第16話 ストラディア辺境伯領④
セレインと別れ、カルマンドラ殿とともに馬車で南東へ向かった。馬車はたった一台で、総勢八人。舞踏会の近衛が着る騎士服のような盛装をした男女だった。いや、カルマンドラの他は男性が二人と女性が三人だ。きりっとした騎士服姿の乙女たちは、流行りの劇団のような麗しさだった。
カルマンドラ殿によると、南西の砦は朝晩の六人交代制になっているとのこと。戦闘よりも間諜の侵入を防ぐことが中心なのだとか。
「ただ、最近は隣国から差し向けられた魔物の一部がこちらへ向かってくることも多いのです」
やや年下の美少年のカルマンドラ殿はどことなくセレインと似ている。セレが髪を短くして眼鏡をかけたら姉弟のように見えるかも知れない。それはそれで……。
「かわいいかもしれないな」
「――え?」
思わず口にしてしまったセリフに、ぽかんとしたカルマンドラ殿。
セレインによく似て、本当にかわいらし――じゃない。
「ああ、申し訳ない。セレインのことを考えていたら」
「そうですか」
すっと元の無表情に戻ってしまった。いや、少し赤くなっているのか。ぽかんとしてしまったから、恥ずかしかったのだろうか。
可愛らしい弟を見ているような感覚で……ついこの間、王家から除籍された
「さて、そろそろですね」
カルマンドラ殿が南の方を見てそう言った。
「どうやら、今回は多そうですね。――張り切りすぎたエルメリウムから逃げてきたのか……?」
ぼそり、とカルマンドラ殿が呟いた最後の方は聞こえなかった。
「説明をする暇はなさそうです。殿下は自分と最初に出ていただきます。影は後半に混じってください。無茶はせずに、必ず自分より後方にいらしてください」
「分かった。よろしく頼む」
初めて味わう南の防衛線――のおこぼれ。
自分の実力はどこまで通じるのだろうか。
「では、行くぞ」
カルマンドラ殿の声で、前半戦を担当する四人は戦闘態勢を執った。
はるか向こうから黒い影がわさわさと揺れる様に猛スピードで魔獣が近付いてきた。
え、なんか大きくないか……?
王都近郊で見かけるものと違う気がする。
「ダンジョン産なので、狂暴ですから気を付けてくださいね」
隣にいた女性兵がドレスを可愛らしく翻しながら駆けていった。
ダンジョン産だと……!?
通常の魔獣より強力ではないか。
ほんの数舜目を離したすきに、百メートル近くまで魔獣が迫っていた。
――でかい!
「おおおおおっ!」
騎士服を着た一人が大剣を横薙ぎにする。
斬り刻まれ吹き飛ぶ魔魔獣の体が地に落ちる前に消え去り、ころんと小さな魔石が落ちた。
「まあ、魔石持ちだったの?運が良いわね」
そう言った女性兵は鞭のようなものをしならせ、周囲を八つ裂きにしていく。
次々に消える魔獣。
後から後から押し寄せる魔獣。
「さあ、剣の錆に成るがいい」
カルマンドラ殿が喜色を滲ませた声を放つ。
――辺境の防衛線は、控えめに言っても地獄だった。
「若君、どうされたんすか?」
ロボスがカルマンドラへ問いかけると、珍しく表情を歪めた彼が「その……」と言い淀んだ。
「どうやら、戦況の過酷さに戸惑っておられるようだ」
「え?」
思わず声を上げた
「おそらく、ダンジョン産の魔獣をご覧になったのは初めてではないかと……。さらに我々の戦いを見て、殿下のお持ちになっている『常識』が崩れたのだろう。一時的な混乱だろうから、しばらくすれば元に戻られると思う」
――あぁ、辺境初心者が陥るアレか。
その場の全員が納得したと思う。部屋に隅に控える侍女が殿下に憐れむような眼差しを向けていた。
でも、そこを配慮して欲しかったわ。一応、仮にも王族よ。
「いやぁ、お嬢様。『一応、仮にも』って、若君はちゃんとした王族ですよ」
ロボス、心を読まないでくれる?
「声に出てました」
……あら、いけない。
ちなみに影もイル様の横でちょっとぐったりした感じになってる。こっちは年の功か精神的に持ちこたえたのね。
「申し訳なかった。こちらの不手際だ。いつも以上に魔獣が多く狂暴だったため、細やかな配慮に欠けた対応になってしまった」
これだけ聞くと、カルマンドラなりに最善を尽くしたのだろうな、と思えるセリフだが。この、ほのかに漂わせている満足感……。
――絶対、途中から戦闘に酔いしれて客のことを忘れていたはず。
普段の真面目が服を着て歩いているような冷静沈着な言動と、戦闘中の酔いしれたナルシストチックな言動のギャップがすさまじいカルマンドラ。
興が乗ってくると口調だけは冷静に自分を褒めたたえながら、残酷なやり方で敵を追い詰めていく。余裕があれば、敵の体を少しずつそぎ落としながら息絶えていく様を眺め、その切り口の美しさを自賛したりもする。
自賛ってところがまさしくストラディアの血筋だと思う。
「明日は、ロボスも殿下に付いておく方が宜しいのではないでしょうか」
ラミアの提案ももっともだった。
ストラディアの中に影と二人だけで放り込まれるより、ロボスと三人でいた方が心強いかも知れない。
「それが良いでしょうね。でも、この感じだと明日までに復活しないんじゃない?」
かなり精神を削られたのか、目に光がない。黄昏た感もさることながら、尊厳のすべてを奪われたかのような現実からの逃避っぷりもそんな簡単に癒せそうにないんだけど。
「方法なら、なくもないですけど……。やっちゃって、いいんですかねー」
もったいぶるのね、ロボス。あるんなら、さっさとやってしまって。
「本当に、いいんですね?」
「なにもったいぶってるの?やらない方が、困るでしょう?」
そう答えた瞬間、ロボスがにたりと笑みを浮かべた。
「では、遠慮なく」
そそっとイル様の耳元に口を寄せるロボスの目がキラキラしている。……これ、碌でもないやつよね?
止めようとする前に、ロボスの言葉はイル様の耳にしっかり吹き込まれてしまっていた。
「明日頑張れるんなら、今夜はお嬢様を抱きしめて、匂いを嗅ぎまくって、節度を守って口づけしまくっても許されますけど――」
どうします?
というセリフが背後で聞こえるくらい素早く立ち上がったイル様に抱えられた私は寝室に連れ込まれた。
「な、なんだ?あの速さは?!」
珍しくカルマンドラの動揺した声が聞こえた。
ぼすっとベットに降ろされる。
「お嬢様に対して限定の殿下の行動力は、すさまじいんですよねぇ」
「本当に限定的ですけれど、確かにお見事ですわ」
ロボスとラミアの声を聴きながら見たイル様の目は、据わっていた。
「え、いや、大丈夫ですかね?」
「「
心配してくれるのは、影だけか!
「セレ……」
やばい、イル様の目つきが、ヤバい。
ぎゅっと抱きしめられた時に見えたのはいつもと違う光を宿す目。
「セレ、セレ、セレ……」
名を呼ばれるたびに顔のあちこちに落ちされる口づけ。
ちょっ、ちょっと……。
ぎゅうぎゅうと抱き込まれて身動きが取れない。
ちょっと、首元の匂い嗅がないで!
や、ちょっと、どこ触って……!
「節度を守らないと、結婚の許可を取り消されますよー」
ぴたり、とイル様の手が止まり、再び抱きしめられた。逃げようにも足で下半身を封じられ、動きができない。
「セレ……」
さっきから、名前しか呼ばれてない。
「きゃっ」
ぢゅう、と首筋にきつく吸いつかれた。
「い、イル様、何して……」
そのまましばらくちゅうちゅうと吸われたままの体勢だったが、かくん、とイル様の体の力が抜けた。
すうすうと聞こえるのは寝息だ。
え?寝た?こんな状況で、寝たの?
様子を伺ってみても、すこんと眠ってしまったようだ。
完全に寝入ってしまうのを待って抜けようとしたが、腕も足もしっかり固定されて動けなかった。
――待って。私、朝までこのまま?
首元が、生暖かいんだけど。
「え、本当に大丈夫なんですか?」
「これは、貴族の令嬢としてどうなのだろうか」
影とカルマンドラの声が聞こえる。
「婚約者ですからねぇ、一応」
「殿下がそんな度胸をお持ちでいらしたら、ここまで拗れてはおりませんわ」
私の護衛と侍女に貴族社会の常識を学び直させたい。今直ぐに。
うーん、別に…… 柑橘 橙 @kankitssan
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