後編

コントができなくなるにつれ、俺の仕事――つまりコンビでの仕事が減っていく。


もちろん俺だけテレビに呼ばれなくなって、給料も急下降していく。背伸びして入居した高級マンションの家賃が払えなくなり、安いアパートに引っ越した。顔さされてしまうのが怖くて、以前のようなバイトも出来なかった。




目減りする貯金に焦った俺は先輩や同期を頼り、構成作家のマネゴトを始める。構成作家といえばテレビやラジオ、舞台の脚本なんかを書くイメージかもしれないが、俺の仕事はコントネタのサポートがメインだった。基本は芸人本人がネタを書くが、それを推敲したりアドバイスしたり。単独ライブをする芸人がいれば、企画・構成からどんな音楽や小道具を使うかまで相談に乗った。


はっきり言って”ど裏方”であったが、自分が関わったものが笑いを産み出すという事実がどうにか落下していく自己肯定感を押し留めていたように思う。




それでも月一回の事務所ライブで受けないコントを続けていたのだが、誰からみてもコンビ格差は開く一方だった。上手くいってる鹿島への嫉妬も隠しきれていなかった。




「橋本くん、もう、辞めよっか……」


冷え込んだ舞台袖で、鹿島がぽつりと言った。


たぶん、俺は自分から言いたくなかっただけで辞めたくて仕方なかったんだろう。鹿島の一言で、フッと肩の荷が下りる心地がした。


「そうだな、もう辞めよう―――」




テレビに出てから3年半、ChickenChickenはあっという間に解散した。




芸人仲間からは構成作家として残ってほしいと言われたが、俺はスッパリと芸の世界から足を洗った。


あまり人と接しないようなバイトを幾つかしたあと、地方都市で老人福祉施設の介護士になった。


カラフル坊主も辞めて地味な髪型で静かに仕事をする俺は、周りに元芸人だなんて気が付かれもしなかった。たまに同姓同名ですねと言われて曖昧に笑う程度。悲しい気持ちと安堵する気持ちを持ったまま、テレビもほとんど見ないように過ごす日々。


施設の入居者さんたちを楽しませるレクリエーション企画を立てるときだけ、ちょっと昔を思い出して張り切ったりもした。職員でコントをしようと提案されたときはバレたかと思ったが、単にこういう企画が好きな職員がいただけだった。さすがにシュールなものはできないから、分かりやすくキャッチーなコントを考える。そのときにチラッと鹿島のことを思いだした。


あいつならどんなコントにするかな。みんなが知ってる童話やアニメのパロディとかにするんだろうな、お約束は必ず入れるんだろうな、とか。年が上の方でも『それはおかしい』と突っ込めなきゃだめよとかいうんだろうなあと、あの頃の口調まで思い出して一人笑う。


結局浦島太郎のコントにしたけど、思いの外入居者さんたちの爆笑を得られた。あの頃の気持ちがほんの少し蘇って、その日の晩酌のビールが旨かった。






そんな日常を破る一本の電話が入った。




「橋本くん、今、鹿島ちゃんが入院してるの聞いてる?」


ChickenChickenと同じ事務所で、女性コンビのツッコミをしている先輩だった。俺はあまり仲良くはなかったが、鹿島はずいぶん懐いて飲みに連れて行ってもらっていたように思う。コンビってのはだいたい、板から降りたら別々のコミュニティを持つもので、あまり鹿島が誰とつるんでいたかは覚えていなかったが、彼女と鹿島はたまたま居酒屋で遭遇したので記憶にあったのだ。




「えっ……き、聞いてないッスよ……。解散してから全然連絡取ってないですから……」


「ほんとに聞いてないの? え、解散してからって…、5年くらい連絡してないわけ?!」


「はぁ、そうですけど……入院って、あいつどうしたんですか?」


「――ガンだって。悪性の腫瘍。」


「……は?」


「どうやら、あまり具合が良くないみたいなの。若いから進行が早いみたいで、元気なうちに知り合いに会っておいたほうがいいって言われてるみたいなのよ。橋本くんも会いに行ってくれないかな?」




比喩ではなく、大きめの岩が頭に落ちてくるような衝撃があった。


かつて自分の父親も癌で見送っていたため、父親の治療中の髪の毛の抜けたところや痩せていくところ、弱っていく様が鹿島の姿になって見えた気がした。




電話を切ると、しばらく動くこともできなかった。


その後、テレビを全く見ていなかった俺はネットで“鹿島のぞみ”と検索をした。素人と同じように、Wikipediaやまとめサイトで俺の知らない鹿島を知った。


解散の後、結局鹿島も仕事が長くは続かなかったようだ。鹿島のするようなMC業は、言ってしまえば芸人でなくても問題ない仕事だ。ちょっとタレント性のある女子アナが現れたら、あっという間に変更させられてしまう。番組改変時期を迎えるたびに、仕事がなくなっていったらしい。


大物芸人に気に入られてやっていたアシスタントの仕事もあったが、その芸人のスキャンダルで活動自粛になったとたん、番組も一緒に消えてしまったらしい。


ピンでネタをしたり、ドラマのちょい役で出たりもしていたようだが、ここ最近は構成作家や養成所の講師の仕事を中心に、細々と活動していたみたいだ。


まだ、ネットには病気のことは書いていなかったが、落ち目の芸人が病気になってしまえばもう活動の場はないかもしれない。




「俺が、俺が、この世界に連れてきたせいで……」


嗚咽と後悔が、手で抑えても溢れ出てくる。




本当は知っていた。俺とコンビを組んだせいで、当時の恋人に疑われて別れたことも。就職してほしかった親と喧嘩して、ほぼ絶縁状態になっていたことも。


忙しい頃も、俺とのコントのために休日や睡眠時間を削っていたことも。笑いが取れなくなってきても月一回の事務所ライブを続けたいと、事務所の上の方に頭を下げていたことも。ずいぶん前から、マネージャーに解散を促されていたことも。


俺が、――鹿島の人生を無茶苦茶にしちゃっていたことも。


一晩中泣いて、泣いて、俺は決意した。






久々に会った鹿島は、思ったより元気だった。


「確かに抗がん剤治療中だけど、今の薬はそんなに気持ち悪くならないように工夫されてるんだって。」


ベッドで穏やかに笑っていた。


「さすがに髪の毛は抜けちゃうけど、ウィッグのいいのがあるからさ。ほら、コントのやつと違って本物みたいでしょ?」


「なんか、いいトリートメントしてるみたいな髪の毛だな。」


「だから、橋本くんもそんな深刻そうな顔しないでよ。久しぶりなんだからさ。」


「………おう。」


俺が所在なさげにしていると、鹿島は昔と同じような表情で椅子をすすめた。


「ねえ。橋本くんは、今なにしてんの?」


「普通に一般人してるよ。介護士を。」


「へぇ~。なんか、橋本くんっぽくないね。」


「そうかな? でも、入居者さんたちを楽しませるのにコントすることもあるよ。」


「コント?! どんなのするの?」


「老人相手だからさ、わかりやすいの。鹿島が好きそうなのしたよ、浦島太郎パロディでさ―――」




それから、休みのたびに俺は上京をした。


鹿島が入院中は病室で喋り倒し、退院後は一緒に舞台を見に行ったり、先輩芸人のライブを見に行ったりした。マックやガストというわけには行かなかったが、カフェで肩を寄せ合いお笑いの話をした。


鹿島の体調がいいときは、二人で旅行もした。


旅行の帰り路、新幹線の中で俺は鹿島に決意を伝えた。




「なあ、鹿島。」


「ん? どうしたの、改まって。」


「また、口説いてもいいかな?」


「ええっ? ――あ、ああ。コンビ組むってこと?」


鹿島は笑った。俺の好きな笑顔だ。


「いいよ。うん。また、お笑いをしよ。」


「コンビ名は橋本家。」


「ええ〜。中川家じゃないんだからさ。それにうちら兄弟じゃないじゃん。」


「じゃあ、はしもとはしもと。」


「まえだまえだかよ! って、私は鹿島だし!」


「うん。だからさ、――…橋本にならない?」


「―――えっと、えー、あの、……どっちの意味で、口説いてた?」


「こっち、かな。」


俺は、カバンから婚姻届を出した。俺の分は記載済で、証人はお世話になった先輩たちに書いてもらっていた。


「ちょ……私、卵巣がん、だったんだよ?……あかちゃん、出来ないよ? 卵巣も、子宮も、手術でみんな取っちゃったから……」


「知ってるよ。別に子供が欲しくてプロポーズしてるんじゃないし。それに俺らの遺伝子は、ネタの中にあるでしょ。」


「ネタの中に……? って、コントの中?」


「この前さ、ネットで素人のコたちが、俺らのコントをコピーしてたのを見たんだ。そうしたら、ここに俺らの遺伝子が残ってるんだなーって感じたんだよね。でさ、もっと俺らの遺伝子を残したいって思ったんだ。」


「もっと遺伝子を……じゃあ、また、コントをする?」


「うん。コントに限らず、さ。面白いことを一緒にしようぜ。」






俺たちは、YouTuberを始めた。


アカウント名は“橋本家”。最初の投稿は“入籍してみた”。


俺は芸人やめて素人のまま、鹿島――のぞみはまだ事務所に所属していたが入退院を繰り返しており舞台やライブってわけにはいかなかったのだ。


当時はカジサックすらまだYou Tubeを行う前で、芸人がやるものでもなかったからあまり話題にもならなかった。


かつてのチキチキファンが少しと、昔の関係者しか見てないようなYou Tube。


日常を映してみたり、コントしてみたり。病気の弱音を吐いてみたり、嫁入院中の失敗料理をだしてみたり。点滴や酸素マスクのモノボケをしたり。


最後のコントは声だけで行ったものになった。掠れるのぞみのツッコミは、中学生のときに欲しかったそのものだった。




2023年初夏。


俺は松本人志にはなれなかったし、浜田雅功みたいなツッコミはみつけられなかった。


割と早い段階で気がついていたけど、残念ながら俺は天才ではなかった。



俺はただの素人でしかなかった。だけど……、最高の嫁はいた。




俺の相方。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺の相方。 花澤あああ @waniyukimaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画