけたさっきの誰かがぼんやり言った。
「電話は確かに繋がった。機械音声などでなく、はっきりとした肉声で〈分かりました。すぐ向かいます〉と、返事があった。管理局は実在したんだ…」
彼の近くにいた人たちも、漏れ聞こえるその声を聞いていたから、その存在は、もはや疑いようもない。
だが、呼んではみたけど本当に、本物の宇宙人に対応できるような機関なのだろうか? 何せ今まで百年間、沈黙していた機関だぞ。
迷った顔した、彼の隣の誰かも、やっぱり同じ迷いを持ってたようで、
「なあ、やはり警察を呼ぼう」と言って、ふたたび電話をかけようとした。
その時だった。
鯨が一頭入りそうなくらい、大きく頑丈なトラックが、急に空から現れた。
車体の一番目立つ場所には、でかでかと『地球外生物管理局』の文字が書かれている。
横断歩道の人々は、謎の空飛ぶトラックを見上げて、唖然とした。
その間に、トラックはそっと地面に着地する。
十五、十六…。ざっと、二十人ばかりの人間が、車内からつぎつぎに降りてくる。
彼らは揃いの白いスーツを着用していて、それは宇宙飛行士の着る宇宙服にそっくりで、頭まですっぽり覆われているものだから、顔はまったく見えなかった。
局員の中でひとりだけ、黒色のスーツを身につけた者が、すっと右手を空へと向ける。
それを合図にさくさくと交通整理がなされ、その場にいた人々は宇宙人から遠ざけられた。
ドラマで見慣れた「キープアウト」の黄色いテープが、宇宙人を中心に、半径五十メートルの円を描いて張り巡らされる。
今まで心に満ちていた優しい気持ちが、緊張と好奇心に裏返り、その場の空気をひりつかせる。
事ここに至って、ようやくその場の人々は、今この瞬間、とんでもないことが起きていることに気がついたのだ。
今まで空想だと思っていた宇宙人に、名ばかりだった『地球外生物管理局』。
その両者が、目の前で対峙する。死んだように、繰り返す毎日を生きていた人々の心は、ぶわぶわと粟立たった。
「宇宙人」の単語から、考え得るすべての戦い、友情、その他諸々を思い描いて、みんながみんな、円の中心にカメラを向けて、レンズの向こうに両者を見守る。
さて、太陽が真上に昇る頃。
いつもと変わらぬ、ごみごみとした横断歩道がそこにはあった。
その場の誰もが首をかしげて、学校、会社、その他諸々、行きたくもない行くべき場所へと歩みを進める。
何かが起こったような気がするが、それがなんだか思い出せない。
ただ、気づいた時には、「ちょっと遅刻しました」で済まないほど、時間がたっぷり経っていた。今日のあれこれに間に合うかどうかは分からないが、とりあえずは行かなければ。
まあ、これみよがしに、怒られたりはしないだろう。
理由もなんだか分からぬままに渡された、この政府発行の「遅延届」があるのだから。
そうして先ほど「誰かに親切にする」と誓った優しい想いさえも忘れて、人々は灰色の毎日の中に、あっという間に溶けていく。
おいしいたべもの はるむら さき @haru61a39
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