第7話
もしかしたら正美は、京子を励ます為にあんな話しをしたのかもしれない。普段あまり自分を語らない彼女の、出来るだけの心遣いだったのだろうか?
久々の小夜と二人だけの帰り道、そんな話しに花を咲かせていた。
「みんなどんどん先に進んで、あたしだけが取り残されそう」
冗談交じりに呟く。でもその中には、多少本当の気持ちも混じっていた。
「正美が告白するって話し、驚いたわよね。でも考えてみると、彼女はあれで結構自立してるもの。お嬢さんぽくて大人しそうに見えるけど、ああいうタイプは逆境に強いのよ。案外、本木先輩のハートも、しっかりゲットしちゃうかもね」
そうだね、それはあたしも思う。目立った所はないけど、何でも真面目に取り組み、こつこつとやっていく正美。そして必ず、彼女はやり遂げるのだ。
エジソンの言葉にも、1パーセントの才能と、99パーセントの努力が出来れば、その人は成功するって言うのがあったっけ。多分正美が何かを見つければ、きっと将来大きく羽ばたく人になるだろう。
あたしはと言えば、分からなかった。何でもやりたがって、そのくせ中途半端。最後まで行き着く前に、違う事に興味を移してしまう。
だから裕子や小夜のように、これと決めてしまえる事が、とても羨ましいのだ。
「そういう小夜だって、十分自立してるよ。高校に進学しないなんて、びっくりしちゃった」
「うーん、やっぱり気にしてた?」
何気なく言った言葉に、小夜は悪戯っぽく答える。やはり親友だけあって、あたしの微妙な気持ちに気付いていたみたいだ。
「何で言ってくれなかったのかな・・・、って気にしなかったと言えば、嘘になるかな」
「どう言ったらいいのかな、別に隠してたんじゃないよ。ただ、気持ちの整理がね」
「気持ちの整理?」
丁度広い空き地にさしかかった所で、小夜は足を止めた。それで、自然とあたしも立ち止まる。
「正直言って、迷ってた」
小夜は、小さく笑った。それから、空き地の隅になる桜の木まであたしを促す。
この古い桜の木、春になれば毎年美しい花を咲かせるんだ。
ここで、良く遊んだね。木登りしたり、ままごとしたり。
家族ごっこをする時は、決まって小夜はお姉さん、あたした弟だった。
なんか、懐かしいな。あの頃は何でも楽しくて、目に映るもの全てが輝いてた。
例えばこの木だって、あたしにはお城のように見えたものだ。
中学になっても、よくあたしと小夜は、この木の前でお喋りした。根の一つ一つ、枝の一つ一つに、様々な思い出が刻み込まれてる。
少しづつ歳を老いながらも、こうして成長していくあたし達を見守り続けてる。
「祥子はさ、きっと迷わないだろうと思って。何時も真っ直ぐ、信じる方に突っ走って行くでしょ?」
「だけど、中途半端だよ。まだ、何一つやり遂げてない」
大木にもたれながら、あたしは小夜の言葉を笑った。
「何言ってんのよ、まだまだ先は長いでしょ。色んな夢があるって、色んな可能性があると思うよ。どれにしようか迷ってても、きっとあんたなら、これって思えば突っ走って行く性分でしょ?」
「せっかちなだけだよ」
小夜も、あたしの横で木にもたれた。
裸の桜の木が、今のあたしには寒々と見え、なんとなくせつない気分になる。
時って、ゆっくりなようで、案外早く刻んで行く。小学校の時よりも、今はもっと早く過ぎていくように感じるのは、どうしてだろう?この先も、もっと早く過ぎ去ってしまって、いつの間にか大人になってしまっているんだろうか?
正直な気持ち、あたしは子供のままでいたかった。このまま、時が止まってしまえばいいとさえ思っている。
「羨ましいな、何時もそう思ってた。あんたが言うと、全部現実になりそうな気がした。いつも少年みたいに輝いた目をしてて、少しも淀んでいないんだもん」
それは、買いかぶりだ。あたしは、小夜が羨ましがるような人間じゃない。
あたしには、誇れるものが一つもなかった。美人でもないし、頭がいい訳でもないし、スポーツが上手な訳でもない。だから、せめて夢だけは、誰にも負けないくらいに大きなものを見ていたかった。
家に帰れば寒々としていて、温もりが感じられない。母は何時も怒っていたし、姉はぐれてほとんど家にはいなかった。
あたしは確かに楽天家だけど、本当は傍から思われているほど、能天気で悩みもなんにも無いような人間じゃないのだ。
ただ、イヤな事を全て夢というものに変換して、忘れようとしていただけに過ぎない。
自分との格闘に疲れ果て、くたくたになる心を癒してくれるのが、小夜達とふざけあう一時だった。だからこそ、失いたくないと思ってる。
「あたし、小夜が思うほどいい子じゃないよ」
「知ってる」
あたしの憂いなど気にも留めず、彼女は明るく言って笑った。
「何年親友してると思ってるの?不器用で、短気で、頑固で、天の邪鬼で、お気楽に見えて本当は理屈っぽい性格なのよね。それに、度胸がありそうに見えて小心者。何時も駄洒落とか言って、ふざけて、いい加減ぽく振る舞ってるけど、実は生真面目で潔癖症。すごく泣き虫な癖に、変に強がって人前では絶対に泣かない所や、八方美人でさ、友達が多い割に本当の自分を出さない所もある。ついでに、何にも考えてなさそうで、びっくりするくらい色々考えてる。・・・・・でしょ?」
・・・・なんだ、分かってるんだ。でも、そういう風に面と向かって言われると、なんか凄く情けない人間のような気がしてくる。
「でもね、それだけじゃない。人を傷つけた時、あんたも同じように傷つく。そして、何時までも、何時までも、忘れられないのよね。小心者なのは、それだけ人の事で思い悩むからでしょ?自分の事は案外無頓着なのに、他人の事にはオロオロしちゃって。いい子ぶってるって言うより、不器用だから八方美人にならざる得ないのね。自分を出さないのはプライドがあるからだろうけど、あんたのその単純さを見れば、人を信じてない訳じゃなさそうだし。そりゃ、あんたの癇癪は凄まじいけど、努力して治らない癇癪はないんだってよ」
・・・・・ああ、よく分かってる。
小夜は、本当によくあたしを分かってくれてる。
あたしは、コンプレックスだらけだった。癇癪も、最後までやり通せない飽きっぽさも、人の言葉に流されてしまう弱い感情も・・・・・・。
感情の起伏が激しいがゆえに、あたしは苦しまなければならなかった。
大きな喜びが、一瞬後には大きな悲しみに変わる。嬉しい時にはひたすら舞い上がり、沈む時はどっと地の底。たった一日の間に、あたしの心は天国と地獄を何度も繰り返す。
家に帰った途端、疲れ果て、部屋に篭って眠り続ける事もよくあった。
人の言葉に一喜一憂、他の人がどんと構えていればいるほど、自分が弱い人間に思えてならなかった。
でも、その弱い部分を人に晒すのは、プライドが許せない。だってそれは、あたしの望むあたしじゃないから。
もっと穏やかに、もっと冷静に・・・・・。
求め続けているのに、実際はそんなものとはかけ離れていた。
もちろん、そうなれるように努力はしている。でも、やっぱり簡単にはいかないのだ。
冷静になるなんて、天地がひっくり返っても、あたしには無理。せいぜい、感情の起伏を見えないようにするくらいしか出来なかった。
あたしがもし、他の人から穏やかに見えるのだとしたら、血が出る程の思いで拳を握りしめ、癇癪をどうにか押さえ込んだ上でのもの。今の所、本当に穏やかな訳ではなかった。
癇癪とは厄介なもので、かっとした瞬間に全てを忘れる。
我を忘れて、報復的な、恐ろしい言葉を吐く。自分の手が傷つくのを承知で、周囲にあるものを叩き壊してしまう。
相手をケガさせるような事はしないが、自分の体は平気で傷つける。そうしないと、癇癪が収まらないのだ。
それは、あまりに急激に頭が沸騰して、しばらく頭痛が治らない程。瞬間、私が何を口にしたのかも分からない程に、急激に怒り狂うのである。
これは多分、同じ欠陥を持つ人間にしか、絶対に分からない辛さだろう。
短気と言うだけでは、すまされないものなのだ。
小学校の低学年までは、そこまで悪い欠陥だとは思わなかった。癇癪を起こしている間は、胸のつっかえが取れたようにすっとするからだ。
でも、決して良い事だとは思わなかった。だからこそ、罪悪感がどっと押し寄せてくる。
少し大きくなって分別がつくようになると、この異常とも思える癇癪は、手に負えないくらい苦労のネタになっていた。
だから、これからも、一生懸命直す努力はしていくつもりだけど・・・・。果たして、一生かかっても直せるかどうか。
「あたしね、今でも覚えているのよ。小学校6年の時、あんたあたしに話してくれたでしょ。六時のニュースでどっかの内乱が映し出されて、人が殺される場面があったんだって。死体を無造作に運んでいく軍人や、並んだ死体の山が、ずっと目に焼き付いて離れないんだって、泣きながらもそれでも拳を握りしめて、激しい目で話してくれた」
小夜が、不意にそんな話しをする。
よく覚えていた。あのシーンは、こうして大きくなった今も、未だに忘れられない。あの時は、本気で怒った。こんなに簡単に人が死んでしまう事実を、許す事が出来なかった。
テレビを叩き壊す程の勢いで、怒り狂ったのを覚えている。もちろん、そこまではしなかったけれど。
衝撃的だった。平和に暮らしている私たちには、理解しようにも出来ない世界だった。
ただ、こうしてブラウンから見ているだけの自分が、酷く悔しかった。
「あたしさ、結構ショック受けたのよね。同じように生活しているのに、あんたは違うものを見てるんだなって。そりゃ、漫画もドラマもよく見てただろうけど、ふざけてばっかのあんたに、あんな一面があったなんて知らなかったから。怖いとか気持ち悪いとかじゃなく、どうしてこんなことがあるんだろうって、怒ったあんたがなんだかちょっと違って見えた。あんたって、本当に真っ直ぐなんだよね。時には曲がれとよ思う時もあるけど、その真っ直ぐさがあんたらしさなんだと思う。だから、あたしもあんたの前では、いい加減でいたくないって思ってた」
・・・・・・そんな事、思ってたんだ。
なんか、ちょっと照れ臭い。あたしこそ、小夜は強くて、逞しくて、でも優しくて、美人な上にカッコいいって、憧れてる部分もあったから。
「あたしの生き方に、あんたは随分関わってんだからね。人のために何かが出来る看護師を目指そうと思ったのも、いつかそういう場所で、誰かの力になれる日が来るかも知れないと思ったからだわ。あんたと同じ目線で、あたしも色々な物が見れればいいと思った」
ぱっと顔を横に向け、小夜は真っ直ぐあたしを見つめる。
「だからよ、あんたにだけは、迷ってる姿を見せたくなかったの。きっぱりと、あたしはこれをするって言い切りたかった」
「小夜・・・」
言葉を無くしたあたしの前を、ただ秋の風だけが通り過ぎていく。
「あんた、小説を書く事が一番好きだって言ってたわよね。なら、それを続けていって欲しい。例え作家になれなくても、なりたいという思いがあんたを大きくするよ。周りが何か言ったって、そんなの関係ないわ。一番大切なのは、あんたがどうしたいかって事と、それに対してどれだけ努力が出来るかって事でしょ?夢でもいいじゃない、現実が目の前にあったってさ、あたしにとってあんたは風よ。何時も新しい空気を運んで来る、爽やかな風なんだ。あんたを見て、あたしもがんばらなきゃって思うもん。お互いきっと、これから色んな事があると思うけど、あんたには、今のまま、真っ直ぐ駆け抜けていって欲しいな」
「・・・・小夜」
あたしは、バカの一つ覚えのように、そればかりを繰り返した。
「あんたの決まり文句だよ。夢は、自分の手で掴むものでしょ?恐れていては、前に進めないわ」
小夜は、迷いのない目で空を見上げた。
斜めに傾いた日差しが、空を見据える小夜の横顔に降り注ぐ。柔らかい太陽の温もり、それでいて透き通るくらいに清らかな、秋の夕暮れ。
赤く染まった空が、木や家や空き地を今にも飲み込んでしまいそうだった。
小夜って、美人だとは思っていたけど、こんなに綺麗だったっけ?
息を止めて、親友の顔に見入る。強い意志を宿し、空の赤を反射してる大きな瞳。高い鼻も、ちょっとクールに見える薄い唇も、夕日が全部赤に染めていた。
小夜は、普段から大人っぽい。でも今は、それとは違った意味で、あたしよりはるかに大人に見えた。
「だけど、恋もしなくっちゃ」
再びあたしの方へ向けた顔は、茶目っ気たっぷりのいつもの小夜の顔だった。
「小夜は、どうなの?好きな人がいるの?」
あたしも表情を柔らかくして、冗談ぽく尋ねる。
「沢山いすぎて、誰にしようか迷ってるのよ」
「またぁ」
「そうね、しいて言えば」
小夜の顔が、真剣になる。
「矢部君」
「えっ!?」
どきっとして、まじまじと小夜を見つめた。途端、にやりと小夜の顔が崩れる。
「うそ」
かっ、からかったな。
「もう、矢部とは別にそんなんじゃないって言ったでしょ」
軽く小夜の首を締めるふりをして、強く否定する。
「あははははっ、顔が赤いよ」
「これは、夕日だよ」
しばらくじゃれあった後、彼女はポンポンとあたしの頭に手を乗せた。
「でもさ、あのままじゃイヤでしょ?もうすぐ転校しちゃうし、その間に思いで作りをした方がいいよ。友達だったとしてもね」
「そりゃ、せっかく仲良くなれそうだったから、少しは思うけど。あんな風にからかわれたら」
「関係ないよ。あんたが、彼に言ってあげなよ。あたしは、平気だって。きっと、あいつ、答えてくれるよ」
なんか、小夜って・・・。
ほんと、小夜ってよく人を見てる。何気なく気づかって、相手を不愉快な気分にさせないのよ。
あたしは、そういうのは全然駄目なんだけど。
何でもポンポン言ってそうで、実は優しく気を配ってる小夜。あたし、そういうあんたがとても凄いと思うよ。小夜なら、看護師に向いてる。
あたしって、本当に子供だな。そうやって、誰かに教えられて、初めて何かに気付く。
一人では、いつまでたっても立ち止まったままだ。でも、周りの人達の助けによって、どうにか成長していける。
鈍いあたしは、そうやって一つ一つを積み重ね、ゆっくりと物事を知っていくのかもしれない。
ただ、こんな調子じゃ、ちゃんとした人間になるまでには、随分時間がかかるだろうけど。
あたしって、何から何まで鈍いから・・・・・。
「そっか、そうだよね。あたしから手の差し出すって事も、しなきゃいけないよね」
「そう、待つだけじゃ駄目よ、大切なものを得る為には、努力もしなきゃ」
「うん」
小夜はまだ誤解しているな、と思ったけれど、あえて否定はしなかった。だって、大切なものって言えば、友達だってそうじゃない。
「今度、その辺の男子を誘って、どっか遊びに行こうか?」
「それは、小夜に任せるよ。あたし、誘うのとか苦手だし」
「祥子は、つまんないな。このさい、グループ交際とかしちゃったら?」
「もう、小夜はそんなことばっか」
あたし達は、背中を叩いたり押したりしながら、桜の木を後にした。
何時か、あたし達も大人になる時がやってくるのだろう。それは、絶対に変えられない時の流れ。
あたしは思う。こうして目まぐるしく変わっていく世界で、あたしはいったい何を見て生きていくのだろうかと。
道を逸れたり、後戻りしたり、進んではまた何かにつまずき、壁にぶち当たっては落ち込んでも、とにかく真っ直ぐ生きて行きたい。
一人では駄目でも、そこに大切な人達がいれば、どうにかなるような気がする。
ゆっくり、ゆっくり、歩いていこう。道を誤れば、引き返そう。つまずいても、立ち上がろう。壁にぶち当たっても、諦めずにいよう。
あたしはバカだから、すぐ道を見失うだろうし、迷ってぐるぐると同じ場所を彷徨ってしまうかもしれない。時には、逃げ出してしまう事も。
そんな時、小夜のようにあたしを引き戻し、背を押してくれる人が側に居てくれる事を、心から願う。だって、大切な人達の存在が、何時もあたしの目を覚まさせてくれるから。
これからも、大切な人達と同じ目線で、様々な物を見つめていきたい。
心に決めた夢を、諦めずにいたい。
変わらない輝きを、ずっと瞳の中に持っていたいから。
END
瞳の中 しょうりん @shyorin
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