第2話:聖痕

 あの日、刻まれた聖痕があった。

 あの日、確かに両手両足、そして右脇腹に傷があった。

 磔にされた手足。そして死を確認する為に突き刺した右脇腹。

 それぞれ医療用のメスが用いられていた。

 聖痕とはイエス・キリストが磔にされた際傷付けられた箇所のことである。

 そして言い換えるならば”ロンギヌスのメス”である。

 そのロンギヌスのメスを俺は持ち帰った。

 目覚ましの音が響く。

 ソファで寝た俺はスマホのアラームを止める。

 止まっていた思考が後から追いついてくる。

 そうだ。昨日は煌凛先輩の家にお邪魔になったんだ。

 今日も普通に学校がある。支度をしよう……と言っても服がないから制服で寝た訳で。着替える必要も無いか。

 それでいて、さっきからいい匂いが漂う。

 ソファから身を乗り出して辺りを見回す。

「あら、おはよう。よく眠れた?もうすぐ朝ごはんが出来るわ。少し待ってね。」

 朝ごはんを用意してくれていた。

「先輩、洗面所借ります。顔洗ってきます。」

「どうぞ〜。」

 なんだか機嫌が良さそうだ。

 洗面所に向かい、顔を洗う。

 お風呂は昨日入ったが、着替えがないのが何とも気分悪い。

 鏡を見つめる。

 酷い顔だ。昨日は考えすぎてよく眠れなかった。

 かけられたタオルで顔を拭く。……いい匂い。ってこれ朝先輩使ったんじゃ……。

 恥ずかしい。顔の赤らみを隠しながらリビングへ。

「あらどうしたの?気分悪い?」

「いえ、違うんです。ちょっとね。」

「どうせ顔拭いたタオルでしょ?そうだと思って新しいのに変えてあるから安心なさい。」

 なんだ1人で恥ずかしがってたのか。

 そこまで気が回るなんて煌凛先輩はオーバースペックなのでは?

「さぁ、出来ましたよ。食べて登校しましょう。」

 食卓に並ぶのはTHE朝ごはん。鮭、卵焼き、これは筑前煮?作り置きだろうか。

「先輩、料理できるんですね。」

「自分で言うのもなんですが成績優秀、運動はそこそこ、家事は任せなさい。」

 結構なハイスペックだった。

 席に着き手を合わせる。

「いただきます。」

 味付けは薄めだが素材の味で十分白米が進む。

 1人暮らしで大変だろうに、こんなにも生活できるものなのか。

「あとはい、これ。今日のお弁当。今日から通常授業だからね。必要だよ。」

「そんな悪いですよ。一宿一飯の恩義もあるのに。」

「もう作っちゃったからもったいないでしょう?1つ作るのも2つ作るのも大して変わらないもの。恩義だというなら次からはもっと頼って頂戴、1人で現場に行かないで。すごく心配したんだから。私のLINE教えておくから、異常俯瞰を感じたら相談して。」

 分かりましたと、スマホを差し出す。

 因果な物ね。と返ってくる。

「このスマホが、原因で俯瞰中毒は引き起こるというのに。今や必須の利器ですものね。」

 スマホが原因?それで俯瞰中毒になるのか?

 思い返せば俯瞰を覚え始めたのは中学2年生の時。そうだ、確かにスマホを与えられたのは2年前。

 妹が入学する時に一緒に買いに行ったんだ。

「覚えがあります。俺も中学2年でスマホを手にし俯瞰を覚えました。」

「そう、SNSが発達した今。俯瞰中毒は国民病と言ってもいいのです。それほど蔓延してる。そして不思議がもう1つ、俯瞰症候群は西でしか確認されていない。それも西。」

 なんだって?国民病である俯瞰中毒からなる症候群は葛西、それも高校限定?謎すぎる。

 じゃあどうして俺は中学時代から俯瞰症候群に罹患した?

 進路が葛西南高校だからか?いやそんな筈ないだろう。

 そういえば煌凛先輩も瑞江中出身だと言っていた。では答えはそっちか?

「いい線ですね。概ね予想通りです。」

 いつも考えを読まれている気がする。

「貴方は俯瞰しすぎなんです。ましてや症候群。俯瞰が持つ情報量は多いのですよ?」

 いや異常なのはこの人かもしれない。いくら俯瞰でも人の考え迄覗けないだろう。

 食事もそろそろ終わりだ。朝からこんなに美味しい物を食べれるとは少し得した気分になれる。

「ご馳走様でした。」

「お粗末さまでした。」

「あ、俺食器運びますよ!」

「ありがとう。それじゃあ流しの中に入れておいてもらえる?軽く洗って食洗器に入れるから。」

 言われた通り食卓の皿を重ね、台所へ運ぶ。そして流しの中へ。

 テーブルに戻り用意されたお弁当を鞄へ入れる。

 あとは煌凛先輩の作業が終わるのを待つだけだ。

 ソファに座りTVを眺める。そういえば昨日の怪死事件。流石に流れても可笑しくないレベルの事件だった。

「先輩!ちょっとチャンネル変えていいですか?」

 どうぞと返事が返ってくる。

 日テレ、テレビ朝日、フジテレビ、TBS、テレビ東京、NHK。

 どれを見てものどかな朝のニュースしか流れていない。

「先輩。昨日の事件がニュースになっていません!」

「そんな筈ないわ。あんな状態だものマスコミが駆け込んでくるわよ。それにメス、持って来たのでしょう?」

 そうだ!メス!確か昨日汚れた手を洗うのに洗面所に置いたはず。……だけどなんだ。朝顔を洗ったときに見た気がしない。

 不思議に思い洗面所に戻る。

 無い、無い、何処にもない。洗面台の周囲、お風呂場迄探したが見当たらない。

 洗濯機は、流石に開けられない。

 すぐ報告に戻る。

「煌凛先輩!ダメです。メスがありません!洗濯機以外は隈なく見ましたが見当たりません。」

「そんな訳無いでしょう。確かに貴方は持ち帰ったのだから。こっちは終わったから私が見てくるわ。」

 そういい煌凛先輩は洗面所に向かう。

 何分か経つと蒼い顔で帰ってきた。

「無い。」

 そういうと推理モードに入ったのか顎に手を当て考え出した。

 ふと時間を見ると7時半。そろそろ出ないとまずい。

「煌凛先輩!時間時間!行きましょう!」

「え……えぇそうね。後で考えましょう。」

 俺たちは先輩の家を出る。先輩は鍵を取り出し施錠する。

 エレベーターホールでエレベーター待ち。ずっと考え事をする先輩。

 徐にスマホを取り出しニュースやSNSを確認。

 エレベーターに乗り込み最寄りのバス停につくまでずっと検索をしていた。

「ダメですね。事件そのものがありません。になっているのではないでしょうか。今日放課後確かめに行きましょう。」

 バスが来る。乗り込み席に座る。隣には煌凛先輩。

「あの、こんなに席が空いてるのにどうして。」

「このニブチンですね。昨日の今日なんですよ。いつ異常俯瞰が起こるか分からないじゃないですか。保険です。」

 そんなもんなんだろうか。

「彼女なら募集してませんよ?」

「貴方が望むなら前言撤回しても構いませんよ?」

 しなくていいわ。適度な距離感でいて欲しい。

 俯瞰の話をしているとあっという間に葛西駅。バスの乗り換えである。

 臨海公園行きのバスに乗る。するとちょうど弥生と依与吏が乗ってきた。

 空いている後ろの席に座り話しかけてくる。

「ちょっと真響?昨日は何だったのよ。それに先生の家に泊まるって。」

「そうだぞ、おじさんかなり困ってたぞ。事件に巻き込まれたって。それで今日は美人の先輩と登校か?」

 返す言葉がない。見当たらない。そこで煌凛先輩が口を開いた。

「今朝依萌先生がうちに真響君を預けていったの。職員だから先に行かないといけないから、顧問をしている生徒会メンバーの私に預けたというわけ。別に彼とは何もないわよ?」

 ウマい。言葉巧みに躱していく。

「真響。バレたらクラスの奴らに完全に目を付けられるな。」

「また守ってくれ。頼むって。」

 はいはい。と流される。大丈夫、弥生と依与吏なら守ってくれる。

 バスが動き出す。

 刹那、襲い来る”異常俯瞰”。

 高校の校門の木に逆さ吊りにされた男。

 「先輩!異常俯瞰で「ばーん。」」

 その声とともに俺は右からの衝撃を受け煌凛先輩の膝に倒れ込んだ。

 煌凛先輩は音のする方を振り返る。

 弥生と依与吏。

 女性の声だった。

 「私……しらないわよ!?スマホゲームをしていてばーんとは言ったけど。」

「真響君、大丈夫ですか?真響君!」

 目を覚まさない俺に先輩は俯瞰する。

 そこには体に戻れない俺の意識が彷徨っていた。

「症候群……。まずった。きっと脳がロストコンタクトしている。どなたか!運転手さんに伝えてください、人が倒れたと!」

 その後バスは停車、救急車により真響君は東京臨海病院に運ばれて行った。

 曇天の大都市に立ち尽くす3人。

「なんで真響が!新手の虐めか!?」

「ほんと。高校ならと思ったのに。」

 私は違和感を覚えていた。

 昨夜の事件の事。多分”マリオット盲点”だ。目の死角。

 そこに投影された磔を真響君は現実だと思いこみ現場へ向かった。もちろん死角を映像で埋め尽くされたわけだからそれは現実にも見える。

 助けに入った私にも見えた。多分公園付近でマリオット盲点に投影されたのだろう。

「さて、2人共、遅刻する訳にはいきません。バスに乗りましょう。真響君にはきっとすぐ会えますよ。」

「りょ、了解っす。」

「そうね、今はそれしかない物ね。」

 救急車対応の為止まっていたバスに再度乗り込む。

 目指すは葛西南高校。

 まずは依萌先生に報告しないと。

 ――――――――――――――――――――

「失礼します。」

 私は職員室をノックした。

 複数人の先生が見受けられる。

 その中から1年担当の席を見つけ依萌先生に近寄る。

「先生、昨日はありがとうございました。助かりました。」

「いいのよ。あれから彼は?」

「それが……」

 私は事の顛末を、要点を掻い摘んで依萌先生に話した。

「移動しましょう。生徒指導室まで。」

 そう言われ職員室端の生徒指導室へ入っていく。

「それで、結果は?」

「俯瞰症候群で間違いありませんが普段と違うようです。残りの生徒会メンバー同様本体に戻れなくなっています。俯瞰で確認しました。」

 ふうむと先生は考え込む。

 では昨日の事件はどうかとの話に。

「それについてはマリオット盲点かと思われます。ありもしない所に突然映し出される怪死事件。今日の放課後確かめに戻ろうと思ったんです。そんな話をしていた矢先のことでした。私は真響君を守れなかった。」

「貴女がそんなに気を落とさないの。貴女の所為では無いのでしょう?」

 でも彼は、私にとって特別なのだ。私の中の何かがそうさせる。

 あの受験日の海岸で初めて会ったあの時から。

「とりあえず放課後会長に伝えましょう。それから今後の方針を検討しましょう。いいですね?」

「はい……。」

 嘘も本当もどちらも真実だ。

 嘘を本当に変える誰かがいる。

 私は悔しい思いを抑えながら2年A組の教室に向かう。

 戸を開き教室へ入る。

 皆からおはようと声を掛けられそれに対しておはようと手を振り返す。

 そう、クラスでの私はいい子ちゃん。

 愛想を振りまき笑顔を絶やさず。

 生徒会メンバーとして模範的な行動を示している。

 そんな私は今かつてないほどに動揺している。

 真響君……お願いだから帰ってきて。

 手は冷たく、顔も青白いのだろう。

 知らぬ間に昇華した真響君への気持ち。

 しばらく考え込んでいると担任の先生が入ってくる。

「勅使河原居るか?織部先生が呼んでいる。生徒会室に来て欲しいそうだ。1限の先生には遅れる旨伝えておくから行ってこい。」

 いわれる通りに教室を後にし階段を上る。

 生徒会室の戸を叩き、入室する。

 依萌先生と由比ヶ浜会長。それからもう1人。

「待ってたわ、勅使河原さん。この子は1年C組、有栖 聖祭ありす せいかさん。話を聞くとやっぱり”症候群”で間違いないわ。」

「初めまして。有栖 聖祭です。勅使河原煌凛先輩ですね?お噂聞いております。」

 高嶺の花。そんな噂だろう。

「はじめまして。貴女も症候群持ちだなんてね。調査通りで安心したわ。」

 そこで会長が切り出す。

「勅使河原君。朔峰君の事は聞き及んでいる。非常に残念だ。だが、私達は一筋の希望を見出した。有栖君のご両親が海外で俯瞰中毒からなる症候群についての論文を発表したらしい。葛西だけではない、海を越え海外でもその異常な病気は流行っているらしい。」

「論文……ですか?どのような。」

「マリオット盲点に俯瞰状態の光景を映し出す。するとそれを本物だと信じ、かつ戻るべき場所を映さない事で俯瞰から帰ってこれない。これが原因の様だ。」

 いよいよ本題に近づいてきた。

 私は固唾を飲み込み会長の話を一字一句逃さず聞き取る。

 そして有栖さんが核心に触れる。

「戻してあげる為に、マリオット盲点の映像を消し去る必要があります。俯瞰中の彼らはなぜ戻れないか理解できていない。俯瞰者に話しかける事は出来ない。外部から何かしらの衝撃、原因を上書きし意識を身体に定着させるしかないと思います。これが出来る者。自らの意思でマリオット盲点に投影できる。自身の身体に定着できるものを因果克服種と論文では書かれていました。」

 原因の上書き。因果克服種。

 今この状態でここに居る4人は俯瞰症候群から自ら戻れる。が、マリオット盲点に戻れない原因を投影されればゲームオーバー。誰も私達を助ける事は出来ない。

 細心の注意を払わないといけないが、今朝の真響君。意図せずマリオット盲点に因果を投影された。多分防ぐ事は出来ない。

 相手が俯瞰症候群に気づく事が出来るタイプだった場合。連続して因果の書き込みが出来ないのだろう。そうでなければあのバスで私も因果を書き込まれ俯瞰症候群に倒れているはずだ。

 一定のインターバルが必要なのだろう。それがどれほどの期間かわからない。

 その前に解決策を見つけないといけない。

 俯瞰し自分の輪郭を確かめる。私はまだ私だ。

 盲点。しかしそれは俯瞰なのだろうか。

 強制俯瞰の視点を投影される。

 俯瞰したと思えば体が見えない。

 そんな状況なのだろう。

 息が詰まり溺れそうだ。

 心地悪い心の臓は、高揚を落とし熱を失った。

 つまりは

 純粋に助けたい。それは真響君でも生徒会メンバーでも。

 不可思議な俯瞰が異常な世界へ誘ってくれる。

 実在と嘘の境界線。

 考え事に集中していたその時。

 一斉に全員のスマホが鳴りだした。

「地震?の警報じゃないわね。」

 みんなでスマホの画面を見せ合う。

 全て発信元は”Unknown敵味方不明”と書かれていた。

 誰もUnknownとは登録していない。なのにそう表示される。

「私が出るわ。みんなはそのまま。」

 依萌先生が通話ボタンを押す。スピーカーに切り替える。

 それは女性の声と音楽だった。

「あら、素直に出るとは思わなかったわ。意外ね。でも残念。貴女の負けよ。」

 ボイスチェンジャーを使用した女性声。性別まではわからない。

 突如先生のスマホから”故郷の空”が流れ始める。

 それは徐々に踏切の音に切り替わる。

 変化があったのは、依萌先生だ。

 目が虚ろになり次第に体の力が抜け、床に横たわった。

「先生!」

「勅使河原!近づくな!」

 会長に止められる。

 再度先生のスマホから音声。

「あら意外。しっかり判断できてるのね。」

「多分指向性だ。だとすれば、入口に一番近い先生が狙われた。犯人は……。」

 ガタンと音がして扉が動いた。カメラ程度ならのぞき込める隙間が空いていた。

「追うのはやめよう。今は先生だ。報告にあった朔峰君とは状況が違う。おそらくマリオット焦点への投影は失敗したのだろう。もう少し投影されたら危なかっただろうな。」

 私は床に正座し先生の頭を膝に乗せる。

 そっと頭を撫でる。先生までもが被害にあうなんて。

 あの場ではきっと誰が出ても先生が被害者だっただろう。

 会長の言う通り出入り口に一番近い。

 追った方がよかったのではないか。でも万が一追って、異常俯瞰されれば負けに違いない。

 然して疑問も残る。

 機械を使ってマリオット焦点に偶像を投影するのか?

 何故会長は追うのを辞めさせた?

 なぜ追えば異常俯瞰されると決めつけた?

 追わせなかったのは

 その時膝上に感覚を得る。

「ん……わた、しは?」

「依萌先生!何処か不快な所はありませんか!?」

 先生が目を覚ました。

 冷静さを失い先生に話しかける。

 すごい冷や汗。それに震えている。

 震えている?何故?

「なにか見たんですか?先生。」

「昔の……記憶。それから真響君や、ほかのメンバーを見たわ。一瞬だけど。彷徨ってた。有栖さんの話通りかもしれない。戻り方が分からなかったのよ。深い深い悲しみに満ち溢れていた。多分、いちばん思い出したくない過去を投影されるんでしょう……私がそうだった。」

 思い出したくない過去。黒歴史。

 それは誰にでもあると思う。

 そこから逃げることも出来ずに、ずっとその記憶と対峙する。考えただけで嫌気がさす。

 であれば早く助けないと。彼等はずっと悲しみの牢獄に囚われている。

「有栖さん。本当に助ける方法は上書きしかないの?だとすればどうすれば上書きできる?」

 沈黙はすぐに破られた。

「そうですね、言い換えるなら彼等は。そこに彼が居る証を全ての記憶に刻みつければ良いでしょう。」

 簡単に言うが、方法が思いつかない。

 周囲の人間の記憶に刻みつける……か。

 不覚にも私は邪な思いが頭をよぎった。

 ふふ、意地悪だな私も。一方的じゃないか。

 でも思いついた方法はこれしかない。

 ダメならダメで私が恥をかくだけだ。

「先生、動けそうですか?無理ならまだ膝枕してますから。」

「大丈夫よ、ありがとう。それと私が倒れたのは内緒、職員会議なんてゴメンだもの。」

 案外元気そうで安心した。

 そう、囚われずに戻ってこれて。

「それでいてみんな、聞いて欲しい。私はこれから真響君に会いに東京臨海病院に向かいます。もしかしたらの方法を試してみたくて。」

「勅使河原先輩。それは、みんなを助けられるんですか?」

「出来たとしても真響君だけかな。私の気持ちだから。もちろん助けたいよみんな。どうだろう、着いてきてくれますか?」

 それぞれ顔を見合せ頷いてくれた。

 先生もだいぶ良くなったらしく、顔色も戻っていた。

「では葛西駅に戻りましょう。急がないとバスがなくなります。」

 荷物を手に取り職員室まで戻る。

 依萌先生が欠席にならないように配慮してくれる。

 なんて言い訳するのかは知らないが、生徒会会長と私、それから有栖さん。話し声は聞こえるが聞き取れない。

 暫くして先生が戻ってくる。

「お待たせしました。では行きましょう。」

「あの、校長先生や教頭先生にはなんと。」

「警察から電話きたと伝えたわ。真響君が運ばれた事は聞き及んでいるから、その件について当事者である勅使河原さんと、過去に経験のある生徒会メンバー、そして病気に対しての論文を出した家族を持つ有栖さん。ちょっと無理あるけどそれで押し通したわ。」

 確かに有栖さんを連れていくのは説明が難しい。切り抜けられたなら良かった。

 そうして私達は学校を後にし、葛西駅までバスで移動した。

 乗り換え。新小29番のバスに乗り東京臨海病院を目指した。

 ――――――――――――――――――――

 病院に到着した。

 面会受付を済ませるが、特例での入院措置が取られている為一般人の面会が許可されない。

 担当医の先生に繋いでもらい漸く許可がおりた。

 エレベーターに乗り病室のある7階へと向かう。

 会長が話し始める。

「久しぶりですね。今や不気味がられる生徒会メンバーの集団気絶事件以来ですね。あれから私達の戦いが始まったわけですが。」

「私はまさか巻き込まれると思いませんでしたから……論文が役に立てばいいのですが。」

「それについては、試してみますわ。私だって守ってあげたいですから。」

 チン。

 エレベーターが7階に到着する。

 ナースステーションにより、挨拶をする。

 ここで、俯瞰症候群担当医の草壁くさかべ先生と合流する。

 担当は脳神経外科。私達の訪問を聞き、急いできてくれたのだろう。肩で息をしている。

「お久しぶりです、依萌先生。それから人数が増えましたかな?生徒会の方々でしたね。さぁ、行きましょう。」

 促されるまま足を進める。

「今日はまたどうしていらっしゃったのです?いや、来る事は不思議ではないんですが、みなさん揃って。」

 そこで私が話を切り出す。

「実は……今日ここに運ばれた、朔峰真響君、彼を俯瞰症候群から解き放つ術があるかもしれないと、思いまして。俯瞰関係者と引率でみんなに来てもらいました。」

 興味深く私を見つめる。

 それもそうだ、集団気絶事件以来沈黙状態だった事案に一筋の光が見えたというのだ。

 それが嘘か本当か分からないが、回復に向かうことを願って。

「そうですわ、草壁先生。手の空いているナースも全員集めて貰えませんか?1人でも多く、事情を知らなくていいんです、真響君を知らなくても。1人でも多く必要なんです。」

「ふむ、よく分からないが集めてみよう、先に部屋にいっててくれ。ナースステーションで声をかけてくる。」

 私達は先生と別れ最奥の部屋の前で立ち止まる。

 佐藤、井口、神田、木下、それから新しく付け足された朔峰の名札。

 部屋に入るとみな、沢山の機械に繋がれていた。

 生きてはいる。ただ意識が戻らない。目にライトを当てても瞳孔の収縮は見られないらしい。

 点滴にて必要な栄養素を取り入れ、最低限機能として排泄は行われているらしい。

 呼吸もいつ止まるかわからない。24時間監視が必要である。然しICUではずっと入れておけないので一般病棟に移ってきた。沢山の機械を引っ提げて。

 窓際のベッド。真響君のベッドに近寄る。

 荷物を下ろし、彼の顔にそっと触れる。

 頬を撫で、心の中で謝り続ける。

 ごめんなさい。私は受験日のあの日から貴方を守りたいと思っていた。

 それが一番近くに居ながらこの始末。ごめんなさい。

 でも今日は、心強い味方が居るの。有栖聖祭さん。彼女もそのご両親も俯瞰症候群についてとても詳しいの。だから1つだけ試してみたい事が出来た。

 手を両手で握りおでこにつけながら祈り続ける。

 しばらく時間を置いたところで草壁先生と手の空いた看護師が病室に入ってくる。

「お待たせしました。可能な限り連れてきましたよ。」

 ざっと10数名。足りるだろうか。いや確信が無い。

 依萌先生からここで疑問の声が上がる。それもそうだ看護師を集めろなんて何をするかわからないから。

「勅使河原さん。いったい何をするつもり?手が空いたとはいえ看護師さんも忙しい訳だし。」

「集まっていただきありがとうございます。それじゃあ……その、えっと始めますね。」

 頬を赤らめる。そりゃそうだ。公開処刑な上に失敗すれば恥をかいただけ。

 そっと目を閉じる。辺りを俯瞰する。

 居る。彼らは彷徨っている。感じからするに夢を見ている。先の話が正しければ、一番思い出したくない過去を。

 そして、自分の身体を、帰り道を見つけられずにいる。

 だから道標になるんだ。私が!

「確かにいますね彼ら。漂っています。それから先生。ちょっと大声出しますごめんなさい。」

 そう言い放ち私は大きく大きく息を吸い込んだ。

 真響君の手を固く握りながら。

「私、勅使河原煌凛は朔峰真響君の事をお慕い申しております!私は貴方の傍に居ます!貴方の戻るべき場所は此処です!手を握って待っています!だから、だから!早く目を覚ましてください!私だけ恥ずかしい思いをさせる気ですか!もうっ!」

 私は真響君の口を覆う酸素マスクを外し、強引に口づけをする。

 突然叫びだしたと思えば口づけを始める。

 周囲は驚きで満たされていた。

「ちょ、ちょっと勅使河原さん、何を!確かに校則には交際の制限はありませんが、だからってこんな。いったい何の意味が?」

 その時ベッドサイドモニターの心拍数が高く振れた。

 ――――――――――――――――――――

 やめてくれ。もう見たくない。

 もう、虐められたくない。

 俺だって見たくて俯瞰していたわけじゃないんだ。

 やめてよ、もう。

 俺は思い出したくない過去。中学校時代の虐めの場面を見せつけられていた。

 確か登校の為、煌凛先輩とバスに乗りそれから……そうだ、突然視界が暗くなったんだ。

 最初は俯瞰で何かを見ているのかと思った。

 でも違った。次に視界が開けたとき、その時はもう自分を俯瞰はしていなくて。

 過去の惨状を見せられていた。

 これは俯瞰だと思い戻ろうとした、戻る場所が無かったんだ。

 自分の身体が見当たらない。戻ろうと意識しても一向に戻れない。

 そう、戻れないんだ。

 もうずっとこの光景を見続けるしかないのだろうか。

 つらいな。2人が助けてくれたとはいえ、小さな虐めは続いた。

 そしていじめの原因も解決しなかった。

 妄想していると気味悪がられたんだ。

 誰でもするだろう、妄想位。でも虐めの標的になった。

 その日から俯瞰は深度を増し、幽体離脱と思えるまでになった。

 助けてよ……もう、終わらせてほしい。

 楽になりたい。楽に、なりたい。

 目を閉じても音が私を苛んでいく。

 ふと閉じた目に光を感じる。

 ずっと靄がかかっていた部分が徐々に晴れていく。

 そう、自分以外の視界全て。

 そこで目にしたのはベッドに横たわる俺、とそれに口づけする煌凛先輩。

 なにやってんだあの人は。でもこれ戻れるんじゃ。

 意識を落とす。深く深く。

 次に目を開ける時は泣きながら俺を見つめる煌凛先輩と依萌先生。それから会長に、えっと誰だろう。見たことが無い生徒と沢山の看護師に囲まれていた。

 握られた手を握り返す。

「先輩……痛いっす。」

「……バカ!おかえりなさい。おかえり……なさい。」

「勅使河原先輩……本当に異常俯瞰、マリオット焦点への投影を上書きした。すごい。」

 看護師たちは手で口を隠し驚きあっている。

 それもそうだ。植物状態と診断された患者を呼び起こしたのだ。

 そこに反応する由比ヶ浜会長。

「まさか朔峰君だけ助ける方法があるとはこの事か?」

「はい、私気づいたんです。自分の気持ちに。守りたい、守られて居るかもしれないけど、それでも守りたいと。一度気付いた儚い思い。嘘にはもう出来ないって思ったんです。それに、私が告白するところを1人でも多くの人に見てもらう。朔峰真響はここに居るという共通認識が彼と意識を結びつけると考えたんです。」

 多少強引だとは思った。気づいた時私の心は高鳴っていた。一方的な押し付けだと思っている。

 彼の許可もとらず唇を奪ったことも。

 表向きには彼を取り返すための作戦。でも本心は。

「その、真響君。俯瞰しながら聞こえていたでしょうか。お返事を頂きたいのですが……。」

 酷だ。私の気持ちに応えろと言うのだ。

 彼は初めて会った時からどこか人を寄せ付けない感じがした。

 声をかけたのも勇気を振り絞って。

「俺は……。」

 周囲は固唾を飲み込みその様子を見守る。

 中には両の手を組み合わせ祈り出す看護師までいた。

 依萌先生に至っては泣きながら頷いている。

「卑怯ですよ、こんなの。こんな空気。……月が……綺麗ですね。先輩。」

「……っ!?……月は、ずっと綺麗でしたよ。真響君!」

 今日の今日とはいえ、意識を失い倒れた俺に容赦なく抱き着いてきた。

 痛い。痛……いたたたた。

 まだ昼間だと言うのに何を言ってんだろう。

 ロマンチストじゃあるまいし。でも、ストレートに返すことは出来なかった。

 だから、少し夏目漱石さんの力を借りた。

 けど言葉選び間違えたかな。

 まぁでも、受験日のあの日から。他とは違う何かを先輩に感じていた。

 入学してから、俺が危険になったらいち早く駆けつけ、そして助けてくれた。

 人間は嫌いだ。

 また俺をいじめるかもしれない。

 でも、煌凛先輩は……違う。

 この人はそんなことをしない。

 だからこそ俺を救ってくれたのだと思う。

 看護師たちはおめでとうと手を叩き喜んでいる。

 ただ1人、苦い顔をした由比ヶ浜会長を除いて。

 好きだったのかな、煌凛先輩の事。

 でも会長の性格なら先に声掛けてそうだけど……フラれた?のかな。

 さらに1点の疑問点が残る。

「あの、今更ですが貴女は誰でしょうか。」

 そうだ、1人知らない生徒がいた。ネクタイの色から同じ1年生だとはわかる。

「はじめまして、私は1年C組有栖聖祭。よろしくね。お帰りなさい。」

 どうもと頭を下げ、未だ泣きじゃくる煌凛先輩の背中をさする。

「先輩、紹介してくださいよ。何かの関係者なんですか?」

「それに関しては私から話しましょう。」

 依萌先生が涙を拭き取り話に入ってくる。

「まず看護師の皆さん集まっていただきありがとうございました。通常業務に戻っていただいて大丈夫です。」

 ぞろぞろと病室を後にする看護師。

 誰1人として疑問に思わないのだろうか。

 それとも全員知っているのだろうか。

「行きました……ね。ではドアを閉めて本題に入りましょう。朔峰君、この子、有栖さんはご両親含め俯瞰症候群の研究者です。今日貴方が倒れてから、緊急で生徒会会議を開きました。そこで俯瞰症候群の論文について触れられました。結果原因はマリオット焦点に投影された異常俯瞰が帰り道を無くしていた。であればそれを上書きし帰り道を示せばいいと。まぁ勅使河原さんの行動は正直驚かされましたけどね。」

「その……すいません……。」

「続けますね?朔峰君。貴方は今回、異常俯瞰を乗り越えた因果克服種となりました。論文では同じ相手に二度異常俯瞰をマリオット焦点に投影できないと書かれているそうなのでおそらく狙われる事は無くなる、或いは物理的に何らかの接触をしてくることでしょう。遠回りですが生徒会へ立候補をお願いします。生徒会として貴方を守ることにします。」

 俯瞰対策生徒会。

 それは本当に正しく機能するのだろうか。

 俺と言うイレギュラーが存在して問題ないのだろうか。

 でも今は、考えるのは疲れた。

 そっと目を閉じ、未だ抱き着く締め付け感を味わいながら俯瞰にて空を仰いだ。

 退院すれば学校か。

 入学早々やらかしたな。

 悪目立ちしなければいいけど。

 若干の不安を残しつつも回復できたことに安堵しよう。

 ありがとう、俺を認めてくれて。

 煌凛先輩。月は本当に綺麗だね。

 ――――――――――――――――――――

 異常俯瞰。マリオット焦点への投影によって倒れた朔峰真響。

 然し、それは意外な方法にて打ち破られた。

 現実復帰と共に彼女を手に入れた真響。

 それは何よりも尊く、心強い存在だった。

 時間は進む。

 有栖聖祭は今回の件を海外の両親に報告し、事態の共有を行う。

 そんな中、彼女を襲う異常俯瞰。

 次回、《俯瞰の国のアリス》

 私は孤独、助けなんてきっと。

 

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あの日感じた僕達の気持ちに今はまだ誰も気が付かない。 陽奈。 @hina-runa

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