第3話 〝流転〟翻弄されし王女

 ナナから聞かされた、イスルド死亡のしらせ。

 バルドの胸に顔をうずめながら、彼女はイスルドへの想いを吐き出し続ける。


 そんなナナの背中をさすりながら、バルドの思考は冷徹なほどに冷静に、これから起こるべき状況を推察していた。


(そうだ。初代魔王ニズヴェリスの父は、イスルドじゃない。彼の名は、歴史には登場していない)


 大学を修了したナナはもうじき、祖国ラグナスへと戻ることが決まっていた。

 その際には先んじて神聖大学を卒業し、騎士となったイスルドも共に、の国へ渡る予定だったのだ。


「このままじゃあたし、お兄ちゃんと結婚させられちゃうよぉ……」


 その言葉で、バルドの記憶が一つ蘇る。

 ウル・ロキス・ラグナス王子。

 彼こそが次のラグナス王であり、ナナの夫として知られる人物だった。


 ラグナス王国においては血縁者同士の婚姻は問題なく行なわれており、特に王族においては強く推奨されている。


(まさか、イスルドは……。暗殺?)


 婚姻に関して独自の解釈を持つラグナスでは、婚前交際の段階であっても〝死別〟以外での離縁は認められていない。


 ナナの話では、イスルドはラグナス王国との合同演習に参加した際、〝不慮の事故〟によって命を落としたらしい。

 彼女が取り乱してしまったため、バルドもそれ以上の追究は避けた。


「あたしのこと〝いらない子〟扱いしたくせにっ! 今度は戻って〝結婚しろ〟だなんて……!」


 生まれついての魔術素養の低かったナナは、半ば厄介払いのような形で〝交換留学〟へと送り出された。留学とはていのいい言葉だが、実質的には一時的な人質交換だ。従って両国とも、王家の正当な血を引く〝邪魔者〟を送り出すのが通例となっていた。


 邪魔者扱いのナナが呼び戻された背景には、彼女の妹である第二王女の急死があるのだろう。まだ幼かった彼女は高熱を出し、そのまま短い命を終えてしまった。


「ねぇ……バルド……。あたし、どうしたらいい……? 教えてよ……」


 ナナは絞り出すように「お兄ちゃんと結婚したくない」と呟き、再びバルドの胸に顔を埋める。彼女がそうするのは、バルドの服が愛するイスルドの物ゆえか――。


 もしかすると、ここが決定的な分岐点かもしれない。

 取り乱すナナとは裏腹に、バルドは一つの手段に思い至る――。


 しかし残念ながら、成功する可能性は低い。


 なぜなら、これからやろうとすることは――

 〝天才〟と呼ばれたバルド自身にも、まったくの未経験のことなのだ。


(だが、やるしかない。この世界を救うために……!)


 バルドはナナの頭を優しく撫で、まずは彼女を落ち着かせる。

 完全に冷静さを取り戻させてはいけない。

 応対が可能であれば充分だ。


「バルド……?」

「ナナ、聞いて欲しい。もし良かったら、俺と結婚してくれないだろうか?」


 バルドの言葉に、ナナの赤い瞳孔が大きく開く。

 これは驚き――いや、怒りの色もみえる。

 彼女が口を開く前に、バルドは二の矢を放つ。


「俺が絶対に、イスルドを超えられないのはわかってる。彼は本当に、良い奴だった。ほんの少し話した、俺でも理解したくらいだ」

「うん……。良いヤツよ……」


 過去形になったことでイスルドの死を実感し――

 ナナは再び、恋人の香りの残るバルドの服へとすがりつく。


「彼を愛したままで構わない。俺のことは二番でいい。どうか、考えてみてくれないか?」


 バルドは彼女の髪を撫でながら、人生で出したこともないような優しい声で語りかける。彼にとって、ナナからの愛情が誰に向いているかなどまつごとにすぎない。


 ナナ・ロキシス・ラグナスとウル・ロキス・ラグナスとの結婚を阻止する。

 この二人の結婚が、間違いなくかいしゅうえんへのシナリオを引き起こす。

 それだけは、なんとしても回避しなければならない――。


「……わかった。すぐに結婚かはわかんないけど……。イスルドのこと、たくさん〝好き〟って言っちゃうけど……。それでもいい?」

「ああ。もちろんだ。俺だって、イスルドのことは尊敬している。これからも彼と一緒に、君を幸せにするよ」

「ありがと……。よろしくお願いします……」


 提案を受け入れてくれた彼女に、バルドは優しく口づけをする。

 涙と鼻水にまみれた顔は見るに耐えないが、彼がそうしてくれたことがナナにとっては嬉しかったようだ。


(これが正解なのかはわからない。でも、世界を救えるのなら、何だってやるさ……)


 バルドは滅びゆくミストルティアを救うべく――幼少の頃より学問に励み、神官長となってからも寝る間を惜しんで〝時の宝珠オーブ〟の開発にいそしんできた。彼の〝世界〟に対する想いは、並々ならぬものなのだ。



 こうして、晴れて恋人同士となったバルドとナナ。

 二人はデートを重ねながら、順調に愛を育んだ。


 恋愛に関する本を読み込んでおくべきだったと後悔したバルドだったが、意外にも方面の才能も持ち合わせていたらしい。


 バルドの時代に語られていた歴史においては、〝二百年前に起きた事故〟を切っ掛けに両国の関係が悪化し――なし崩し的に戦争が開始されたと記されていたが、いまのところはするような状態ではないようだ。


「はいっ、バルドっ! あーんっ」

「んっ? あーん」


 自身の作った手料理を、ナナがバルドに食べさせる。なかむつまじくみえる二人だが、これはナナとイスルドが好んでいた行為らしい。

 当然ながら、手料理もイスルドの好物だ。


「おいしい?」

「ああ、美味い。いつもありがとう、ナナ」

「えへへっ」


 ナナはぐにラグナスへ呼び戻されるかと思われたが、彼女には〝フレストにて待機せよ〟との王命が下されていた。当初の歴史とは異なっている流れに、バルドは密かにあんする――。


(このままナナが、ラグナスから離れていれば)


 もしかすると、次はバルド自身へと刺客が送られる可能性も捨てきれない。

 だが彼の心配もよそに、それらしき気配は感じられなかった。


 そしてある日――待機命令が出ていたナナに、帰国を指示する文書が届いた。

 文書には王女ナナの帰国、および恋人であるバルドの召喚が記されている。


「ついに来ちゃったかぁ」

「ああ。これからも一緒に頑張ろう」

「うんっ! ずっと一緒に居てね? バルドっ!」

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