海の人形

尾八原ジュージ

海の人形

 へぇ、独立されるのねぇ。おめでとうございます。それでこの辺で物件を探してらっしゃるの。そこのビルの一階? はぁー。今そんなに安くなってるんですか。

 止めときなさいよ。あそこね、安いなりのとこなのよ。


 そこ、前はケーキ屋さんでね。夫婦でやってらして、雑誌にも載った繁盛店だったんだけど。

 旦那さんが変な人形持ってきてから、みるみるうちにおかしくなっちゃった。

 その人形っての、海で拾ったそうなのよ。魚の代わりに釣り針に引っかかったんだって。お世話人形っていうの? 赤ちゃんの形してるんだけど、波に洗われたり岩にぶつかったりしたんでしょうね、もうボロボロで、顔なんかほとんどのっぺらぼうなのね。それをかわいいかわいいって、店先にわざわざ出したりするのよ。

 もう、気味が悪くって。

 奥さんなんか困って青い顔してたんだけど、ある日ぱったり見なくなってね。うち、この通り青果店でしょう。主人が商品届けに行ったら旦那さんがキッチンで汚い人形抱っこしてて、奥さんどうしたって聞いたら、追い出したって言うんですって。この子を可愛がれない女はいらん、って。

 そのときね、人形が笑ったんだって、うちの主人が言うの。のっぺらぼうみたいな顔なのに、確かにニイッと笑ったんだっていうのよ。

 ケーキ屋の奥さん凄腕でさ、フルーツカットの技術なんか本当に素晴らしかったんだけど、それを追い出しちゃったもんだからもう、どんどんお店が傾いた。臨時閉店が増えて、汚れたウィンドウ越しに見ると中で旦那さんがニコニコしながら人形抱っこしてたりして……。

 で、そのお店結局、旦那さんがお店の中で焼身自殺してなくなっちゃった。

 旦那さんの親戚が、どっかの偉い神主さんだかにお祓いを頼んで……いや、成功したのよ、それは。旦那さん、ほんとに憑き物が落ちたような顔になったの。

 でもさ、正気に戻ったら奥さんはいないしお店はめちゃくちゃだし、それで絶望して灯油かぶって死んじゃった――

 それがそこよ。確かに立地は悪くないわね。内装屋さんも入って、見た目はきれいになったし。

 たまに店の中で真っ黒な人影がめちゃくちゃに暴れまわってるのが見えるもんで、この辺の人はだれも近寄らないけど。

 だからね、あんなとこで食べ物屋開いたって誰も来ないから。わざわざ見に行くの、止めておきなよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

海の人形 尾八原ジュージ @zi-yon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説