【短編】75億分の1【1468文字】

@kueru

75億分の1


 私は色を認識することができなかった。

 医師曰く、”桿体細胞しかなく、周囲の世界はモノクロにしか見えていない”。


 もちろん、色の認識はこの世界で生きるためには必須である。

 信号を理解できないし、立ち入り禁止も洒落た縞模様にしか認識できない。

 すなわち、道をあるくだけでも命がけだ。人より少しだけ。


 でも私は、長年に渡る努力によって、モノクロのちょっとした違いだけでどんな色かを見分けることができるようになった。

 ただし、暖色や寒色というような感情に訴える色は理解できない。

 それで良いと思っている節がある。

 危険な色等のパターンを全て暗記してしまえば、この世界を生きていけるはずなのだ。




 地獄の10代が過ぎ、20代を迎えると大きな転機が訪れた。

 同じ症状を持つ夏斗が現れたのだ。

 けれど夏斗は、私と逆に、感受性に訴える色こそが重要だと考えていて、24時間365日を研究に捧げていた。


 私と出会ってからは300日にすることを命じた。

 価値観は相容れなかったが、同じ境遇の二人が互いを必要とするのは必然だった。




 お互いのことを知ったかぶりできるほど時間が経った頃、夏斗が突然自殺してしまった。

 頭は真っ白で、茫然としながら部屋を片づけていると、夏斗の遺書が見つかる。


 遺書には、「節子に暖かい感情を見つけてほしい」と書かれていた。


 夏斗の研究室を尋ねると「感情を呼び起こすモノクロパターンを生成する公式」について、膨大な研究資料が残されていた。

 資料には、「モノクロの表現方法の違いを数値化して解析し、共感覚や感情に訴えるパターンを作る」といった内容が書かれていた。


 けれど、パターン生成のための重要な定数についての資料だけは無かった。


 唯一発見した痕跡は、乱雑に破り捨てられたノート。


 後を追うのは、このノートを復元してからで良いや、その時はそう思った。




 もう長い年月が過ぎた。ついに、「感情を呼び起こすモノクロパターン定数」を発見した。

 まさかおばあちゃんになって、優秀な助手が2,3人必要になるとは夢にも思わなかったよ。


 この定数はつける変数によって様々な感情を生成することができるようだ。

 もちろん、始めに作ったモノクロパターンは「暖かさの変数」を用いるものとする。


 生成したパターンを見た瞬間、全心が暖かい感情に包まれた。


 けれど、それと同時に、夏斗が自殺した理由も、理解してしまった。



 夏斗が感情に対する公式を発見した時、「死の恐怖を呼ぶモノクロパターン」が生成されてしまったのだろう。

 このパターンによって呼び起こされた感情に、夏斗は耐えられず、自殺してしまったと思う。


 けれど、自殺するその間際、夏斗は最後の力を振り絞って、暖かなパターンの発見を私に託した。

 もし、死のパターンが生成されたとしても、私が恐怖に打ち勝てるように。



 全てを理解した。暖かい感情がこんなに涙を出すものだなんて知らなかった。

 暖かい感情から、慈しみが、やさしさが、思いやりが、不安が、悲しみが、グラデーションのように広がっていく。


 暖かい感情と、それとは正反対に涙が止まらない不和は、想像を絶するものだった。

 何日も、ベットから起き上がれないほど。



 耐えきれず、後を追おうとしたことが何度もあった。

 それでも、波のように揺れる暖かい感情が最期までその気にさせてはくれない。




 つまるところ、私と夏斗の差は、「暖かい感情」と「死の恐怖」のどちらが先に与えられるかの違いしか無かったのだ。

 だから、夏斗が自殺してしまったのは仕方がないのだと、この年になってようやく納得する。


 後から人づてに聞いた変数の差は、ちょうど一刹那だったらしい。

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