「あたしは生まれてきちゃダメだったんですか?」生徒が開口一番口にしたのは、そんな質問だった。

白水47

「あたしは生まれてきちゃダメだったんですか?」


「あたしは生まれてきちゃダメだったんですか?」


 昼休み、無言で保健室に入ってきて、質問する生徒。

 椅子に座った後、開口かいこう一番のセリフがこれだったため、僕は正直かなりめんくらってしまっていた。


「……それは誰かに言われたのかい?」


 先生(正確には養護教諭ようごきょうゆ)の責務を何とか果たそうと、僕はあくまで平然へいぜんよそおって質問しかえす。


「○○ちゃんに言われました。あんたなんて要らない。あっちいけ。あんたは生まれてこなきゃ良かったんだ、って」


 生徒がしぼり出すように答える。


「……そうか」


 子供同士の喧嘩けんかでは珍しいことではない。


 よくわからずに強い言葉を使う生徒。

 そしてその言葉の意味を額面がくめん通りに受け取ってしまう生徒。


 お互い純粋で、暴言を吐いた生徒が必ずしも悪というわけではないのだろう。


「ふぅ——、すぅ——」


 気持ちを落ち着かせるために、僕は大きく深呼吸する。


「僕は考えながら喋るのがあまり得意な方じゃなくてね。言っていることの意味がわからないと思ったら、その都度つど、質問してくれて構わないよ」


「……はい、わかりました」


 生徒は素直にうなずいてくれた。


「まず、大前提として、僕には君が生まれてきて良かったかは分からない」


 驚きと悲しみが入り混じった顔をする生徒。


 まあ、当然の反応だろう。


 だが、ここで、君は生まれてきても良かったのだ、というような中途半端ななぐさめのセリフを吐くような人間ではないのが、この僕だ。


 残念だが、運が悪かったと諦めてほしい。


「というかそもそも、この世界に誰一人として許されて誕生してきた人間などいないのじゃないか、と僕は思っている」


「……どういうことですか?」


 怪訝けげんな顔をして尋ねる生徒。


 話の進行がスムーズになるため、質問はウェルカムだ。


「単純な理由だよ。生まれてくることを許可する役割をもった存在がいるならば、そいつはあまりにも傲慢ごうまんだろう。誕生を祝福しゅくふくされて生まれてくる赤子は確かに存在する。だが、生まれてきちゃダメだ、と勝手な都合を押し付けられて生まれてくる赤子はまれな存在だろう」


 中絶、隠し子など望まれない赤子の存在は、この子に今、伝える必要はないだろう。

 そのくらいの分別ふんべつは、辛うじて残っている。


「さてじゃあ次の話に移ろうか」


 いまいち納得していないように見える生徒を置いて話を進める。


「君が生まれてきてよかったかどうか分からない。だけども、はっきりと君に伝えられることが僕にはある」


「……?」


「それは、この世に生きていちゃダメな人間など、存在しないということだ。言い換えれば、人が人として生きるという権利は、生まれた瞬間から保証され、人が人として生きる権利を、誰も否定してはいけないということだね。基本的人権、……まあ厳密げんみつには違うのだろうけど、そんなものだと思ってくれていいよ」


「でも、悪いことをした人は、捕まったり、死刑になったりしてませんか?」


 生徒の反論に感心する。


「おお、君は賢いね。たしかにそうだ。悪いことをしたとしても、どんな理由があったとしても、本来は人が人を殺すなんてことは許されないことなのだろうね。もしもあの世というものが存在するのなら、悪い人共々、地獄行きなのかもしれないね」


 僕は無神論者で、死後の世界も信じてはいないが、少しおちゃらけて話す。

 真面目すぎるのも肩が凝ってしまうだろう。


「今、この国では死刑制度というものが存在する。人が人を殺すのが許されているのだよ。国民たちの多くは、悪いことをしたのなら、悪いことをされても仕方ない、それは当然だと考えているようだね」


「……」


 むつかしい顔で黙っている生徒。


「結局はそれもまた、集団のエゴであり、とても自然なことなのだよ」


「……?」


 チンプンカンプンのようである。


 仕方のないことだ。


「結論を言うと、悪人をどう扱うかについては、人によって、あるいは所属する集団によって、答えが変わるということさ。正解なんて無いのだよ。自分なりに考えてみるということは素晴らしいことだと思うけどね」


「……よく分かりません」


 生徒は困り顔になってしまった。


「ふふ、いいのだよ。正解の無い問題なんてもの、いくらでもあるのだからね。すべてを理解する必要など無い。……話が、ずいぶん脱線してしまったね。戻そうか」


 一部の例外、極端な例というものはどんな事象にも存在する。


 人それぞれ、自由な考えがあるからこそ人間という生物は面白いのだ。


「私の意見も参考程度に留めておいておくれよ。もしも自分の中で納得のいかない部分があれば、反対の考え方を持ってもいい。私の言葉の中で、自分にとって有益だと判断したものだけを、君なりに吸収してくれればいい」


「……分かりました」


「さて……、それじゃあ本題に入るとするかな。まずはこいつを食べてみてくれるかい?」


 もしもばれたら、すごく怒られるのだろうな、と思いつつ、昼食用に作ってきた卵焼きを弁当箱から紙皿に移して、つまようじとともに渡す。


「おいしいです」


「そうか、それは良かった。次はこれを見てくれるかい?」


 机の上から生徒の見える位置まで持ってきたのは一枚の写真。

 とある山の頂上から撮った夕日である。


「……きれいだとおもいます」


「そうか、そうか。それじゃあお次はこれ」


 そう言って、僕はポケットからスマホを取りだしで、音楽を流す。

 学生時代に演奏したピアノの音源である。


「……落ち着きます。心地いいです」


「ふふっ。いいね、さらに、こいつだ」


 僕は自慢の上腕二頭筋を膨らませる。


 かなり引かれている。

 これがドン引きというやつか。


 まあ、セクハラで告発されたのなら大人しくお縄につこう。


「触ってくれるかい?」


「……」


 無言かつゴミを見る目をしながら、生徒は僕の腕を触る。


「……かたいです」


「そいつは良かった、最後にこれを嗅いでくれるかい」


 引き出しから取りだしたのはアロマオイル。

 休日を1日潰して試行錯誤しこうさくごしたすえの成果である。


「いい匂いだと思います。……花の匂いみたいな」


 生徒の表情から、警戒の色が半分ほど消えてくれた。


「うんうん、そうだろう。金木犀の匂いに近づけるために、すごく苦労したのだよ」


 生徒の評価に、僕は大満足である。


「……最後って言ってましたよね。これで何が分かったんですか?」


「ふふふ。分かっていたこともあるが、一番大事なのは僕が嬉しくなったという結果なのだよ」


「……?」


 再び怪訝そうな顔をする生徒。


 今回はアクセントとして、変人を見る目がブレンドされている。


「分かったことは、君には五感があるということさ。口と目と耳と手と鼻がついている」


「……? そんなの当たり前のことじゃないですか?」


「君にとってはそうかもしれないね」


 もう立ち去ろうかな、と考え始めているのだろう。


 ここまで表情が分かりやすいと、反応を観察するのが面白くなってくる。


「まず、君には味覚がある。僕がつくった卵焼きを、美味しいと言ってくれたね」


「……はい」


「これは僕が長年作り続けてきたものだからね。褒められると嬉しいのさ」


「……そうなんですね」


 生徒の表情はかたいままである。


「ああ。次に、視覚だ。僕が息を切らしながら、やっとの思いでたどり着いた山頂から撮った写真。それを君はきれいだと言ってくれた」


「……はい」


「苦しさの分だけ感動は大きいものなのだよ。その光景を君と共有できて、あまつさえ、きれいという評価も貰えたのだ。光栄なことだよ」


「……」


 雪解けが始まっただろうか。


「聴覚。僕の弾いたピアノ、そこまで上手くはないけれど、君はちゃんと耳を傾けてくれていた」


「……」


 生徒の顔に赤みが戻って来る。


「触覚。これの確かめ方は出来れば口外しないでほしいが、登山を円滑にするためには、筋力トレーニングが有効な手段なのだよ。その成果を認められると機嫌が良くなるのさ」


「……」


 言葉の全てを理解する必要はない。

 欲しい言葉だけ持って帰ってくれれば、それで十分である。


「嗅覚。このアロマオイルは自信作でね。1日を犠牲にして得られた集大成なのだよ。花の匂いという、素敵なものと並べられて感無量だね」


「……それで……、あたしはどう思えば……」


 遠慮えんりょがちにだが、言葉を飲み込もうとしてくれているのだろう。


 昼休みが終わってしまう前に、一番伝えたい言葉を生徒に送ろう。


「君が生まれてきてもよかったのかは、私には分からない。それを判断できるほど賢くもないし、偉くもないからね。だけども、一つだけはっきりと言えることがある」


「……」


 生徒は黙って聞いてくれている。


「君は僕の好きなものを褒めてくれた。それは、僕をすごく幸せにしたのだよ」


 そして、最後にしっかりと伝える。


「僕を幸せにしてくれてありがとう。君は誰かを幸せにできる素晴らしい人間だ。ここまで生きていてくれて、僕と出会ってくれて、ありがとう」


 心からの感謝を。


「…………、私は生きていていいんですか?」


 何かを我慢がまんしているのだろう。

 唇を強くめた後、生徒はゆっくりと口を開いた。


「ああ、もちろんさ。僕が全身全霊ぜんしんぜんれいで肯定してやる」


 力強く答える。

 絶対に間違っていないと伝えるために。

 

 綺麗事きれいごとかもしれない。

 それでも。


 生徒に希望をもって、生き続けて欲しいから。


 き〜ん、こ〜ん、か〜ん、こ〜ん。


 予鈴が鳴る。


 間に合ってよかった。


「また来てもいいですか?」


 こちらをじっと見つめてくる生徒。


「ああ、何度でも来てくれていいよ」


 断言する僕。


 生徒は立ち上がる。

 様々な人のいる教室に向かうために。


「ありがとうございました!」


 そう言って、立ち去る生徒。


 今日一番の大きな声を聞けて、僕はまた幸せな気分になったのだった。

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「あたしは生まれてきちゃダメだったんですか?」生徒が開口一番口にしたのは、そんな質問だった。 白水47 @sirouzu_s

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